まあ、全然反論して下さって構わないのですが、こちらは顔も名前も住所もすべて出して書いております。
好意的なコメントであれば構いませんが、反論の類や厳しい意見などは、しっかり何者であるかも書き込んでおくのが礼儀だと思います。
礼儀の無いかたの反論などは気にもしませんが。
人に「失礼だ」と罵る前に、まず自分の名前は出さないという無礼をもって対応するのはいかがでしょう。
ドコの何者であるかを出さずに反論する行為は、ネット上を腐敗させてるだけですのでご勘弁いただきたいですね。

これまでも、自分の名前を出して反論されている方もかなりいます。
それが正しいと思いますね。

「ナナシ」とか「通りすがり」などの類はただの嫌がらせですね(^◇^)
まあ、僕はそういう嫌がらせ人間であっても笑顔で暮らせるように祈って差し上げますけどね(^◇^)

今のままでは全員が笑顔で過ごせる透析界には程遠い

今回、貴重な意見がありました(>_<)

いまちゃんは以前、お会いしてますし、全く問題無いのでドンドン思った事を書いて下さってOKです(*'▽')
また、山羊先生もお会いした事は無いのですが、恐らく今年中に1度お目にかかる可能性が高いですし、僕の方は先生をよく存じてますので、全然ご意見下さって大丈夫です。
友人のアドバイスとも取れますので、ドンドン書き込んでいただけますと有難いです(*'▽')

その他1コメントを含めて、ブログ記事で返信させていただこうかと思います。

良いテーマを出していただきまして有難うございます(*'▽')

問題になってる記事がこちらです。

評判の悪い透析病院で働く人の気持ちが分からない(-_-;)

(^◇^)
まあ、問題にはなるでしょうね(-_-;)

一生懸命働いてる方からすれば面白くない記事かとは思います。

言い訳になってしまいますが、僕自身は透析界を全員笑顔にしたいという信念があります。
その自分の信念にしたがって書いております。
その辺りもご理解していただけますと有難いです。(どこかの某穴のような炎上狙いで書いてる訳ではございません。また、不毛な議論をするつもりもありません。)

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では、まずは「いまちゃんさん」のコメントからです。

2. いまちゃん 2018年02月03日 15:43
こんにちは

透析を受けている患者側からしたら、言わんとすることはわかるのですが、外に働きに出ている人間として言わせてもらうと、なかなか理想と現実というものがあると思います。
家族がいる以上、生きていくために収入を得なければなりません。

看護師になろうと思った人が、就職先を決める場合、家から近い、人間関係が良好、給与面など待遇等で決めると思います。
まぁ中にはこの先生の下で働きたいと言う思いで選択する人もいると思いますが。

病院の良し悪しは院長及びその周辺の経営に関わる人で決まるもので、スタッフ個々にあまり関係がないんじゃないかと思います。
スタッフの良し悪しはあくまで個人の問題で良い病院にも性格悪い人もいると思いますし、悪い病院にも性格いい人もいると思います。

私も透析患者ですし、スタッフに対して腹の立ったことも多々ありますが、今日のブログの内容は読む人によっては反感を買いそうな内容だと思い、透析患者側と言うより、会社勤めをしている人間としての意見を述べさせてもらいました。
すべての人が自分のやりたい仕事につき、理想的な環境で仕事ができているわけではないと思います。

私も頭下げるばっかりの仕事…
しんどいですけど、身体障害者ですし、歳もとってますし、他に行くところもないですし、与えられたポジションでベストを尽くすしかないと思い頑張ってます。

そう人も多いと思いますよ。

すいません、長々と。

いまちゃんのおっしゃられる通りですね。
ごもっともだと思います。

ちょっと内容的に誤解をさせてしまったようで申し訳ないです。
御不快であれば謝ります。
すいませんでした。

ただ、僕としてはいまちゃんがやってる仕事や、僕がやってるような仕事と、医療従事者は全く別物と考えております。

警察官、教師、医師、看護師、政治家などの職業は「聖職」と考えております。
そもそも、信念無き者が携わると、汚職などがはびこり、社会腐敗の原因になると思います。
そこも踏まえた記事である事をもう少し、僕も明確にすべきでしたね(-_-;)

