「あれをもう1回やれ! って言われたら、もう出来ないかも知れない。」みたいな事ってありますよね。

あれが出来たんだから、これも出来るだろう(*'▽')
という思考は結構大事かも知れませんね。

透析人生もそれに通じると思いますな~。

「愛という名のもとに」に詰め込まれた心の世界

遠征に行きまくったおかげで、透析20年~45年くらいの長期に渡り透析を頑張ってきた人たちと多く出会ったり、知り合ったりしました。

んな~(-_-;)
ものすげえ(>_<)

6歳から透析34年(>_<)
えっ、27歳で透析26年(@_@)
えっ、36歳で透析36年(@_@。

とてつもねえなぁ。

そういう人達が笑顔で語っているのを見ると、すっかり魅了されてしまうのですが、僕にしたって11年半以上(2006年7月透析導入)の透析人生を送ってきた訳でして。

これが出来るんなら、大概の事はやってのけられるのではないかと思ってしまいますな。

「引き寄せの法則」の事もありますし、
「僕には出来ないかも知れない。」と感じてしまうよりは、
「僕なら出来る!」と思い込んだほうが好結果が出やすいのです。

その下地となるのが、過去の自分が頑張った経験だったりします。

僕も、あのブラック企業時代に、明け方4~5時まで仕事し、会社のソファーで寝て、7時には起きて会社近くの24時間営業の健康ランドに行って風呂に入り、会社に戻ってまた仕事、という経験をしてる訳でしてね。

あの地獄の日々を2年近くに渡って(休み無しですよ。)耐え抜いてきたので、何でも出来る気がしない事も無いですな(*'▽')

というか、あの時も、別に言われてやってた訳でなく、自分から仕事を獲得し、ガンガンやって行きましたからね。
とにかくあの時代は、周りに早稲田や慶応を出てる有能な人が多かったため、本能的に絶対負けられないという強い思いがあったのでしょうな。

そういうのは、プライドとか虚栄心だったりとかするのでしょうが、人には本能的に優位に立ちたいという思いがあって、信じられない力を発揮できてしまう事があります。

ま、自分自身というのが最も見えにくいものですからね。
人の事はよく分かるのに、自分の事は見えない(-_-;)

過去の自分を辿って色々分析していけば、自分自身があの時、どういう思考に陥っていたかが分かる場合がありますね。

そう言えば、ドラマ「愛という名のもとに」で、教師の貴子(鈴木保奈美さん)が、クラスの連帯感と仲間意識、同じ戦いからの信頼感などが生徒たちの将来に役立つと信じて、学校や父兄から反対されたマラソン実習を強行するシーンがありましたね。

みんなで助け合いながら、ゴールしたシーンは感動的でした。

愛という名のもとに 第1話


みんながこれから出て行こうとしている社会って辛いことたくさんあるの。
迷路みたいに抜け道なんてどこにもなくて。
そんな時支えてくれるのは友達しかいないと思うの。

今のみんなは高速道路アクセルいっぱいでめいいっぱい走ってる。
ブレーキを踏んだら置いていかれる不安でどんなに眠くとも脇目もふらずに、、、

死んじゃうわよ!

わたしはちっぽけな教師だから進学校で勉強をセーブしてなんて言えない。
ただたった一度でいいからインターンで降りてみてほしいの。
周りの景色を見て欲しいの。みんなで景色をみたいの。
みんなで何かやったっていう積み重ねが生きる支えになるから。

「愛という名のもとに」 心に刺さる名セリフ集より


人工透析も同じ要素がある気がしますね(*'▽')

同じ戦いをしてる仲間として、なんか妙に親近感が湧いてきたりします。

普通、初対面とかですと、「信頼」などはその時点で「ゼロ」であるはずなんですが、「透析を受けている」という事だけで、初めて会う人でも「信頼」が1や2からスタートできる感じがするんですよね(^◇^)

不思議な感覚です。

教師が女生徒犯しちまってよぉ
他人を傷付けたり
蹴落としたりする事でしか
自分の存在を見つけらんねぇ
そんな世の中でよ 信じられんのって
仲間とかそういうもんしかねえんじゃね~のか

