血液透析療法を受けるに当たって、最初はあまりピンッと来ないのですが、やっていくうちに徐々に見えてくるものは、「リン&カリウム管理」は患者側にある程度委ねられているという事です。
リン&カリウムも確かに大事なんですけどね。
ここは透析時間を延ばせば、リン&カリウムに関しては重みが減って来る(そこまで必死にやらなくてもあまり上がらない。むしろ下がる方を気を付けるようになる。)ので、割合透析生活がラクになります。
つまりですな、透析病院や主治医によって、ここら辺の患者側の負担の大きさが全く違ってしまっているという事ですな。
僕も2017年は多くの透析仲間と出会いました。
その中でね、全国的にも有名な優秀な透析医の元でずっと透析してきた人と、無名のしかも能力に欠ける透析医の元で透析してきてる人の差を感じますね。
これだけはいかんともしがたい。
僕の知る限りでも、透析医の先生や、優秀なスタッフさんを数多く抱える透析病院は、そこまで多くないですね。
透析医会の2016年末データを見ると、調査対象となった透析病院の数が4,396施設あります。
せいぜい、4分の1程度しか、良いと言える病院は無いものと思って下さい。
残る4分の3の透析病院では、ちょっと普通では考えられないくらいの事が起きてますね。
僕もね、今の病院はその優秀な4分の1に入る病院だと思います。
こういう良い病院で透析を受けていますと、透析に対する精神的負担がほとんどなくなります(受け止め方に個人差はあります)。
僕が透析導入した病院には「病院内患者会」が無かったのですが、やはり患者会はあったほうが良いでしょうね。
何も病院と闘争する目的ではなく、患者会があれば病院側も下手な事は出来ませんよ。
あまり酷い事を起こせば、患者会が動くという事も出来ます(闘争ではなく、なんでそう言う事が起きたかを病院側に尋ねる程度の事は出来ます。)
そういう力を持っているか否かでも、対応は変わって来るのではないでしょうか?
聞くところによりますと、何でも「クレアチニン値(透析前)が高いのは食べすぎなんではないか」と言った医師の話や、「透析中にウトウトしてたら怒られた」のような話はゴマンとある訳です。
もうね、間違った指導をしてる病院が多過ぎますね。
なんでしょうか?
透析前クレアチニンが高いのは食べすぎ?
それを医師が言う?
僕にそんな事言う医師がいたら、
「医師免許返上されたほうが良くないですか?」とついつい言ってしまいそうです。
「透析中に寝たら怒られた。」と言うのも、僕だったら、
「患者のQOLは一切考えない病院なんですね。」と嫌みの1つも言ってしまいそうですな(-_-;)
まあ、確かに寝ると血圧が下がりやすいというのは感じます。
しかし、血圧が下がったら水を入れてもらえば簡単に血圧は上がります。(僕は300~400cc入れてもらいます)
血圧低下時の対処の仕方でも病院によってはマチマチです。
下肢を上げるというのは、病院によってはやりません。
足の血流に問題が生じるという事でやらない病院もあります。
酸素を付けてくれる病院もありますが、僕は個人的にそれで血圧が上がった試しがありません。
血圧が上がるのは「水」を入れてもらった時だけなので、問答無用で「水」ですな。
下がっても、スグ血圧を上げたら、そこまでの問題は起きませんよ。
冷汗が吹くまで血圧が下がるから、血管内に問題を持ってしまう訳ですな。
こんなのトラブルのうちに入りません。
「水」で一撃です。(あくまで僕の場合ですが。)
まあ、血圧が下がると、スタッフさんは仕事が増えますね。
それで寝させたくないという考えのスタッフさんがいる訳ですが、結局、寝てる患者を起こしたり、注意したりしてると仕事が増えてるんで、無意味です。
あれはただの患者いじめのストレス発散に見えてしまうのは僕だけなんでしょうか?