これらの職業といまちゃんさんの職業では性質が違います。
当然、日々の生活のために人は働くのですが、それだけで十分である職業と、それだけでは許されない職業があるという事です。

そこも踏まえて頂きまして、その他のコメントも見て頂きましょう。

3. あーさん 2018年02月03日 23:15
私が働いている透析施設は医師が向上心の高い人です。
私自身は技士でも看護師でもありませんが、現場を見ているとついていけずは脱落していくスタッフをたくさん見てきました。医師の指導も厳しいですし、多くの患者さんのデータ解析やコンディションに合わせた透析を考えたり、合間に勉強会や学会発表があったりと残業も多くなりがちです。
おそらく自分の時間や休息もうまくとれていない者もいるかもしれません。
それだけのことをしても応えてくれない患者さんも多くいます。
ですが、残っているスタッフは向上心が高い者だけではありません。
いろんな患者さんがいるようにスタッフにもいろいろあると思います。
今日の記事は理想論のように思えました。

本来ならば、自己紹介も無く、どのようなお立場から書かれているコメントかが分かりませんので、当ブログコメント規約において、反映すべきコメントではありませんが、内容が良かったので反映させて頂きました。

4. 山羊 2018年02月04日 17:25
>そういった病院で働くスタッフさんの心理が分からない
>ああいった病院で働いている人間は、そもそも金の為だけに仕事してる
>主婦の看護師さんで、通勤距離の問題でそこで働いてる

他の方も指摘されていますが、良い透析をしている施設には、良いスタッフが集まり、患者さんもハッピーになれる…というお話は、少し理想化しすぎでしょうか。

私が想像するに、透析施設で働くスタッフの方々は、透析医療に関わるのがダメでないことを大前提として、給与などの雇用条件、通勤のしやすさ、(働いてからは)職場の人間関係などで、選択しているのではないでしょうか。良い透析とはこういうもだという考えを持ち、それが第一で、先に書いた様なことは二の次と言えるスタッフは、そう多くないのでは?

また、現状では、特化して良い透析をしている施設というのは少なく、比較的多いのは、平均的な治療の提供を基本としている施設ではないかと思います。従って、働く方々も、自分の施設が「悪い」施設だけど、我慢して働いているという感覚はないでしょう。

おそらく一般の企業に勤めている方も、社会貢献をしている優良企業でなければ働かないなどとは考えておらず、売り上げを増やすことが目的でも、反社会的な業務でなければいいか程度の人の方が多いのではないかと思います。

自分も経営者になってわかりましたが、燃えるスタッフばかり集まる/集めるということはなく、普通の意欲の方にしっかり働いていただけるということの方が重要です。良い透析を前面に出しているからといって、どんどん意欲的な方の応募があるなんていうことはありません。

それぞれ貴重な意見を有難うございます(*'▽')
なるほど。
まず、「理想」という部分に関して、僕は御二方とは違う意見を持っております。
そこから話さなければならなかったようですね。
説明不足で申し訳ありません。

そもそも、僕は先も申しましたように、医療従事者(この場合、事務方は含まないと考えます)という職業は「聖職」であると考えます。
信念無き「聖職者」は「聖職者にあらず」です。

他にも職業は多々あります。
日々の生活を全うしたかったり、単に金儲けがしたいのであれば、他の職業を選ばれれば良いかと思います。

また、医療従事者は資格を持ったプロフェッショナルでもあります。
「逆襲」時代にも書きましたが、新人であろうとベテランであろうと、患者にとっては関係ありません。
新人でもベテラン同様の職務を期待されて当然であると思います。

とても厳しい意見である事は重々承知しておりますが、そもそもプロとは結果を求められる世界であります。
本来ならば、新人だからと言って穿刺を失敗しても良い訳ではありませんが、心優しき患者さんからは「新人という事で大目に見てもらってる」場合も多々あるかと思います。
しかし、本来ならば、「新人」である事に甘んじていてはいけない職業です。
それがプロです。
プロセスは見てもらえない、結果だけしか見てもらえないのがプロですから。

