「過剰透析」の件に関しては難しいところがあるんですよね。
僕のあずかり知らぬところで、色々言い合ってた方々がいらっしゃったらしいですね。
後から聞きましたので、どういった内容なのかはよく見えてこなかったのですが。
栄養素が抜けすぎて「過剰透析」と呼ぶのかどうか?
尿毒素が体に残ってる状態を「透析不足」と呼ぶなら、1日8時間透析したって尿毒素の全てを引ききれるものではなさそうですのでね。
栄養のあるなしに関わらず「過剰透析」にはなってないのではないか?(尿毒素を全て引き過ぎると死んでしまうというのであれば過剰透析と言う言葉はありと考えます)
というのが、僕の考えの根本にある訳です。(屁理屈のように聞こえるかも知れませんが実はここは大事な問題なのです。)
恐らく、「過剰透析はある」と考える方々というのは、透析量を増やす事で、アルブミンやカリウム、アミノ酸が大量に抜けてしまい、それによる栄養障害を受ける事を指してるのだと思います。
一方、ある透析病院では、高齢者であっても関係なく8時間以上の透析を受けるように指導している病院もあります。
88歳の方や、90歳の方まで8時間の透析を受けております。
中には週4回のオーバーナイト8時間透析を受けている後期高齢者さんもいます。
現実にこうした患者さんがいる訳でして、栄養が抜ける事を出来るだけ軽減するやり方も存在しており、患者さんにちゃんとした食生活の知識があれば、患者と医療従事者のタッグの力により、長時間透析を受けても問題無くやれてる訳ですね。
まあ、これが僕が言う、「愛情があれば過剰透析などという言葉はいらない」という部分なのです。
「愛情」とは、患者と医療従事者の間に信頼関係が出来ており、医療者のアドバイスを中心に自分の体感と血液データから適切な食事や運動が臨機応変に出来る患者と、きっちり患者の体調を見ながら透析のコントロールが出来る医療従事者における「タッグの力」とも言えます。
人間同士が力を合わせる事は、決して「1+1=2」という単調なモノにはならず、スクエアしていくものなので、「1+1=」が3にも4にもなっていきます。
「過剰透析」という言葉を栄養を引き過ぎる事に使う場合、生きる気力の無い患者さんや、患者1人、1人の様態を見ながら透析を考えようという気持ちが一切無い医療従事者さんの間には当然起きますよ。
しかし、それは互いに「愛情」に欠けるからこそ起こる弊害で、週3回×1回4時間透析がもっぱらの病院のほうが遥かに危険度が高い訳です。
長時間透析の患者さんが増え始めたのは、日本では2005年以降なのです。
それまでは週3回×1回4時間が当たり前の世界でした。(もちろん、長時間透析を受けていた患者さんがゼロだった訳ではありません。)
しかし、その状況で、透析を長く受け続けてきた患者さんの中に「栄養障害」を起こして免疫力の乏しい患者さんがたくさん生まれてきたのです。
あくまで、栄養不足で死んでしまう(免疫力が低下して様々な病気になりやすくなって、その病気で死ぬ)患者さんたちは、4時間透析(またはそれ以下の透析)で出始めた訳ですな。
なぜ、そうなってしまったのかと言えば、これは皆さんも、ご存知の通り、透析膜の向上によって起きた現象です。
時代と共に、より多くの毒素を引けるようになったのはいいですが、同時に栄養素も大量に引いてしまうようになりました。
そこで、それまでの透析食というのが、透析膜の性能と合わなくなってしまった訳です。
これに気付かずにより厳しい摂生を強いるような病院の患者さんたちを見てれば分かります。
栄養が偏り、更に栄養不足が進み、どんどんとやせ衰え、透析年数がたてばたつほど免疫力がなくなっていくのです。
ここに立ちはだかる問題が1つあり、それが1回の透析で行う除水量にあります。
やはり除水量は少なければ少ないほど、心臓に負担がかかりづらくなりますよね。
多ければ、心臓に負担がかかる訳ですから、単純にたくさん食べれば良いというものでもありません。
たくさん食べて除水量が増えれば、それで心臓が悪くなって死んでしまうという事になりますよね。
しかし、たくさん食べなくても栄養不足で死んでしまいます。
もうね、4時間透析には何らメリットが無いと考えても良いくらいです。(透析時間の延長で時間当たりの除水を減らす事が可能になります)
あるとすれば患者の負担量と医療従事者の負担量だけです。
しんどいから4時間で良い・・・(-_-;)
そこに愛情は?
元気に生きようという気持ちが無いのか?
患者を元気にさせたくないのか?