そんなレベルの低い事は、普通以上の透析病院ではやりません。
そもそも、オーバーナイト透析など、寝ているうちに透析をするというスタイルが優秀な病院ではある訳で、患者の精神的負担を考えれば、透析中の睡眠(透析時間を休息に使う)というのは大事です。
寝させないというのであれば、エルゴメーター(足の運動器具)くらい漕がせろ、っていう話ですよ。
エルゴメーターも漕がせない、寝たら怒られる・・・。
患者のQOLや予後には一切興味が無いように感じますね。
それですと、もはや病院とは言えないと思います。
「病いにさせる院」ですな。(精神的な病に)
まあ、もちろん、患者側の問題も多々ありますので、医療従事者だけを責める訳にもいきませんけども。
後ね、個人の受け止め方にも違いがあるんです。
僕は、「逆襲時代」から、「透析患者の精神性」について多くを書いてきました。
透析医療は、透析医療従事者にとっても透析患者にとっても、とても精神が鍛えられる環境ですね。
理不尽が多いです。
患者も医療者も、「透析医療の意味合い」を見失ってる事が非常に多いです。
なんでこんな治療をしないといけないの?
この部分に余計な感想が入って来やすい訳です。
先の寝させない病院では、医療従事者が
「治療を受けているのに寝るのはおかしい。」というような事を言うらしいですな。
この医療者は愚か過ぎて言葉も無いです。
じゃあ、手術の時に全身麻酔とか一切やるなよ!
と、僕は言わせてもらいますよ。
最近は胃カメラでも何でも、寝ている間に終わらせるようなやり方が増えています。
それもやるな。
その病院に通う患者すべてに、「治療中は寝るな!」を是非実践してもらいたいものです。
そして、病院丸ごと潰れて下さい。
誰も来ませんよ、そんな病院には。
しかし、こういった問題を受け流せる精神的強さは確実に身につきますね。
逆に、穿刺でちょっと失敗したくらいで、必死で謝ってるのに怒鳴りまくってるような患者さんもいますね。
なんか、ちょっと前ですが、僕が通う病院の女性技士さんでファミスタちゃん(女子なのに亀梨君に似ている)が必死で謝ってるシーンがあったのですが、なんで患者がそんなに怒ってるのか意味が分からんかったですな。(つまらん事で怒っていたようです(-_-;))
理不尽が起きるのは、お互い様ですからね。
結局、まともな人間ばかりが損失を受けてしまいますな。
で、最近は「引き寄せの法則」まで僕は持ち出してきました。
これね(*'▽')
いいんですよね。
エネルギーフィールドがあり、悪い思考を持っていると悪い事ばかり起きてしまう。
こういう感覚をなくし、良い事ばかりを見れる良心的視野を広げていくのに役立つ訳ですな。
これね、簡単なんですよ。
例えて言いますと、誰でも、「好きな人」と「嫌いな人」はいると思います。
「好きな人」には、その人の「良いところばかり」が目につきます。
「嫌いな人」には、その人の「悪いところばかり」が目につきます。
なぜでしょう?
実際、そうなっていませんか?
そうそう、だから全員を好きになってしまえば、「良いところ」しか目に入って来なくなりますね(*'▽')
そうなると、心が平穏になる訳です。
一方、嫌いな人が増えていきますと、悪いところばかりが目につき、心が乱されてしまいます。
結局、周りに「好きな人が多い」か、「嫌いな人が多いか」で、かなり精神的負担に差が出てしまうのですな。
あんまり負担が多いと、胃の病気になっちゃいますよ(^◇^)
透析患者さんで胃の悪い人多いわ。
結構な薬の量ですし、そこに精神的負担が加われば、そりゃ、胃も悪くなりますよ。
「人を好きになるか、嫌いになるか」なんて、自分の心次第でどうにでも出来てしまいますよ(*'▽')
実に簡単。
嫌いな人も含めて、全部好きになっちゃえば、心が平穏になります。
で、良い波動が出て、良い事が起きまくってる錯覚が起きてくるようになりますね。
ポジティブな人とネガティブな人の差異は、朝起きた時にもう決まっているのです。
朝起きた時に、
「また、しんどい1日が始まる」と思うのか、
「今日も生きてた~(*'▽')イェ~イ」と思うのかだけで、1日がエラク変わってしまいますからな。
世の中に起きる出来事は全て心次第で「良い事」にも出来るし「悪い事」にも出来てしまいます。
「直射日光が暑い!」と思うか、「日差しが気持ちいい」と思うか、人の親切を「大きなお世話だ」と思うか、「優しい人だな」と思うか。
全て裏表なんですよね。
ここに気付いてる人と、気付かぬ人で、人生に大きな差が生まれます。
透析医療とは、ここに気付かせてくれる、とても心が磨かれる世界なのですな。