「理想」をこういった形で振りかざす人間がいないと、たちまち腐敗するのが世の中でございます。
「理想」を振りかざされたくらいで、心が乱れるようでは困りますね。

どの世界にも、「理想」を振りかざす人間はいます。

例えば、政治では「理想」がなければ、汚職まみれとなり、とても国民を安寧に導けません。
国民の生命と財産を守るのが政治である以上、当然、アチコチから厳しい意見が飛び出します。
別段、それが不思議な現象ではありませんね。

一方、警察なども、警察が金持ちや権力者を優遇したりすれば、たちまちおかしな事になってしまいます。
国民は平等という観点から、公平な捜査がされなければなりません。
また、警察官自らの犯罪なども困る話です。
そういった「理想論」がなければ、やはりたちまち腐敗してしまうでしょう。
警察も資格が必要なプロフェッショナルな仕事です。
新人でもプロであるという自覚が必要ですね。

また、教師も昨今は子供への性的いたずらをするような非道教師の話題がニュースソースを賑わす事もあります。
こちらもプロであり「聖職者」です。

さて、医療従事者はどうでしょう。
やはり、僕は「聖職者」であり、「プロ」であると思います。
理想を振りかざされて不快になられるようでは困ります。

なぜか?
聖職者だからです。
国民が100%の信頼を持って、頼りにする存在だからです。

ここにほんの少しの疑念も持たれてはならないのです。

腐敗した政治家が罵倒されたり、犯罪を犯す教師や警察官が罵倒されたりすると同様に、やはり医療従事者でも問題があれば罵倒される世界です。

そもそも、国民が100%信頼してお任せしてる職業ですから。

それに見合う対価が払われてるとも思いませんし、仕事もブラック企業並みの過重労働である事も僕はよく知っております。
しかし、やはり、そういった職業をわざわざ資格をとってまで志す以上は、並みの根性では務まらないと思います。

別に他の聖職でない職業は山ほどある訳ですから、信念無き場合は他の職業で日々の生活をするなり、金儲けをすれば良いのです。

とまあ、こういった部分が抜けていたために、不快になられた方も多いでしょう。

しかし、僕は自分の信念に従って書いております。
患者もそうです。
透析医療では、医療従事者がとても過重労働で大変な事も理解し、自分に出来る事は自分でしっかりやり、お互い協力的でウィンウィンの関係性を保てなければ話になりません。

これが出来なければ、透析は社会の足手まといとして、いつまでも罵倒され続け、批判の的にさらされるのです。

透析患者は、常に社会の批判にさらされ、そのせいで透析導入を見合わせようという慢性腎不全患者んも出始めました。

それが正しい世の中なのでしょうか?

僕自身は、3つの透析病院で透析してきており、様々な医療従事者を見てきました。
子供の頃から入退院が多く、たくさんの方にお世話になって来ました。
もちろん、感謝する事も多いです。

2014年、僕は某病院で心臓カテーテル検査をし、造影剤のせいか「じんましん」に襲われ、顔が腫れあがりました。
その時、看護師さんが何度も冷やしたタオルを持って来てくれて、顔を冷やしてくれました。
有難かったですね。
とても、こちらのニーズに合う看護をして頂けたと、素直に感謝出来ました。
名前も知らない看護師さんです。

一方、過去の透析病院では、80代の高齢患者さんが4.5キロの増え幅で透析に来ていました。
普段はちゃんと摂生出来ている患者さんでしたが、何かあったのでしょう。
その日は増えて来ていました。
この患者さんに対し、そこにいた臨床工学技士さんが何と言ったか。
「はい!罰ゲ~~~ム(^◇^)」
「しんどい思いをしてもらいましょ~~(^◇^)」
と言って、4時間でその4.5キロを全部引こうとしました。

それを他の看護師たちとケラケラ笑いながら本当に4時間で4.5キロの除水をやっていたのです。

僕は近くのベッドでしたから、その様子をつぶさに見ていました。

当然、そのおばあちゃんは、2時間で血圧が急低下し、失神してしまいました。

このような現場を見た事がある僕にとって、医療従事者とはいかなるものか? という事を厳しく問う事が罪なのでしょうか?
むしろ、その厳しさも医療事故を防ぐには必要だと思いませんか?

