なるほど(*'▽')

まあ、僕にしたって怠ける部分をたくさん持ってますよ~。

誰でもあるのではないかと。
特に僕らは慢性腎不全を持ってて、体力に欠ける部分もあるので、踏ん張りが少し弱いと思いますね。

これはもうある意味、仕方ないかな~、とも思うんです。

僕もね、自分の心との葛藤はかなりあります。

いや、子供の頃、凄く虚言壁がありましてね。
自分自身を大きく見せたかったり、言い訳の際に最もらしい嘘をついたり。

まあ、子供の行動範囲なんてたかが知れてるんで、嘘丸出しだったと思うんですな。

20~30歳代は虚言壁と戦った

20歳頃にそんな自分が嫌になってきましてね。
作詞をやってたので、そういう虚言壁はそこでは役に立つんですが(フィクションで描く事が多いので。)自分自身の人生では役に立つどころか、足を引っ張ってる部分になってしまいますよね。

で、かなりの葛藤の末、徐々にそういった部分を失くしていった訳ですな。

しかし、この要素はそう簡単にはなくならず、30歳過ぎて、メールなどが全盛になってくると、また少し虚言壁が出てしまいまして、せっかく知り合って仲の良くなった女性についていた小さな嘘のせいで、その後の進展が阻まれましてな(-_-;)

そこで、やはり、人は正直でないと後々困るな。
という部分に気が付いて、ここはかなり改善できました。

まあ、今後、小説などを書くなどすれば、その虚言壁も役には立つんですが、自分の人生を生きるには「正直」に勝るモノは無いと確信した訳です。

さて、しかし、人の悪いところはこんなにも見えてしまうのに、なかなか自分の悪いところは見えにくいというのもありますね。

ただ、50歳にもなりましたからな~(-_-;) (随分と年をくったもんだ)

多少は自分自身を知ってしまうし、またブログなんぞというツールのおかげで、少し自分が見やすくなったという事もあります。

(^◇^)
そうだ。
僕は、変な所でやたらプライドが高いと言いますか。
例えば、子供と将棋なんぞをやっても「負けてやる」なんて事が出来ないところがありましたね(-_-;)

変な「負けず嫌い」が発動してしまいますな~(*'▽')

これも、うまくやらなければ、上手に世の中を渡って行けない訳でして。
自分を向上させるためには「負けず嫌い」は役に立つんですが、それ以外では邪魔になる事も多いにあります。

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アドラーから「共同体感覚」を学ぶ

今世紀は「心の時代」と言われてもう20年近く経ってきています。

何でもがオートメーション化して行く中、人の心にスポットが当たる時代だと言われてきました。

しかし、一方で、人の生き方や言動にやたら細かく干渉してしまう時代にもなってしまいましたな。

それだけに「自分の心の育成」というのは大事なのではないかと思っております。

よくね、「人の性格なんぞ、そうそう変わらない。」というような事も言われますが、世界3大心理学者のアルフレッド・アドラーは、
「死ぬ前の日まで、人は自分を変える事が出来る。」と言います。

という事で、アルフレッド・アドラーの格言をいくつか紹介しましょう。
アドラーの「共同体感覚」についての格言です。

仕事の課題、交友の課題、愛の課題、
これら3つの課題の
すべてを解決するには、
共同体感覚へと導く以外に
方法はない。

共同体は家族だけではなく、
国家、人類にまで拡大する。
更には、動植物、無生物にまで拡大し、
ついには、
宇宙にまで広がるのである。

個人心理学がいうところの
共同体は得る事が出来ない。
しかし、常に人を招き寄せ、
人に道を示す指標、理想となる。

共同体感覚がまったく
欠けている人はいない。
ただ、勇気をなくしただけだ。

正しい態度で生きる人が
すぐに成功するかは約束できない。
しかし、そのような人が
勇気を持ち自尊心を
失うことがないことは
約束できる。

和田秀樹監修 「アドラー100の言葉」より引用


解説
課題となる事、というのは、自分にとって少々ハードルが高い事になります。
世の中には上手に立ち回れる人もいるのですが、そうでない人もいます。
困難を克服するには、人の協力が必要な場合も多いですし、仲間意識や居場所に支えられるものです。
唯我独尊的感覚では、仕事も交友も愛も、全ての道が絶たれます。