そういう疑問が起り始めたので、「過剰透析」という言葉に「愛情が無い」と書いた訳です。
(あくまで生活上の諸事情はどなたもあると思いますので、一概に4時間透析を否定するものではありません。また患者さんのどの程度生きたいかという部分も大事と思います。)

また、それと同時に「過剰透析」という言葉は「透析不足」の反対語として、出てきた言葉でもある訳です。
尿毒素が引ききれず合併症を引き起こしてしまう事を「透析不足」と言うなら、尿毒素を引き過ぎて予後に不良が出る事を「過剰透析」と呼ぶべきですから、栄養を引き過ぎる事は食べなければ4時間透析でも起きてしまいますので、別のベクトルとも言えますよね。
いわゆる、「過剰透析」という言葉が1人歩きしてしまっている訳です。
これが前章の「1人歩きする【過剰透析】という言葉は何なのか」なのです。
僕はこの前章を出来るだけ抽象的に書いたんですよね。
いわゆる、みんなに考えて欲しかったからです。
恐らく、アチコチから、
「過剰透析はあるよ~(*'▽')」という厳しいツッコミがたくさん来ることを期待してましたし、その後このアンサー記事を書こうとも思ってました。
メッセンジャーやダイレクトメールに5通ほどと、その他アチコチで起きてた議論があったという話が届きましたので、まあ多少は起きてくれてたようで良かったです。
ブログへのコメントが少なかったのでガックリしてしまいましたが(-_-;)
しかし、中には的を射たメッセージをくれた透析仲間もいたので安心しました。
案外、僕の作戦に引っかからなかった人が多かったです(^◇^)
でもですな、前章では書かなかったある裏話もある訳です。
実は、透析界には在宅透析・オーバーナイト透析推進派と、それに反対する勢力がかつてありました。(現在はほぼ終息していると聞いておりますが、実際は分かりません)
それは厚生労働省にも飛び火し、診療報酬にも大きな影響を与えてきたのです。
実際に、人工腎臓の時間区分がなくなったりなどの様々な事がその両勢力によって引き起こされてきました。
その際に、透析時間の時間区分を失くす最大の理由として挙げられた言葉こそ「過剰透析」なのです。
つまり、「過剰透析」という言葉を我々患者達が認めてしまうと、透析はより時間を短くして患者の透析医療費負担を軽減しようという方向性に働く可能性があった訳ですよね。
「過剰透析」という言葉が、長時間透析を食いつぶす要因として使われ、下手をすれば週3回×1回3時間の透析で、1日1台の機械で3人の患者さんを透析するというスタイルが当たり前になっていた可能性がありました。
しかし、厚生労働省も「透析不足」と「過剰透析」どちらが正しいかという事を、世界の透析を踏まえながら見てくれたため、何とか「透析不足」派が最終的に勝利して行ったと思われます。
国としては医療費削減のために「過剰透析」を取っても良かった訳ですよね。
「過剰透析」という言葉を盾に、透析時間が短い方が有利な診療報酬体系にしよう! そういう動きもあったのですよ。
我々透析患者にとっては、「過剰透析」という言葉は医療費削減に使われてしまうかも知れない危険な言葉なのです。
実際、昨年、こういった言葉が新聞紙上に出てきました。
こちらは「過剰な透析」と間に「な」が入っていますが、最初はどういう意味で使われたものなのかがはっきりしませんでした。
こうして、様々に不安を呼ぶ材料として使われがちなのです。
なので、栄養不足や栄養を引き過ぎてしまう問題は、透析の合併症の1つと考えるべきなのです。
ここら辺の諸事情に気付いていない患者さんもいたようですが、気付いた方もいらっしゃいました。
診療報酬改定2018でなぜ6時間透析に条件付きで時間区分が出来たのか?
夜間や休日透析の点数が増えたのか?
それは正しい透析療法とは何かを追求してきた透析医の先生たちと、そして国会請願を含めた全腎協の力なのですね(*'▽')
しかし、医療費のかかり方が多ければ、いつ、また、診療報酬改定で「過剰透析」という言葉を持ち出されるか・・・(-_-;)
都合よく使われないためにも、いち早く「過剰透析」という言葉を「死語」にしてしまうべきなのです。
栄養不足や栄養成分の引き過ぎは「過剰透析」ではなく、「透析の弊害または合併症」というスタンスで透析界が1本化していくべきではないでしょうか?
また物議を呼ぶかも知れませんが、将来を踏まえてキチンと議論していただけることを期待します。
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僕のあずかり知らぬところで、色々言い合ってた方々がいらっしゃったらしいですね。
後から聞きましたので、どういった内容なのかはよく見えてこなかったのですが。
栄養素が抜けすぎて「過剰透析」と呼ぶのかどうか?