透析患者たちは、透析医療の厳しさに耐え兼ね、ついつい愚痴を言ったり、医療批判したりします。
その一方で、透析医療従事者たちは、患者の精神性を批判したりします。

確かにお互い不快な事は多いでしょう。
それは認めます。
が、このままで全然良いと思うのであれば、仕方ありませんが、誰かがやはり理想を説いていかないといけないのではないでしょうか?

人工透析では、ある有名透析医の先生により、「患者のプロ化」という事を進言されています。
ですので、僕も進言します。
透析医療従事者も「プロ化」して下さい。
自分がアマチュアのままで患者にだけプロ化を要求しても無理があります。

全員がプロ化していかないといけない訳ですから。
自分達はプロという自覚があるから、患者に「プロ化」を求める訳です。
そういう医師は特に優秀なかたなのでしょう。
よく存じております。
しかし、現代医療では残念ながら一部プロとは言えない医療従事者もおられます。
そこに批判があまり出ておりません。
むしろ、批判が出た時は、医療従事者たちがよってたかってそういった批判に批判返ししてる姿をよく見受けますね。
全く持って不届きですね。

患者の精神性は問うが、自分たちの精神性は問わないというのはおかしな話です。

まずは、自分達が「聖職者」である事、「プロフェッショナル」である事の自覚が足りていないと思います。
内部で、そうした議論はされないのでしょうか?

今後も、同業者をかばい続けるのでしょうか?


今回は、僕はこの辺りを問題提起しております。

昨今、サイコネフロロジーという透析患者の精神性を勉強されている医療従事者さんも増えて来ております。
一方で、僕は、医療者の精神性を勉強する勉強会も必要なのではないかと考えております。
でなければ、先のような思わぬ透析医療が起き、患者が苦しめられる場合もあるのです。

透析患者が透析医療の中で精神をおかしくしてる部分は多少なりともあるでしょう。
一方、そういった患者さんの面倒を見続ける事によって、精神的に弊害を起こしてしまい、患者に攻撃性を持つ医療者さんに対する対応の勉強会が必要になってきてると思います。

高齢者などは、僕のように遠くの病院へ通えません。
仕方なく、地元の病院で透析を受けなければならない場合もあります。
理不尽な目に遭っても、何かを言えば
「転院しろ!」などと暴言を吐かれる医療者さんもおりますよ。

高齢患者さんにそのような態度をとる医療従事者も存在してるのです。
僕はそういう現場を何度も目撃したり、実際被害に遭って泣き寝入りした患者さんとも多く出会ってます。

ですから、問題記事となった記事は、序章なのです。

今後、僕はそうした透析医療の中で精神的に追い込まれていく医療者さんの精神分析をし、そういった医療者さんにどう対応すべきかという部分も患者会などで話し合わなければならないと思っております。

ただ、これは「人は鏡」という部分でもあります。
患者さんにも責任がありますが、では、医療者さんには一切の責任はないと考える医療者さんも多いですね。
全然違っております。
お互い様です(-_-;)

そこに気付き、お互いがウィンウィンになるにはどうしたら良いのか?
そこに重点を置いたサイコネフロロジーと医療者さんの精神性問題かと思います。

ただ、一つ擁護したいのは、医療従事者とて人間です。
やはり、患者が医療従事者に完璧を求めすぎるのは違うと思っております。
命に関わるミスは困りますが、そうしたミスから多くを学んで頂けるのであれば、全く問題ないかと思います。
ただし、反省や成長に繋がらないようでは、やはり「信念」無き聖職者となってしまうと思います。
難しい局面は多々あろうかと思います。
僕なども、その局面ではどう対処するのだろう? と思いながら見てたりします。
そういう中で、信念のある医療者さんと無い医療者さんでは大きく対応が変わる事を僕は感じますね。

今回は、とても厳しい事を書きました。
恐らく、更に御不快になられる方も多いでしょう。
しかし、この部分を突破できなければ、到底、全員が笑顔で過ごせる透析界にはならないのです。
皆様のご理解をよろしくお願い申し上げます。
(なお、ご意見等はドシドシ書いて下さって構いません。しかし、ドコの何者であるかは明確にお願いします。こちらは顔も名前も出しております。)



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