家族や職場や地域社会やサークルなど、いずれの場所でも円満な人間関係が築かれるとは限りませんよね。
理不尽な対応をされたりする場合もあるのですが、そういう逆境の中でもあくまで人を信頼したり連携したりする事で、共同体はどこまでも果てしなく広がり続けるのです。

アドラーは「共同体感覚」という事をかなり提唱してきました。
共同体とは、人が仲間意識を持ち、他人に貢献しうる空間の事を指しています。
この「共同体感覚」というのは、どんな人の心にも存在し、人間の指標であり、理想であると語っています。

どんなに協調性の欠ける人間であったとしても、他人と協力しながら生きていこうとする感覚は失ってはいません。
身勝手な犯罪者であっても、自分勝手な行為を悪いと思うからこそ、嘘をついたり隠したりするのですな。
人生の課題に取り組む勇気を失くすと、自分の殻にこもったり、他人を敵だと考えたりしてしまいます。
そういう場合、「共同体感覚」とは正反対の方向に意識が向いてしまうのですね。
そのような人には「勇気づけ」が必要であるとアドラーは語ります。

正しい態度とは、共同体感覚の元、他人のためになっているという実感をもって活動する事です。
残念ながら、その行動は、すぐにも社会の評価を得られる事ではありません。
しかし、自らの思いで他人や社会に役立とうとする事は、確信をもって行動してる分には、他人にどう思われようと揺るぎの無い強い思いとなります。
人生の満足感も失う事はありません。
自分も他人も信頼し、他人のためになる行動をする。
それが自分を変える新しい人生となるのです。

(参考文献 和田秀樹監修 「アドラー100の言葉」)






「正しい」行動をすれば良いだけ

「引き寄せの法則」と「アドラー」を比べますと、「引き寄せ」では、心に思う事が先で取っつき易いのですが、「アドラー」は生き方そのものに言及していますので、少々窮屈に思えます。

しかし、どんな努力もなく、人生が思うだけで幸運に恵まれる訳ではありませんよね。

やはり、取り組み方が問われてしまいます。

これを「実現化」するにはどうしたら良いか。
そういう思考の元、工夫して行かねば何事も成せません。

そのためには「アドラー心理学」は避けて通れぬのです。

アドラーは、「共同体感覚」の重要性を解きました。
答えはここにあるのですな。

「共同体感覚」を持ち、他人のためになる事をしよう。
そういう意思から新しい人生が始まると語ってます。

そして、正しい行動をしていれば、絶対に揺るがないとも語ってます。

つまり、人は、「自分が正しくない」と思うからこそ、迷い、躓き、嘆くのです。

ならば、正しい事をすれば良いだけ。

絶対に揺るがない自分構築は、その行動の「正しさ」にあるのですな。


アドラーの格言を実行するのは難しい。今こそ引き寄せだ

(^◇^)
とまあ、アドラーを学ぶと、自分がどうすべきか、分かるんですけどね。

しかし、そりゃ、「難しいなぁ・・・(-_-;)」となってしまいますな。

ソコ!
ソコです。

このタイミングで、「引き寄せの法則」を使ってしまいましょう(*'▽')

自分自身の能力を信じる事です。

「俺は世界最強。瞬時に1億でも稼げるぜ(^◇^)」と気分を明るくし、前向きに正しい行動を取る。

これしかありませんな(*'▽')

指標も理想も持たぬ者は、「共同体感覚」から外れ、殻に閉じこもって世界が敵になってしまう。
人工透析で最初に僕が感じていた部分ですな。

ここからの脱却。
たくさんの仲間が出来た事が「共同体感覚」の芽生えだったのでしょう。


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