人間の心っていうのは脆いですからね~(-_-;)

僕が初めてまともに就職したのは東京の高円寺にある通販会社でした。

通販って現物を見てもらえずに買ってもらわなきゃならない方式ですからね。
当然のように、より売ろうとすれば大げさな表現になりやすいです。

となると、商品が届いてみて、
「イメージと違った!」みたいな事は起りますわな(>_<)

クレームも増えやすいです。



透析も人間の思考のあり方次第の部分が大きい


実際にデパートなんかでもクレーム担当の社員はいますよね。

通販会社にもクレーム担当の人がいます。

僕がその通販会社に入社るする直前、その会社のクレーム担当の方が自殺をされてしまったという大事件が起きたそうです。

キツイ仕事ですからな~(-_-;)

当時はまだ「クレーマー」なんて言葉が一般的ではなかった時代でした。(僕が就職したあたりから世に出てき始めた言葉です)

人の負の感情を受け止めるような仕事ですから、精神的に追い込まれる事もあるのですな。

しかも、クレーム担当って、自分から進んでやりたいっていう人がほとんどいませんからね。
会社の事情で人選してるので、やってる人はたまったもんじゃないでしょうな。

そういう仕事で受ける負の感情が繰り返される事で、死にたくなってしまったのでしょうか。

入社して、その自殺された社員さんの話を何度か聞きました。

まあ、ただ、こういうのは他人事ではなく、透析室内でも起きてる事象ですな。

病院によって差はありますけどね。

透析がどうしてもイヤならやめても良い???


僕自身も透析を始めて10年はネガティブ感情に支配されてましたからね。
別に声高に苦情を言ったりはしてなかったですが、病院の対応の悪さなどに目が行き過ぎてた部分もありました。

一方で、透析によって生き延びれてる訳ですから、人工透析がどれほど有難い存在なのか? という部分にも気付かされます。

あ、そうそう、最近気付いたのですが、なんか僕が透析を受け始めた頃は、透析を受け始めるとやめる事が出来にくいという問題がありましたよね。

透析に来ない患者さんがいたら、スタッフさんが迎えに行ったりとかしてたらしいですよね。

僕は1回も透析をさぼった事がないので、そこら辺の事情が分からなかったですが。

ところがネット世界に入ってきて、社会的に透析を個人の意思でやめても良いという情報を得たのですよね。(家族の同意や病院との合意が必要ですが)

それを聞いたらすごく安心感が出て精神的に救われたんですよね。

何でも物事は考えようによって「良いようにも」「悪いようにも」受け止める事が可能ですから。

僕がどうしても透析がイヤでやめたくなったらいつでもやめられる。

そう思ったら、俄然ファイトが出てきたんですよね。

この感覚はなんでしょう(-_-;)

病院や患者の取り組み


やめられないと思うから追い込まれるんですが、やってもやらなくてもどっちでもいいよと言われるとやる気も出る(^◇^)

全国でも透析で回路組み立てやプライミングなどを患者さんにさせてる病院もあると聞きます。

ああいう取り組みは、患者のそういうやる気なども引き出すんでしょうか?

九州のある先生の話では、プライミングまではやらせてないけど、穿刺後に貼るテープなどの細かい備品を患者に用意させてるというのもあるようです。(テープを適度な長さに切っていつでも貼れるように準備しておく)

透析をやる気マンマンの患者さんがたくさんいる病院もあれば、透析がイヤでイヤでしょうがない患者さんだらけの病院もあります。

なんでこうも差がつくんでしょうね(*'▽')

人間の思考のあり方をよく考えて行動できてる病院と出来ない病院があるのは確かです。

ちょっとした透析方針も、そういった病院の考え方がよく出てると思います。

SSS14



病院格差は広がる一方だ


僕もよく「優良病院」とか「粗悪病院」とか、そういうつまらぬアホな表現をよく使ってしまうんですが、そもそも何をもって「優良病院」で何をもって「粗悪病院」になるかって問題も難しいですよね。

スタッフさんも病院の医師や事務長、院長の方針には逆らえない部分もありますんで、その方針によって様々な考え方のスタッフさんが育ってしまいますし。

ただ、少なくとも「やる気」になってる患者さんの「やる気」を削ぐような病院は、とてもじゃないですが「優良病院」とは呼べませんな。

ある透析仲間は、
「そんなに頑張ってたくさん透析しても大して生きられるもんじゃないですよ。」と看護師さんに言われたらしいですよ。(オーバーナイト透析や在宅透析を推進してる病院の看護師さんです)

(-_-;)

やる気、削ぐ、削ぐ(^◇^)

しかも、そこの院長先生はかなり有名な長時間透析推進派の素晴らしい先生なのにね。

という事は、病院の方針に逆らってそういう事を言ってる看護師さんまでいるって訳です。

じゃあ、その看護師さんは、患者はみんなヘタレで良いと考えてるんだろうか?