尿毒素が体に残ってる状態を「透析不足」と呼ぶなら、1日8時間透析したって尿毒素の全てを引ききれるものではなさそうですのでね。
栄養のあるなしに関わらず「過剰透析」にはなってないのではないか?(尿毒素を全て引き過ぎると死んでしまうというのであれば過剰透析と言う言葉はありと考えます)
というのが、僕の考えの根本にある訳です。(屁理屈のように聞こえるかも知れませんが実はここは大事な問題なのです。)
患者や医療従事者さんの愛情がないからこそ生まれた「過剰透析」という言葉
恐らく、「過剰透析はある」と考える方々というのは、透析量を増やす事で、アルブミンやカリウム、アミノ酸が大量に抜けてしまい、それによる栄養障害を受ける事を指してるのだと思います。
一方、ある透析病院では、高齢者であっても関係なく8時間以上の透析を受けるように指導している病院もあります。
88歳の方や、90歳の方まで8時間の透析を受けております。
中には週4回のオーバーナイト8時間透析を受けている後期高齢者さんもいます。
現実にこうした患者さんがいる訳でして、栄養が抜ける事を出来るだけ軽減するやり方も存在しており、患者さんにちゃんとした食生活の知識があれば、患者と医療従事者のタッグの力により、長時間透析を受けても問題無くやれてる訳ですね。
まあ、これが僕が言う、「愛情があれば過剰透析などという言葉はいらない」という部分なのです。
「愛情」とは、患者と医療従事者の間に信頼関係が出来ており、医療者のアドバイスを中心に自分の体感と血液データから適切な食事や運動が臨機応変に出来る患者と、きっちり患者の体調を見ながら透析のコントロールが出来る医療従事者における「タッグの力」とも言えます。
人間同士が力を合わせる事は、決して「1+1=2」という単調なモノにはならず、スクエアしていくものなので、「1+1=」が3にも4にもなっていきます。
「過剰透析」という言葉を栄養を引き過ぎる事に使う場合、生きる気力の無い患者さんや、患者1人、1人の様態を見ながら透析を考えようという気持ちが一切無い医療従事者さんの間には当然起きますよ。
しかし、それは互いに「愛情」に欠けるからこそ起こる弊害で、週3回×1回4時間透析がもっぱらの病院のほうが遥かに危険度が高い訳です。
長時間透析の患者さんが増え始めたのは、日本では2005年以降なのです。
それまでは週3回×1回4時間が当たり前の世界でした。(もちろん、長時間透析を受けていた患者さんがゼロだった訳ではありません。)
しかし、その状況で、透析を長く受け続けてきた患者さんの中に「栄養障害」を起こして免疫力の乏しい患者さんがたくさん生まれてきたのです。
あくまで、栄養不足で死んでしまう(免疫力が低下して様々な病気になりやすくなって、その病気で死ぬ)患者さんたちは、4時間透析(またはそれ以下の透析)で出始めた訳ですな。
なぜ、そうなってしまったのかと言えば、これは皆さんも、ご存知の通り、透析膜の向上によって起きた現象です。
時代と共に、より多くの毒素を引けるようになったのはいいですが、同時に栄養素も大量に引いてしまうようになりました。
そこで、それまでの透析食というのが、透析膜の性能と合わなくなってしまった訳です。
これに気付かずにより厳しい摂生を強いるような病院の患者さんたちを見てれば分かります。
栄養が偏り、更に栄養不足が進み、どんどんとやせ衰え、透析年数がたてばたつほど免疫力がなくなっていくのです。
ここに立ちはだかる問題が1つあり、それが1回の透析で行う除水量にあります。
やはり除水量は少なければ少ないほど、心臓に負担がかかりづらくなりますよね。
多ければ、心臓に負担がかかる訳ですから、単純にたくさん食べれば良いというものでもありません。
たくさん食べて除水量が増えれば、それで心臓が悪くなって死んでしまうという事になりますよね。
しかし、たくさん食べなくても栄養不足で死んでしまいます。
もうね、4時間透析には何らメリットが無いと考えても良いくらいです。(透析時間の延長で時間当たりの除水を減らす事が可能になります)
あるとすれば患者の負担量と医療従事者の負担量だけです。
しんどいから4時間で良い・・・(-_-;)
そこに愛情は?
元気に生きようという気持ちが無いのか?
患者を元気にさせたくないのか?