そして、心が磨かれていけば、医療者さんにとっても患者さんにとっても、優しさに満ち溢れた世界観になっていけるのです。
まあ、僕もですな、例の長谷川豊氏の暴言で心を乱し、似たような発言をしてる人をわざわざ自分からTwitterやFacebookで見つけ出し、意見するというのを昨年の夏くらいまでやっておりました。
ある時、ふと気づく訳ですな。
「こういう事をやっていても、自分の虚栄心は満たされるが、わざわざ見つけてコメントを書き込むという無駄な時間を過ごしてしまっているな。この時間を自分の精神成長と知識向上に充てたら、まだまだ自分は伸びていける。」
そう感じた訳です。
自分自身に何のメリットもない事は「無駄」であると気付いたのです。
そんなコメントを書いて、長谷川論を展開してる人を言い負かしたところで、世の中の世論は何ら変わらない訳ですな。
全くの無駄に気付いた。
そして、そんな時間があるなら、もっと自分の成長に時間を費やそう。
僕らは時間があるようでもしかしたら無いかも知れない。
無駄は省くべきだ。
そうなった訳です。
そうするとですな、悪い波動が消えていったのか、良い事が起きるようになってきました。
これも、心の良心的視野の広がりなんですな。
今まで、見過ごしていた「人のまごころ」や「些細な優しさ」に気付けるようになったからこそ、良い事が起きているという錯覚が起き始めるのです。(実際は今までもあったのに、自分自身の心が曲がっていたために見過ごしていた)
そして、気分が良くなるので、本当に良い事が起き始めるのです。
それはスクエアしていき、どんどん前向きになれる事ばかりが起き始めるようになっていきます。
こういう物事の理に気付いていったのですな。
こういう風になっていくと、何か人に言われたとしても、
「おお! 俺ってすごく期待されてるな!」としか思わなくなってきますね(*'▽')
面白い事に、人間の心ってこんなにも変われるのです。
ちょっと前まで、心の中がグシャグシャだったのに、なぜこうまで変わっていけるのでしょうか?
少なくとも、人工透析を受けていなければ、こうした気持ちになれたかどうか? そういう意味で、僕は「透析医療は心を磨いてくれる」と言いたくなった訳ですな(*'▽')
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リン&カリウムも確かに大事なんですけどね。
ここは透析時間を延ばせば、リン&カリウムに関しては重みが減って来る(そこまで必死にやらなくてもあまり上がらない。むしろ下がる方を気を付けるようになる。)ので、割合透析生活がラクになります。
つまりですな、透析病院や主治医によって、ここら辺の患者側の負担の大きさが全く違ってしまっているという事ですな。
透析病院の水準によってこんなに考えが違ってしまう
僕も2017年は多くの透析仲間と出会いました。
その中でね、全国的にも有名な優秀な透析医の元でずっと透析してきた人と、無名のしかも能力に欠ける透析医の元で透析してきてる人の差を感じますね。
これだけはいかんともしがたい。
僕の知る限りでも、透析医の先生や、優秀なスタッフさんを数多く抱える透析病院は、そこまで多くないですね。
透析医会の2016年末データを見ると、調査対象となった透析病院の数が4,396施設あります。
せいぜい、4分の1程度しか、良いと言える病院は無いものと思って下さい。
残る4分の3の透析病院では、ちょっと普通では考えられないくらいの事が起きてますね。
僕もね、今の病院はその優秀な4分の1に入る病院だと思います。
こういう良い病院で透析を受けていますと、透析に対する精神的負担がほとんどなくなります(受け止め方に個人差はあります)。
僕が透析導入した病院には「病院内患者会」が無かったのですが、やはり患者会はあったほうが良いでしょうね。
何も病院と闘争する目的ではなく、患者会があれば病院側も下手な事は出来ませんよ。
あまり酷い事を起こせば、患者会が動くという事も出来ます(闘争ではなく、なんでそう言う事が起きたかを病院側に尋ねる程度の事は出来ます。)
そういう力を持っているか否かでも、対応は変わって来るのではないでしょうか?
聞くところによりますと、何でも「クレアチニン値(透析前)が高いのは食べすぎなんではないか」と言った医師の話や、「透析中にウトウトしてたら怒られた」のような話はゴマンとある訳です。
もうね、間違った指導をしてる病院が多過ぎますね。
なんでしょうか?
透析前クレアチニンが高いのは食べすぎ?
それを医師が言う?
