透析医療に従事するすべてのメディカル・スタッフさんに質問です(*'▽')

あなたは、もしも明日死ぬという事が分かっていても、今日の食事制限・水分制限をちゃんとできるでしょうか?



トシヒーローのサイコネフロロジー透析室


もしかしたら今夜、死ぬかも知れない・・・。
もしかしたら明日の朝、目覚めないかも知れない・・・。

そういう心理が働いてしまうのが透析を受ける患者なのです。

もしも、心臓の痛みや激しい頭痛で、こういった不安を強く感じてる時に、メディカル・スタッフさんから、
「なぜ、こんなにも増えてきたの? 何を食べました?」と厳しく言われたら、人はどのような感情になるでしょうか?

「いや、いつ死ぬか分からないのに、水分制限なんか意味ねえだろ!」

口には出さないかも知れませんが、間違いなくこう思いますよね。


2018-04-11 (2)

(出典元 透析バンザイ!!! サイコネフロロジーって、なんだ・・!?



透析患者と透析医療従事者の温度差に差があり過ぎる


「透析を受け始めたら、余命は10年ですから。」
こういった事をある病院の泌尿器科医から透析導入前に聞かされたという話があります。

なんと、僕の所には同じ先生から3人もの患者さんがそういった話を聞かされたという話まで飛び込んできています。

一体、どういうつもりでそういった事をその泌尿器科医が言ったかは分かりませんが、かなり有名な先生だけにガックリです。

そして、そういう話を聞いてしまった導入患者さんの中には、透析医療に期待を持てず、食事制限の仕方や食事内容にあまり興味を持たなくなる患者もいます。

その患者の行動は、一生懸命頑張ってくれているメディカル・スタッフさんには失礼なのかも知れません。

「こちらがこれだけ頑張っているんだから、もっとしっかり摂生しろよ!」

そう思ってしまうかも知れませんね。

全ては、自分自身の生命の不安や、不甲斐なさへの苛立ちなど、多くの要素が絡み合っているのですが、そういった患者の精神性を一切無視して事を進め、どんどん精神的重圧をかけ続け、急性的な錯乱に追い込まれてしまった患者さんを見た事があります。

患者の心の中と、医療従事者の心の中の温度差があまりにも開き過ぎてるのではないかと、僕は当時思っていました。

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サイコネフロロジーは人工透析に必要なのか


「サイコネフロロジー」という考え方は当時の東京女子医大・太田和夫先生と、精神科医で透析患者であった春木繁一先生によって広げられてきた理論です。

春木先生は1972年から透析40年越えを果たした患者さんでもありました。

1990年には、「サイコネフロロジー研究会」という学会も開催されるようになり、僕の住む香川県からも、香川最大の透析病院であるキナシ大林病院の大林誠一先生が大会長となり、1999年に高松で第10回のサイコネフロロジー研究会が行われました。

他にも多くの有名透析医の先生が大会長に名を連ねております。


実は先日、同級生の透析医療経験者さんと話をした時に、

「実際、透析医療現場でサイコネフロロジーとかをやってる余裕が無いんよね。たまに話に出たりはするけど、現実味は無いかな~。」という事を言われてしまいました。

一方で、知り合いの臨床工学技士さんは、とても興味をもってサイコネフロロジーに取り組んでました。

という事で、メディカル・スタッフさんの間でも温度差を感じる訳ですが、現実に人工透析を受けるようになっても頑張れる患者さんもいますが、逆に頑張れない、生きる気力を保てない患者さんもいる事は確かです。

ですので、透析医療の中では、このサイコネフロロジーという考え方はとても重要な理論ではないかと僕は感じるようになりました。



サイコネフロロジーの発展は多くの透析患者の心を救う


この新たなカテゴリ「サイコネフロロジー透析室」では、100%患者視点のサイコネフロロジーについて考えていこうと思います。

透析患者でありながら、医療に従事している方も多くおられますが、やはり患者視点の無いサイコネフロロジーでは、発展性に欠けるのではないかと危惧しております。

春木先生がいたからこその考え方であり、どうしても医療者だけで話し合われても机上の空論が展開されてしまうのではないかと感じます。

もしかしたら明日の朝、目覚めないかも知れない・・・。

そういった不安の中で、セルフケアを行い、また、社会の中で戦いながらの透析患者さんも多くいらっしゃいます。

透析の事はもう避けようもないです。死にたくありませんから受け続けるしかないです。しょうがないので透析は頑張りますが、できるだけ透析に煩わされず、自分の人生を考える方を優先したいです。

そういう状態の患者さんはかなり多いのではないでしょうか?

常に僕は思います。

僕もそうなんですが、もしも自分の身に何か起きたら、果たして冷静でいられるか。

今のように、「何とか自分が生きていけるだけの生計を立てる」という事を続けられるだろうか?

もしかしたら、明日のモンスター・ペイシェントは自分自身がなってしまうかも知れない。

そんな風な不安はいつだって感じる事があるのです。

結局、僕らは透析医療の中で頑張ってくれている医療従事者さんたちに頼らざるを得ません。

例え、在宅透析を選んだとしても、100%医療との接点を失くすことは出来ません。

そんな中、家族や主治医やメディカル・スタッフさんに、自分の気持ちが一切分かってもらえないような環境にいれば、当然、どんな方でも精神的に厳しくなってしまうでしょう。

サイコネフロロジーは、そういった透析環境の中で、とても重要な位置を占めていると思います。


さて、ここに至るまでに僕はいくつかの記事をアップしました。

いくつかの種をまきました。

それは透析のメディカル・スタッフさんには気の重い話だったと思いますが、お気づきでしょうか?

透析医療の未来について書かせていただきました。

それは、もしかしたら、今後本当に透析医療がドンドン縮小されていくという内容でしたよね。

それをお読みになられた透析のメディカル・スタッフさんたちはどう思われたでしょうか?

「どうせ、透析医療が終わって行くなら、こんな仕事に一生懸命になっても意味がないんじゃないか?」と感じた方はいらっしゃらないでしょうか?

もしも、そう感じた方がいらっしゃったら、是非、サイコネフロロジーを勉強してもらいたいと思います。

僕が、初めて透析を受けた時、感じた事がまさにそれなのです。

「どうせ10年も生きられないだろう。言われたとおりに頑張る事に意味があるのだろうか?」

この思いこそ、患者の精神を狂わせる第1歩なのだと感じます。

透析を受け続けて行く事の意味は、患者自身がセルフで培っていかなくてはならない部分です。

しかし、周りに多くの協力者がいない限り、高いモチベーションを何年も何十年も発揮して行く事は無理があるのではないでしょうか?

そうした患者に多くのメディカル・スタッフさんたちが、精神的サポートをしてくれれば、多くの患者さんの心が救われる。

そういう発展性があるサイコネフロロジーに僕は期待しております。



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