また、こういう事を書くと、賛否を呼んでしまうんですけどね。
どうしても気になるので書くのですが(-_-;)

ん~(-_-;)
うまく説明できない違和感を感じるんですよね。

どうも、社会に遠慮しすぎなんではないかと(*´Д`)
また、そういう事言う( `ー´)ノ
と、なってしまう人もいると思うんですけどね。

全く社会に遠慮するな、と言う事でも無いんですけどね。

確かに、一部の患者さんの中には、透析医療がどれだけ社会の恩恵を受けているかなどには、興味どころか気付いてない人もたまにいるのは確かなんですが。

まあ、それはその患者さんが無知なだけの話であって、大多数の透析患者さんはその事に気付いて様々な葛藤をしているとは思います。


お笑い世界で堂々と生きる濱田祐太郎さん

ん~(-_-;)
上手に説明できなくて申し訳ないんですが、社会の恩恵に感謝したりするのは良いんですよ。

でもね~。
遠慮しすぎて、隅っこを歩いたり、目立たないようにしようっていう生き方になってる気がするんですよね。

それがちょっと違うかな? と僕は思ってまして。

透析になった事で、陽の当たらない世界を歩かなきゃいけないかのような錯覚を起こしてるのではないかと思うんですよね。

もちろん、堂々と陽の当たる世界を歩いてる透析患者さんもいるんですが、どうにもね、スポットライトを浴びてはいけない的な雰囲気がどことなくある気がしますな。

卑屈になり過ぎてはいないか? という問題です。

なんかね、透析になって、社会の表舞台を歩きづらくなってる感じを受ける患者さんを見かけるんですよね。

社会貢献! 社会貢献! って躍起になって生き方がおかしくなってると言いますか。

この辺は、本人の感覚の問題なので、立ち入れる事でも無いんですけどね。

僕なんかは、正直な所、障害を持ってる人なんかが生活保護受けてたって、何とも思わないんですよね。

もちろん、障害がなくても、実力主義の社会の中で周りについて行けずにニート状態になってる人がいても別段おかしいとは思わないんですよ。

だって、実力社会だからね。
落ちこぼれが出るのは当然であって、実力社会なんだから、実力の高いヤツが実力の劣るヤツを食わしていくのは当然だと思うんですよ。

あくまで、僕の考えですけどね。

某穴のように、実力の劣るヤツを食わす金はねえ! とか思うんだったら、別に実力社会をやめて昔みたいに社会主義的な国にしちゃえば良い訳でしょう。

自由・民主主義を取るか、社会・共産主義を取るかの2択なのですな。

しかし、どっちの主義をとっても、そこまで平等にはならないというかね。

まあ、日本の場合は、米国みたいに金持ちが財団作って寄付しまくるような文化がイマイチなので、勝ち組が社会の中で横柄にしてるだけになってますけどね。

本来は、実力のあるヤツが無い人を食わしていくのは、社会としては当然と思うんです。

簡単に言えば、家庭の中に、例えば兄弟に重大な障害者がいれば、やはり最終的には親や兄弟が面倒見ていくのは当たり前なんですよね。

親が、認知症にでもなれば子が面倒みるのも当然なんですよ。
大変ですけどね。

それが、社会全体でも同じ事が言える訳でして。

じゃあ、迷惑をかけてる弱者は発言してはいけないのか? というと、そんな事は無い訳です。
堂々と発言すればよろしい。
そういうのが自由・民主主義の根幹です。

だからと言って、何でもありで暴走しまくっても良い訳ではないですけどね。

まあ、なかなかね、恩恵を受けてる方の立場でモノを言うのは勇気が必要ですな。

こういう世の中ですからね。

いや、先日もお笑いの「R-1ぐらんぷり2018」で、視覚障害者の濱田祐太郎さんが優勝したんですが、何と言ってもそのネタがほぼ自虐ネタだったので、僕はそれが悪い方にいかないかを凄く心配してました。

ですが、それを吹っ飛ばす何かを濱田祐太郎さんは持っているかも分からないな、と僕はツカミのギャグで少し安心しました。

いきなり、舞台中央に、テレビ局スタッフが体をを抱いて連れて来たんですよね。
そういう光景は、僕らはほとんどお笑い世界では見た事がないので、会場のお客さんも呆然としてしまいますわな(*´Д`)

濱田「あ、拍手なしですか? (会場拍手) ありがとうございます。拍手してくださいよ。お願いしますよ! びっくりした! 俺、客席見えへんから、今お客さんゼロ人かと思ったもん!(会場笑い)」

(^◇^)

ツカミすげ~(>_<)

