6時間透析のおかげで絶好調が更にパワーアップしてしまった僕なんですが、こういう状態ですとついつい見落としがちな事もあります。
というのも、人工透析を受けているという事は、僕らどえらい病気を抱えている事に違いはありませんから。
僕がこうして調子に乗って元気報告をしている間にも、とても苦しい状況に追い込まれている仲間もいるのですな。
というのも、人工透析を受けているという事は、僕らどえらい病気を抱えている事に違いはありませんから。
僕がこうして調子に乗って元気報告をしている間にも、とても苦しい状況に追い込まれている仲間もいるのですな。
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
僕もちょっと前までは自分の死期について随分と考えさせられました。
いや、正直な所、49歳で死ぬ予定でしたからな~(-_-;)
49歳というのは織田信長や上杉謙信や夏目漱石が亡くなった年齢でもあります。
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
とは、松尾芭蕉の俳句です。
これを初めて聞いたのは小学校の頃だったと記憶してますが、当時は体が弱く、よく高熱を出す子供だったので、この句の意味が凄く良く分かりました。
ん~(-_-;)
小学生に分かっちゃいけない句のような気もしますが・・・。
憧れの人たちが49歳で亡くなっていたので、僕自身も38歳からの透析ですから、49歳辺りが一つの山場かと思っていたんですよね(-_-;)
と、思っていたら、49歳が僕の一つの節目となってしまいました。
たくさんの仲間たちに出会い、透析生活の中でもっとも躍動的で元気な状態となってしまい、50歳を迎えてしまいました(-_-;)
なので、最近は自分の死期などはほとんど考える事が無かったのですが、ちょっと最近色々ありまして、ふと心をよぎったのです。
僕も、仲間が旅立つところは、透析11年半で何度も体験しました。
その中で大きく心を乱した事もありました。
仲間意識が強くなる事で、仲間の死が受け容れられないという事態も起きるのですが、かと言って、その仲間たちには数々の勇気をもらってもいます。
複雑ですな。
という事で、自分の死期をどう過ごすかというのは何となく大切な気もします。
仲間の死で心を乱すという事は、僕が仲間の心を乱すパターンもあるのですからな。

仲間の旅立ちと仲間へ与える悲しみ
ただ、今は感覚が大きく変わってきた気もします。
というのも、人間、別に透析を受けていなくてもいつかは死ぬ訳ですからな。
透析を受けてるから死ぬ訳ではなく、死ぬ時はやはり自分の寿命かとも思えますからね。
80代や90代のじいちゃんやばあちゃんが元気に透析を受けてるところも見てますし。
透析など受けていなくても30代で突然死する人なんかも見かけます。
まあ、どうせいつかは死ぬ訳ですからな。
熱く生きて前のめりに死ねばいいかと、ある種、開き直りのような状態になってますね。
この感覚のおかげであまり自分の死期とかは考えなくなりました。
僕の場合は、心臓にステントが2個入ってますからね。
どこぞでポックリいく事でしょう(*'▽')
ただ、大切な仲間たちに何かあった時は、自分自身の無力さを痛感します。
大した事は出来ませんからね。
それが、結構辛いですな。
そう言えば、ブログを書き始めて以降、多くの仲間と出会いましたが、すでに音信不通となっていてどうなってるのかすら分からなくなっている仲間も結構出てしまいました。
多くの仲間と共通の仲間であれば、確認可能なんですが、僕のブログつながりだけの人もいますのでね。
残念に思います。
黄色いひよこさんは?
そーめんさんは?
思い出すと何か物悲しくなりますね。
今を精一杯楽しむ
さて、「尊厳死」という事もよく言われますね。
人間の尊厳って一体何だろう。
「人から認められる」というのが、人間には大事な部分では無いかと思います。
という事で、僕はできるだけ人の良い部分を見るように努めようと思っております。(出来てない事も多いですが)
いや、人の悪い部分というのは目に付きやすいですが、ちょっと考えて欲しいんですよね。
人の悪い部分にたくさん気付くクセに、自分の悪い部分に気付く人は少ない訳です。
なので、僕は、人の悪い部分を指摘する事よりも、自分自身の悪い部分に気付けよ、と思うんですが、僕自身も全然出来てませんので、人の事は言えませんな。
ただ、尊厳の問題もあるので、やはりそうしたマイナス部分よりもプラス部分に目を向けた方が自分自身の尊厳を保ちやすいと感じました。
仲間たちの良いところを注視していれば、みんな輝いて見えますからね。
それで人生が楽しくなる気がします。
一方で、悪い部分を指摘するばかりに気を取られてしまうと、人生がつまらなくなってしまう気がします。
こういう部分を大事に考えて行けば、かなり気分が変わってくると思いますね。
まあ、簡単に言いますが、結構難しいです。
しかし、これが出来る人間と出来ない人間では、大きな差がつくのではないでしょうか?
