透析環境では1つの大きな「タブー」を感じる事がよくあります。
僕がこの1年、遊びに行ったりしてますと、時々
「国に医療費出してもらってる分際で、人生を楽しんでんじゃねえよ。」というようなツッコミを受けてしまいますね。
こういうツッコミを受けるのではないか?
という不安が誰にもあり、透析を受けてると人生を楽しんではいけない・・・というような心の障壁が出来てしまう事があります。
*病人だからこうしなければならない
*治療を受けてるからこうしなければならない
*しんどい振りをしておかないと、国が医療費を出してくれなくなるんじゃないか?
まあ、こういった心的圧力を知らず知らずのうちに感じる人がいると思います。
確かに、現実にそういう圧力はあるのですが、実際に家に閉じこもっていたとしても、そうなればそうなったで圧力は受けます。
小学校や中学校のイジメみたいなもんですよ。
そこで、それを気にして、なるべく目立たないようにしようという感覚は、イジメを増長させていく事になりますね。
逆らわないという事で、相手を増長させてしまうのですな。
別に透析などを受けていなかったとしても、誰しも世間からのそうした目に見えにくい圧力に怯える事はありますよ。
中学校に上がって、ちょっと生意気な態度をとれば、先輩に呼び出されるみたいな・・・(^◇^)
そんな強迫観念をも透析環境では持ってしまいますな。

僕なんかは「病気依存症」のようなところも持ってましたので、今になってみるとよく分かるんですが、透析を受けてて「病気じゃないと困る」的な感覚を持ってたりしてましたね。
「調子が悪い人」という「存在価値」を自分で作り上げてしまうのですな(-_-;)
人間の精神というのはまさしく複雑怪奇です。
強迫観念や存在価値により、調子が良くて元気に遊びまわったらいけないかのような錯覚を自分自身で作ってしまうのです。
この感覚は分からないという透析患者さんもいると思いますが、逆に分かる患者さんもかなりいると思います。
ただ、はっきりしてるのは、その感覚はあまり良くないという事です。
制約を自分で作ってるので、そういう中でしか生きられなくなってしまいますね。
人間は誰しも羽を持ってるものです。
別に自由に飛び立っても良いのですが、飛ぶ事を「世間の目を気にして」躊躇してしまう。
ん~(-_-;)
実に悲しき事ですな。
映画「ショーシャンクの空に」でレッド(モーガン・フリーマン)が、刑務所の塀の事をこういうのです。
「最初は憎む。そのうち慣れる。そして最後は頼るようになる。この塀の中じゃ俺は必要な人間だ。みんなにモノを調達してやれる。しかし、シャバじゃ電話1本あれば事が足りる。俺など不要な人間になっちまう。」(レッドは刑務所の中で手数料をもらって調達する調達屋をやっている)
つまりですな、慢性腎不全で透析を受けるようになった事も同じ事が言えてしまうのですな。
(透析患者という環境を)
最初は憎む。
そのうち慣れる。
そして最後は頼るようになる。
透析患者だからこうじゃなきゃいけない・・・というのは実は勝手な思い込みでしかないのですが、世間の目もあってその思い込みを正しいと信じ込みたい何かが自分を制御してしまっているのですな。
やがてレッドは「仮釈放委員会」によって晩年に仮釈放となるのですが、19歳で殺人の罪で終身刑となり刑務所に来て40年が経過してました。
その40年の間に刑務所の中でしか生きられない、そういう性質になってしまっているのです。
仮釈放後、「仮釈放委員会」によって用意された部屋と仕事があり、スーパーで働きますが、いちいち責任者に許可を得なければトイレにさえいけない、許可を得ずトイレに行っても、出るべきものが出ない・・・。
そういう40年に及ぶ刑務所生活の中で身についてしまっている習慣に、あ然としてしまう訳です。
一足先に仮釈放で出た仲間のブルックスは、その事に気付き自殺してしまうのですが、レッドはそこから生きる選択をする訳ですな(*'▽')
俺は生きるぞ!