僕にそんな事言う医師がいたら、
「医師免許返上されたほうが良くないですか?」とついつい言ってしまいそうです。
「透析中に寝たら怒られた。」と言うのも、僕だったら、
「患者のQOLは一切考えない病院なんですね。」と嫌みの1つも言ってしまいそうですな(-_-;)
まあ、確かに寝ると血圧が下がりやすいというのは感じます。
しかし、血圧が下がったら水を入れてもらえば簡単に血圧は上がります。(僕は300~400cc入れてもらいます)
血圧低下時の対処の仕方でも病院によってはマチマチです。
下肢を上げるというのは、病院によってはやりません。
足の血流に問題が生じるという事でやらない病院もあります。
酸素を付けてくれる病院もありますが、僕は個人的にそれで血圧が上がった試しがありません。
血圧が上がるのは「水」を入れてもらった時だけなので、問答無用で「水」ですな。
下がっても、スグ血圧を上げたら、そこまでの問題は起きませんよ。
冷汗が吹くまで血圧が下がるから、血管内に問題を持ってしまう訳ですな。
こんなのトラブルのうちに入りません。
「水」で一撃です。(あくまで僕の場合ですが。)
まあ、血圧が下がると、スタッフさんは仕事が増えますね。
それで寝させたくないという考えのスタッフさんがいる訳ですが、結局、寝てる患者を起こしたり、注意したりしてると仕事が増えてるんで、無意味です。
あれはただの患者いじめのストレス発散に見えてしまうのは僕だけなんでしょうか?
そんなレベルの低い事は、普通以上の透析病院ではやりません。
そもそも、オーバーナイト透析など、寝ているうちに透析をするというスタイルが優秀な病院ではある訳で、患者の精神的負担を考えれば、透析中の睡眠(透析時間を休息に使う)というのは大事です。
寝させないというのであれば、エルゴメーター(足の運動器具)くらい漕がせろ、っていう話ですよ。
エルゴメーターも漕がせない、寝たら怒られる・・・。
患者のQOLや予後には一切興味が無いように感じますね。
それですと、もはや病院とは言えないと思います。
「病いにさせる院」ですな。(精神的な病に)
まあ、もちろん、患者側の問題も多々ありますので、医療従事者だけを責める訳にもいきませんけども。
後ね、個人の受け止め方にも違いがあるんです。
人間生きてりゃ、理不尽も起きます
僕は、「逆襲時代」から、「透析患者の精神性」について多くを書いてきました。
透析医療は、透析医療従事者にとっても透析患者にとっても、とても精神が鍛えられる環境ですね。
理不尽が多いです。
患者も医療者も、「透析医療の意味合い」を見失ってる事が非常に多いです。
なんでこんな治療をしないといけないの?
この部分に余計な感想が入って来やすい訳です。
先の寝させない病院では、医療従事者が
「治療を受けているのに寝るのはおかしい。」というような事を言うらしいですな。
この医療者は愚か過ぎて言葉も無いです。
じゃあ、手術の時に全身麻酔とか一切やるなよ!
と、僕は言わせてもらいますよ。
最近は胃カメラでも何でも、寝ている間に終わらせるようなやり方が増えています。
それもやるな。
その病院に通う患者すべてに、「治療中は寝るな!」を是非実践してもらいたいものです。
そして、病院丸ごと潰れて下さい。
誰も来ませんよ、そんな病院には。
しかし、こういった問題を受け流せる精神的強さは確実に身につきますね。
逆に、穿刺でちょっと失敗したくらいで、必死で謝ってるのに怒鳴りまくってるような患者さんもいますね。
なんか、ちょっと前ですが、僕が通う病院の女性技士さんでファミスタちゃん(女子なのに亀梨君に似ている)が必死で謝ってるシーンがあったのですが、なんで患者がそんなに怒ってるのか意味が分からんかったですな。(つまらん事で怒っていたようです(-_-;))
理不尽が起きるのは、お互い様ですからね。
結局、まともな人間ばかりが損失を受けてしまいますな。
で、最近は「引き寄せの法則」まで僕は持ち出してきました。
これね(*'▽')
いいんですよね。
エネルギーフィールドがあり、悪い思考を持っていると悪い事ばかり起きてしまう。
こういう感覚をなくし、良い事ばかりを見れる良心的視野を広げていくのに役立つ訳ですな。
全員を好きになる事で見えてくるもの
これね、簡単なんですよ。
例えて言いますと、誰でも、「好きな人」と「嫌いな人」はいると思います。
「好きな人」には、その人の「良いところばかり」が目につきます。
「嫌いな人」には、その人の「悪いところばかり」が目につきます。
なぜでしょう?