遠慮無しやぁ(*'▽')

「俺,目が見えん言うてるのに、おばちゃんが私の顔見える? って聞いてくるんや!」

「ダーツとかやらへんの? いや、誰に言うてんねん!」

「盲学校の生徒に、修学旅行でプロ野球観戦ってなんやねん!」

(^◇^)

ものすげえ~(*'▽')

いや、多分ね、こういう笑いですと、必ずって言っていいほど、世の中の斜に構えたヤツらがゴチャゴチャ言いよんねん。(←大阪弁がうつった(-_-;))

という心配をよそに、濱田祐太郎さんは堂々と表舞台に立ってくれました。

これで良いんですよね。
確かに、こういう事にとやかく言う人は、世の中に少数ですが必ずいるんですよ。

まあ、そういう人はほとんど「妬み」なんですよね。

自分が実力社会で浮上できないのに、たった2つのネタで500万獲得した濱田祐太郎さんに対して「面白くない」という感情を持った人なんですよ。(某穴とかね(*'▽'))

一方で、僕や、周りの濱田祐太郎さんを「すげ~!(*'▽')」と思った人は、単純にそういう環境でも頑張っている人を見て感動できる人なんですよね。

この差はデカイと思う訳ですな(^◇^)

DSCN1855


遠慮はいらん。稼ぎまくれ!


何が言いたいかと言えば、障害があるから、社会の恩恵を受けているからという理由で、縮こまる必要はないって事です。

目立つと叩かれるという、恐怖感が誰しもあって、障害者は遠慮しがちなんですよね。

(^◇^)

障害がなくても、社会の恩恵を受けて無くても、目立てば叩かれるよ~(*'▽')

世の中、そういう感じです。

ちょとした過失を探し出して叩かれまくるよ~(*'▽')
「障害」があるか、「社会の恩恵」を受けてるか否かは、あんまり関係なく、出る杭は打とうとする人間が必ずいますからね。

まあ、大体、そういう人は、自分が浮上できないから、他の人間が浮上すると面白くない訳です。

障害者がちょっと人間性が優れてると、人間性の足りない人がとやかく言い始めるのですな。

ま、この場合、僕から見ると、とやかく言う人は全員、アカン人間にしか見えない訳ですな。

人を「妬む」気持ちも分からんではないし、そういうほうが人間らしくて良いけども、しかし、そこで、頑張って成果を出した人間を祝福できないようでは、やはり自分向上は一切出来んやろね(*'▽')

「クソ~! 出るヤツは潰せ!」と思うのか。

「いいなあ。自分も頑張ろう!」とうらやむのか。

この違いは、かなり大きいのではないかと思います。

だから、障害者でも、社会の恩恵を受けている者でも、別に頑張っても良い訳です。


最後は正しいヤツが勝てるようにはなっている


結局、心の正しい人間はいつでも浮上できるけど、心根のアカンヤツは浮上できないという世の中の仕組みに気付かないとダメなんですな。

いや、心根のアカンヤツでも、金持ちはいるで~(*'▽')

(^◇^)

まあ、そういう人はアクドイ事をして儲けてるだけですな(*'▽')

所詮はアカンヤツなので、失脚も早いですから(某穴のように(*'▽'))

今世紀は「心の時代」なのですな~。
「心」が伴わない人間は、それなりの高いリスクを最初から持ってしまう事になります。

結果、危険な真似をしないと、お金すら稼げないという事になります。

なので、心配はご無用(^◇^)

結局は、今の世は正しいヤツが最終的には勝てるようになってます。(途中で負ける事はあるけど、最後は必ず勝てます。)愛は勝つかっ( `ー´)ノ


愛は勝つ
 作詞:KAN

心配ないからね 君の想いが
誰かに届く明日がきっとある
どんなに困難でくじけそうでも
信じることを決してやめないで

Carry on carry out
傷つけ傷ついて 愛する切なさに
少し疲れても Oh・・・ Oh・・・ もう一度夢見よう
愛されるよろこびを知っているのなら Oh

夜空に流星を見つけるたびに
願いをたくし 僕らはやってきた
どんなに困難でくじけそうでも
信じることさ 必ず最後に愛は勝つ

Carry on carry out
求めてうばわれて 与えてうらぎられ
愛は育つもの Oh・・・Oh・・・
遠ければ遠いほど
勝ちとるよろこびは きっと大きいだろう Oh

心配ないからね 君の勇気が
誰かに届く明日はきっとある
どんなに困難でくじけそうでも
信じることさ 必ず最後に愛は勝つ
信じることさ 必ず最後に愛は勝つ

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