このシーンが妙に僕の透析12年の人生とリンクしてしまうので、ついつい泣いてしまうのです。
僕も言ってみれば、子供の頃から体は弱いほうの部類に入ってましたからね。
病気人生に慣れ切っている部分もある訳ですな。
そこにそうした強迫観念なども加わってきますからね。
ややこしいですな(-_-;)
なので、心の開放というのは大事になってきますね。
そもそも人間として生まれてきて、どう生きるかは自分で決めて良いのですな。
あ~(-_-;)
確かに、何もしないでいれば、余計な精神的負担が無くて済みます。
僕は透析になってから2回転院していますが、転院すると、人間関係がまた1からとなってしまいますね。
メリットもあるけど、デメリットもあります。
環境が変わると覚える事ややるべき事が増えてしまうので、面倒ですよね。
だから何もしないというのが(家でゴロゴロ)1番ラクです。
で、そのラクをする言い訳に、あれやこれやと理屈をつけたがってしまいますね(-_-;)
(^◇^)
そう言えば、昨年の3月に10年ぶりに四国から脱出し、東京へ行った時、お腹の調子が悪くなりましたね(*'▽')
久々の遠出な上に、会う人達も全員初対面でしたからな。
普段、全く緊張しない僕でもお腹に影響が出てしまいました(-_-;)
(^◇^)
今はもうなりませんけどね。
何回も行ってるうちに慣れました。
深夜バスの旅もなかなかオツですな(*'▽')
ま、確かに何かを始めれば、精神的な負担は増えますけど、逆に楽しみや面白い事にも多く出会えてしまうのですよね(*'▽')
なので、普段、病人だからこそ、心の中まで病人をやる必要はないのかな? と思ったりします。
そのためには強迫観念などから心の開放をしてやると良いのではないでしょうか?
生き方は自由。
心が歓喜を上げる事を目指した方が良さそうです(^◇^)
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僕がこの1年、遊びに行ったりしてますと、時々
「国に医療費出してもらってる分際で、人生を楽しんでんじゃねえよ。」というようなツッコミを受けてしまいますね。
こういうツッコミを受けるのではないか?
という不安が誰にもあり、透析を受けてると人生を楽しんではいけない・・・というような心の障壁が出来てしまう事があります。
透析では目に見えない強迫観念がある
*病人だからこうしなければならない
*治療を受けてるからこうしなければならない
*しんどい振りをしておかないと、国が医療費を出してくれなくなるんじゃないか?
まあ、こういった心的圧力を知らず知らずのうちに感じる人がいると思います。
確かに、現実にそういう圧力はあるのですが、実際に家に閉じこもっていたとしても、そうなればそうなったで圧力は受けます。
小学校や中学校のイジメみたいなもんですよ。
そこで、それを気にして、なるべく目立たないようにしようという感覚は、イジメを増長させていく事になりますね。
逆らわないという事で、相手を増長させてしまうのですな。
別に透析などを受けていなかったとしても、誰しも世間からのそうした目に見えにくい圧力に怯える事はありますよ。
中学校に上がって、ちょっと生意気な態度をとれば、先輩に呼び出されるみたいな・・・(^◇^)
そんな強迫観念をも透析環境では持ってしまいますな。

生きやすくなるための心の制約を自分で作ってしまう
僕なんかは「病気依存症」のようなところも持ってましたので、今になってみるとよく分かるんですが、透析を受けてて「病気じゃないと困る」的な感覚を持ってたりしてましたね。
「調子が悪い人」という「存在価値」を自分で作り上げてしまうのですな(-_-;)
人間の精神というのはまさしく複雑怪奇です。
強迫観念や存在価値により、調子が良くて元気に遊びまわったらいけないかのような錯覚を自分自身で作ってしまうのです。
この感覚は分からないという透析患者さんもいると思いますが、逆に分かる患者さんもかなりいると思います。
ただ、はっきりしてるのは、その感覚はあまり良くないという事です。
制約を自分で作ってるので、そういう中でしか生きられなくなってしまいますね。
人間は誰しも羽を持ってるものです。
別に自由に飛び立っても良いのですが、飛ぶ事を「世間の目を気にして」躊躇してしまう。
ん~(-_-;)
実に悲しき事ですな。
映画「ショーシャンクの空に」
映画「ショーシャンクの空に」でレッド(モーガン・フリーマン)が、刑務所の塀の事をこういうのです。