まあ、こんなオモシロ話まであるのが透析ワールドですからな。

面白がってしまうと、この被害に遭った患者さんが気の毒ですが、こんなレベルではいかに良い透析を追い求めている病院でも「粗悪病院」に成り下がってしまいますよね(-_-;)

透析は間違いなく次なるステップ段階に入っている


そもそも、病院や患者が良い治療を求めて研鑽するのは当たり前ですからね。(当たり前というと怒る方もいるかも知れませんが、人間誰しも自分を向上させたいという願望が少しくらいはあります)

透析も技術的な要素はそろそろ出尽くしてきていて、次は精神世界の段階に突入してきてる訳ですよ。

どうして、透析を受ける患者はこんなにも精神を崩しやすいのか。

透析の技術的な部分で何がベストなのかは大体意見が出尽くして、次は患者のやる気やモチベーションアップの時代へと来てるのかなと思います。

この辺も、とっくの昔にすでに取り組んでいる病院もある訳ですから、いまだにスタートすらできず、患者のやる気を削いでいるような病院では困りますね。

やる気のある患者さんが何人も透析室内にいれば、良い意味で他の患者さんに感化されていく相乗効果も期待できるというのにね。

診療方針上の問題で立ち遅れていく病院はトコトン立ち遅れ、進化していく病院はトコトン進化していくので、病院格差は広がるばかりです。



病院格差もありますが患者の個人差もあります


人工透析って、患者さんによっても千差万別になりますよね。

僕は確かに今は元気にやれてますが、心疾患もあるのでいつどのタイミングで急展開になるか分かりません。

透析を受け始めた時点でかなり重篤な症状を持ってる患者さんだっていますから、一概に透析で良い方向に行けるとは限りません。

33万人が微妙に状況が違ってます。

「がんの種類」同様、同じ腎不全でも診療方針が微妙に変わってしまいますね。

こういう個人差に気付いてない医療者さんや患者さんも多いです。

患者サイドにとって大事なのは、人の透析療法は気にしなくても良いという事です。

いかに自分がより調子が良くなれるかに興味を持てば良いのだと思いますな。

他人が8時間透析だろうと3時間だろうと、僕の調子が良くなる訳ではありませんからね。

透析時間などは、それぞれの生活状況でも難しい問題が出てしまいます。

ただ、何でもやってみないと分からないという部分もあります。

やってみたら合わないと思うんだったら、やめればいいし、やってみて結果を見てから考えるのでも別段問題は無いと思います。(いや、あるけどね。最初の時点での取捨選択も大事ではあります。)

それと同時に、どう生きたいか、いつまで生きたいかなどの問題も個人差があります。

僕としては、今、自分が元気である事に重点を置いてますが、これだけ合併症をすでに持ってますので、それが爆発しないようにしたい訳です。

イライラをついつい追いかけてしまう習性


どうもね、見てますと、わざわざ自分がイライラしてしまう方向に自分を追いやる習性を持っている人が多いですな。

逆襲時代から今まで、僕も変わっていったところは多々あるんですが、いくつか変わらない部分もあります。

その中で大事にしてる事は、「自分の心が楽しいと感じる事を追いかける」ように自分を持って行ってるという事です。

わざわざストレスになる事を(仕事など報酬を得てる部分では話は別です)プライベートで追いかけないようにしてます。

まあ、透析に関わらず、ストレスの溜まるほうの知識ばかり得ている人も世には多いですな。

まず、自分が変わらなければ人は変わらないというのは、もう常識に近いと思うんですが、人を変えよう、変えようとばかりする人ばっかりでうんざりします。

なんでこんなに自分に興味を持たない人が多いんでしょうか?

周りがみんなハッピーになってしまったら、自分だけ取り残されて愚痴しか出なくなりますよ(-_-;)

都合よく考えるのもありと思う


更に、悪い事が起きてもなるべく自分の都合の良いように考えるという荒技もやります。

兄いたちとよくやってますね(*'▽')

厳しい事を言われたら、
「おお!期待されとる(*'▽')」とか思うようにしてます。

こんな些細な事でも自分が明るくなれるほうに思考をシフトしていってる訳ですな。

透析室内で看護師さんが声を出して笑っていて、それを微笑ましく思えたり、心が和む場合もありますが、逆に鼻についてイライラする場合もありますよね。

世の中の事象のほとんどは、そうやって良い方にも悪い方にも取れてしまいますからね。

全部、良い方に考えていけば、ストレスも溜まらず、愚痴を言う事も減るので良い波動が出て幸運にも恵まれやすくなりますね。

一方で悪い方ばかりに考える人は真逆の結果を生んでしまいます。
そしてクレーマーに成り下がってしまうケースもよくあるのです。

人に当たる事でしか、ストレスを発散できない人間に僕はなりたくないのでね。

僕自身もそういう要素を多分に持ってますから、尚更、人に厳しく当たるより、自分自身への問いかけが増えてしまいますね。

人に当たるというやり方は、あの通販会社での事件のように、人を死に追いやる可能性すらあります。

心根が正しいというのは、僕も何が正しくて何が間違ってるのかは全部分かる訳ではありませんが、少なくとも自分自身が楽しくない人生を生きるつもりはありません。

人の心を変えるのは難しいですが、自分の心はいつでも自分自身で自由自在にコントロールできる自分でありたいと思っております。



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