実際、そうなっていませんか?
そうそう、だから全員を好きになってしまえば、「良いところ」しか目に入って来なくなりますね(*'▽')
そうなると、心が平穏になる訳です。
一方、嫌いな人が増えていきますと、悪いところばかりが目につき、心が乱されてしまいます。
結局、周りに「好きな人が多い」か、「嫌いな人が多いか」で、かなり精神的負担に差が出てしまうのですな。
あんまり負担が多いと、胃の病気になっちゃいますよ(^◇^)
透析患者さんで胃の悪い人多いわ。
結構な薬の量ですし、そこに精神的負担が加われば、そりゃ、胃も悪くなりますよ。
「人を好きになるか、嫌いになるか」なんて、自分の心次第でどうにでも出来てしまいますよ(*'▽')
実に簡単。
嫌いな人も含めて、全部好きになっちゃえば、心が平穏になります。
で、良い波動が出て、良い事が起きまくってる錯覚が起きてくるようになりますね。
ポジティブな人とネガティブな人の差異は、朝起きた時にもう決まっているのです。
朝起きた時に、
「また、しんどい1日が始まる」と思うのか、
「今日も生きてた~(*'▽')イェ~イ」と思うのかだけで、1日がエラク変わってしまいますからな。
世の中に起きる出来事は全て心次第で「良い事」にも出来るし「悪い事」にも出来てしまいます。
「直射日光が暑い!」と思うか、「日差しが気持ちいい」と思うか、人の親切を「大きなお世話だ」と思うか、「優しい人だな」と思うか。
全て裏表なんですよね。
ここに気付いてる人と、気付かぬ人で、人生に大きな差が生まれます。
透析医療とは、ここに気付かせてくれる、とても心が磨かれる世界なのですな。
そして、心が磨かれていけば、医療者さんにとっても患者さんにとっても、優しさに満ち溢れた世界観になっていけるのです。
人工透析は医療従事者も患者も心を磨いてくれる最強のアイテム
まあ、僕もですな、例の長谷川豊氏の暴言で心を乱し、似たような発言をしてる人をわざわざ自分からTwitterやFacebookで見つけ出し、意見するというのを昨年の夏くらいまでやっておりました。
ある時、ふと気づく訳ですな。
「こういう事をやっていても、自分の虚栄心は満たされるが、わざわざ見つけてコメントを書き込むという無駄な時間を過ごしてしまっているな。この時間を自分の精神成長と知識向上に充てたら、まだまだ自分は伸びていける。」
そう感じた訳です。
自分自身に何のメリットもない事は「無駄」であると気付いたのです。
そんなコメントを書いて、長谷川論を展開してる人を言い負かしたところで、世の中の世論は何ら変わらない訳ですな。
全くの無駄に気付いた。
そして、そんな時間があるなら、もっと自分の成長に時間を費やそう。
僕らは時間があるようでもしかしたら無いかも知れない。
無駄は省くべきだ。
そうなった訳です。
そうするとですな、悪い波動が消えていったのか、良い事が起きるようになってきました。
これも、心の良心的視野の広がりなんですな。
今まで、見過ごしていた「人のまごころ」や「些細な優しさ」に気付けるようになったからこそ、良い事が起きているという錯覚が起き始めるのです。(実際は今までもあったのに、自分自身の心が曲がっていたために見過ごしていた)
そして、気分が良くなるので、本当に良い事が起き始めるのです。
それはスクエアしていき、どんどん前向きになれる事ばかりが起き始めるようになっていきます。
こういう物事の理に気付いていったのですな。
こういう風になっていくと、何か人に言われたとしても、
「おお! 俺ってすごく期待されてるな!」としか思わなくなってきますね(*'▽')
面白い事に、人間の心ってこんなにも変われるのです。
ちょっと前まで、心の中がグシャグシャだったのに、なぜこうまで変わっていけるのでしょうか?
少なくとも、人工透析を受けていなければ、こうした気持ちになれたかどうか? そういう意味で、僕は「透析医療は心を磨いてくれる」と言いたくなった訳ですな(*'▽')
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