「愛という名のもとに」時男(江口洋介さん)の名セリフ


DSCN1758


「自分の存在」って一体なんだ(-_-;)

人間は神じゃない
正義感を振りかざすのもいいが、周囲の人間にとっては
それは、時に暴力にもなる

「愛という名のもとに」健吾の父(竜雷太さん)の名セリフ


グサッ(-_-;)

僕も書く事とかドンドンなくなってきて、自分の心の中をさらけ出していくと、案外にも潔癖な所があって、普段なら絶対口にしない暴言となってしまう事がよくあるんですよね(-_-;)

「ペンは剣よりも強し」と言いますからね。

外傷を与える訳ではなく、心をえぐる事が出来てしまうんですな。

やはり、心のどこかで、自分の存在価値を無理に高めようという、そういう思考が働いているんだと思いますね。

そう言えば、純(石橋保さん)が、障害者施設で福祉をやってる人に、
「偽善だ!」と言って散々罵るシーンがありましたね。

罵られながら、その福祉をやってる人は、最後に優しくこう言うんです。

「だったら、君が本当の福祉をやればいい。」

グサッ(-_-;)

まあ、僕の感覚で言うと、「偽善」か「偽善」じゃないかは全然問題ないんですよね。

「偽善」だろうと何だろうと、誰かの助けになるというのは、素晴らしい事でしかないと思うんですが、違うんでしょうか?

そもそも、「偽善」なんて言葉は、人に優しく接する事が出来ないような人が、人に優しい人間を妬んで言う言葉にしか聞こえないですな。

純の憤りも全く分からない訳ではありませんが、人はやはり、自分の存在を人に知らしめたいという潜在意識があって、何かをしようとするものではないかと思います。

だから、「偽善」は全然OK。
存在価値を示すため、暴力行為などに及ぶ人もいますからな。

ペンもそうだしね。

そういうのよりは「偽善」のほうが100倍マシなような気がしますが。

僕も文句を言うのは簡単なんですが、

「だったら、君が本当の福祉をやればいい。」ですな。

やはり、言うなら本当の何かを自分がやってのけるしかないと思うようになりました。


人工透析を受けるようになって

僕はブログを書くようになって、心の内を書き連ねてきたおかげで、心の中が整理でき、かつての心の負の遺産が徐々に喪失していってる気がします。

というのも、かつては僕は、「人工透析」という終わりの無い旅をとても苦痛に思っていました。

ところが、徐々に自分が見えて来てしまい、逆に「時間が足りない」という焦りのほうが大きくなってきましたね。

やりたい事が明確になるにつれ、「人工透析」が終わりの無い旅ではなくなってしまいました。
そんな事はどうだって良い、と思うようになったのですな。

終わろうが、終わるまいが、そんな事はどっちでも良いと思います。

「透析患者の逆襲!」で初期に書いた事を見ても、たった2年ほど前の僕の感覚とのズレがかなり生じていますな。

これは時間経過と共にそうなったのか、仲間との出会いでそうなったのか、はたまた自分が成長しているのかは分かりません。

とにかく、散々、「人工透析」の事を書いてきて、溜まっていた心の膿を出しきったのかも知れませんね。

(^◇^)
透析がいくら進化しようとも、心の膿までは濾過してくれませんからな~(*'▽')

ブログを書き続けた事は、正解だったかも知れません。

もうね、時男(江口洋介さん)に憧れまして(^◇^)
ちょっと破天荒で社会適合性は無いんですが、翼の生えた自由な生き方に魅了されましたな~(*'▽')

という事で、僕の中でも、心に残る3大ドラマとして想い出に残ってる「愛という名のもとに」の名セリフから書いてみました。

やはり、最後はこのセリフでしょう。

このセリフで、あなたはどんな気持ちになるのでしょうか。



どれだけ歩けば人として認めてもらえるのだろう

いくつの海を越えたら白い鳩は砂地で安らげるのか

友よ、 その答えは風に吹かれている

答えは風に吹かれている・・・




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