そういう疑問が起り始めたので、「過剰透析」という言葉に「愛情が無い」と書いた訳です。
(あくまで生活上の諸事情はどなたもあると思いますので、一概に4時間透析を否定するものではありません。また患者さんのどの程度生きたいかという部分も大事と思います。)

栄養を引き過ぎる問題は「過剰透析」とは言えない
また、それと同時に「過剰透析」という言葉は「透析不足」の反対語として、出てきた言葉でもある訳です。
尿毒素が引ききれず合併症を引き起こしてしまう事を「透析不足」と言うなら、尿毒素を引き過ぎて予後に不良が出る事を「過剰透析」と呼ぶべきですから、栄養を引き過ぎる事は食べなければ4時間透析でも起きてしまいますので、別のベクトルとも言えますよね。
いわゆる、「過剰透析」という言葉が1人歩きしてしまっている訳です。
これが前章の「1人歩きする【過剰透析】という言葉は何なのか」なのです。
僕はこの前章を出来るだけ抽象的に書いたんですよね。
いわゆる、みんなに考えて欲しかったからです。
恐らく、アチコチから、
「過剰透析はあるよ~(*'▽')」という厳しいツッコミがたくさん来ることを期待してましたし、その後このアンサー記事を書こうとも思ってました。
メッセンジャーやダイレクトメールに5通ほどと、その他アチコチで起きてた議論があったという話が届きましたので、まあ多少は起きてくれてたようで良かったです。
ブログへのコメントが少なかったのでガックリしてしまいましたが(-_-;)
しかし、中には的を射たメッセージをくれた透析仲間もいたので安心しました。
案外、僕の作戦に引っかからなかった人が多かったです(^◇^)
でもですな、前章では書かなかったある裏話もある訳です。
「過剰透析」という言葉は透析医療費削減に利用されてきた
実は、透析界には在宅透析・オーバーナイト透析推進派と、それに反対する勢力がかつてありました。(現在はほぼ終息していると聞いておりますが、実際は分かりません)
それは厚生労働省にも飛び火し、診療報酬にも大きな影響を与えてきたのです。
実際に、人工腎臓の時間区分がなくなったりなどの様々な事がその両勢力によって引き起こされてきました。
その際に、透析時間の時間区分を失くす最大の理由として挙げられた言葉こそ「過剰透析」なのです。
つまり、「過剰透析」という言葉を我々患者達が認めてしまうと、透析はより時間を短くして患者の透析医療費負担を軽減しようという方向性に働く可能性があった訳ですよね。
「過剰透析」という言葉が、長時間透析を食いつぶす要因として使われ、下手をすれば週3回×1回3時間の透析で、1日1台の機械で3人の患者さんを透析するというスタイルが当たり前になっていた可能性がありました。
しかし、厚生労働省も「透析不足」と「過剰透析」どちらが正しいかという事を、世界の透析を踏まえながら見てくれたため、何とか「透析不足」派が最終的に勝利して行ったと思われます。
国としては医療費削減のために「過剰透析」を取っても良かった訳ですよね。
「過剰透析」という言葉を盾に、透析時間が短い方が有利な診療報酬体系にしよう! そういう動きもあったのですよ。
我々透析患者にとっては、「過剰透析」という言葉は医療費削減に使われてしまうかも知れない危険な言葉なのです。
実際、昨年、こういった言葉が新聞紙上に出てきました。
過剰な透析、報酬引き下げ 厚労省、18年度改定で 西日本新聞
こちらは「過剰な透析」と間に「な」が入っていますが、最初はどういう意味で使われたものなのかがはっきりしませんでした。
こうして、様々に不安を呼ぶ材料として使われがちなのです。
なので、栄養不足や栄養を引き過ぎてしまう問題は、透析の合併症の1つと考えるべきなのです。
ここら辺の諸事情に気付いていない患者さんもいたようですが、気付いた方もいらっしゃいました。
診療報酬改定2018でなぜ6時間透析に条件付きで時間区分が出来たのか?
夜間や休日透析の点数が増えたのか?
それは正しい透析療法とは何かを追求してきた透析医の先生たちと、そして国会請願を含めた全腎協の力なのですね(*'▽')
しかし、医療費のかかり方が多ければ、いつ、また、診療報酬改定で「過剰透析」という言葉を持ち出されるか・・・(-_-;)
都合よく使われないためにも、いち早く「過剰透析」という言葉を「死語」にしてしまうべきなのです。
栄養不足や栄養成分の引き過ぎは「過剰透析」ではなく、「透析の弊害または合併症」というスタンスで透析界が1本化していくべきではないでしょうか?
また物議を呼ぶかも知れませんが、将来を踏まえてキチンと議論していただけることを期待します。
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