「最初は憎む。そのうち慣れる。そして最後は頼るようになる。この塀の中じゃ俺は必要な人間だ。みんなにモノを調達してやれる。しかし、シャバじゃ電話1本あれば事が足りる。俺など不要な人間になっちまう。」(レッドは刑務所の中で手数料をもらって調達する調達屋をやっている)
つまりですな、慢性腎不全で透析を受けるようになった事も同じ事が言えてしまうのですな。
(透析患者という環境を)
最初は憎む。
そのうち慣れる。
そして最後は頼るようになる。
透析患者だからこうじゃなきゃいけない・・・というのは実は勝手な思い込みでしかないのですが、世間の目もあってその思い込みを正しいと信じ込みたい何かが自分を制御してしまっているのですな。
やがてレッドは「仮釈放委員会」によって晩年に仮釈放となるのですが、19歳で殺人の罪で終身刑となり刑務所に来て40年が経過してました。
その40年の間に刑務所の中でしか生きられない、そういう性質になってしまっているのです。
仮釈放後、「仮釈放委員会」によって用意された部屋と仕事があり、スーパーで働きますが、いちいち責任者に許可を得なければトイレにさえいけない、許可を得ずトイレに行っても、出るべきものが出ない・・・。
そういう40年に及ぶ刑務所生活の中で身についてしまっている習慣に、あ然としてしまう訳です。
一足先に仮釈放で出た仲間のブルックスは、その事に気付き自殺してしまうのですが、レッドはそこから生きる選択をする訳ですな(*'▽')
俺は生きるぞ!
このシーンが妙に僕の透析12年の人生とリンクしてしまうので、ついつい泣いてしまうのです。
心の開放、心まで病気になる必要はなかった
僕も言ってみれば、子供の頃から体は弱いほうの部類に入ってましたからね。
病気人生に慣れ切っている部分もある訳ですな。
そこにそうした強迫観念なども加わってきますからね。
ややこしいですな(-_-;)
なので、心の開放というのは大事になってきますね。
そもそも人間として生まれてきて、どう生きるかは自分で決めて良いのですな。
あ~(-_-;)
確かに、何もしないでいれば、余計な精神的負担が無くて済みます。
僕は透析になってから2回転院していますが、転院すると、人間関係がまた1からとなってしまいますね。
メリットもあるけど、デメリットもあります。
環境が変わると覚える事ややるべき事が増えてしまうので、面倒ですよね。
だから何もしないというのが(家でゴロゴロ)1番ラクです。
で、そのラクをする言い訳に、あれやこれやと理屈をつけたがってしまいますね(-_-;)
(^◇^)
そう言えば、昨年の3月に10年ぶりに四国から脱出し、東京へ行った時、お腹の調子が悪くなりましたね(*'▽')
久々の遠出な上に、会う人達も全員初対面でしたからな。
普段、全く緊張しない僕でもお腹に影響が出てしまいました(-_-;)
(^◇^)
今はもうなりませんけどね。
何回も行ってるうちに慣れました。
深夜バスの旅もなかなかオツですな(*'▽')
ま、確かに何かを始めれば、精神的な負担は増えますけど、逆に楽しみや面白い事にも多く出会えてしまうのですよね(*'▽')
なので、普段、病人だからこそ、心の中まで病人をやる必要はないのかな? と思ったりします。
そのためには強迫観念などから心の開放をしてやると良いのではないでしょうか?
生き方は自由。
心が歓喜を上げる事を目指した方が良さそうです(^◇^)
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コメント
コメント一覧 (4)
医療従事者との関係性もかなーり
左右されてきたから😅 どうして、こんな上から言われないとダメなん?とよく我慢もしてきました。
「私は私らしく朗らかに美しく生きよう。」
ここまで7年近くかかりました笑
よく頑張ったなーわたし(笑)
おお!
拍手👏
僕は10年かかりましたからな~(*'▽')
まーちゃん、優秀(^◇^)
「私は私らしく朗らかに美しく生きよう。」
いいですね~。
よく頑張りました(*'▽')
見習わなくちゃ、
透析8回目の33歳です
時々嫌になって泣いています
希望のブログになりました!
コメント有難うございます。
最初は辛いですよね~(-_-;)
僕もそこからの脱出に10年かかりました。
周りには同じ仲間が大勢いますので、交流を持つなどして会っていくと、そういった事も共有出来て元気になれますよ(*'▽')
同じ病院に同年代の人があまりいませんからね。