これが皆で出来るようになれば「尊厳死」などという感覚はなくなるような気もしますが、気のせいでしょうか?
死ぬのが全く怖くない人もいるかも知れませんが、死期を考えるより、精一杯、今を楽しんで欲しいですな。
少なくとも、まだ生きてますから。
という事で、今日は大阪ゆるゆるオフ会に呼ばれておりますので、朝から大阪に向かいます。
今日は韓国料理という事で、石焼ビビンバを食べる事で頭が一杯でございます(^◇^)
スポンサーリンク僕もちょっと前までは自分の死期について随分と考えさせられました。
いや、正直な所、49歳で死ぬ予定でしたからな~(-_-;)
49歳というのは織田信長や上杉謙信や夏目漱石が亡くなった年齢でもあります。
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
とは、松尾芭蕉の俳句です。
これを初めて聞いたのは小学校の頃だったと記憶してますが、当時は体が弱く、よく高熱を出す子供だったので、この句の意味が凄く良く分かりました。
ん~(-_-;)
小学生に分かっちゃいけない句のような気もしますが・・・。
憧れの人たちが49歳で亡くなっていたので、僕自身も38歳からの透析ですから、49歳辺りが一つの山場かと思っていたんですよね(-_-;)
と、思っていたら、49歳が僕の一つの節目となってしまいました。
たくさんの仲間たちに出会い、透析生活の中でもっとも躍動的で元気な状態となってしまい、50歳を迎えてしまいました(-_-;)
なので、最近は自分の死期などはほとんど考える事が無かったのですが、ちょっと最近色々ありまして、ふと心をよぎったのです。
僕も、仲間が旅立つところは、透析11年半で何度も体験しました。
その中で大きく心を乱した事もありました。
透析バンザイ!!! トシヒーロー物語
仲間意識が強くなる事で、仲間の死が受け容れられないという事態も起きるのですが、かと言って、その仲間たちには数々の勇気をもらってもいます。
複雑ですな。
という事で、自分の死期をどう過ごすかというのは何となく大切な気もします。
仲間の死で心を乱すという事は、僕が仲間の心を乱すパターンもあるのですからな。

仲間の旅立ちと仲間へ与える悲しみ
ただ、今は感覚が大きく変わってきた気もします。
というのも、人間、別に透析を受けていなくてもいつかは死ぬ訳ですからな。
透析を受けてるから死ぬ訳ではなく、死ぬ時はやはり自分の寿命かとも思えますからね。
80代や90代のじいちゃんやばあちゃんが元気に透析を受けてるところも見てますし。
透析など受けていなくても30代で突然死する人なんかも見かけます。
まあ、どうせいつかは死ぬ訳ですからな。
熱く生きて前のめりに死ねばいいかと、ある種、開き直りのような状態になってますね。
この感覚のおかげであまり自分の死期とかは考えなくなりました。
僕の場合は、心臓にステントが2個入ってますからね。
どこぞでポックリいく事でしょう(*'▽')
ただ、大切な仲間たちに何かあった時は、自分自身の無力さを痛感します。
大した事は出来ませんからね。
それが、結構辛いですな。
そう言えば、ブログを書き始めて以降、多くの仲間と出会いましたが、すでに音信不通となっていてどうなってるのかすら分からなくなっている仲間も結構出てしまいました。
多くの仲間と共通の仲間であれば、確認可能なんですが、僕のブログつながりだけの人もいますのでね。
残念に思います。
黄色いひよこさんは?
そーめんさんは?
思い出すと何か物悲しくなりますね。
今を精一杯楽しむ
さて、「尊厳死」という事もよく言われますね。
人間の尊厳って一体何だろう。
「人から認められる」というのが、人間には大事な部分では無いかと思います。
という事で、僕はできるだけ人の良い部分を見るように努めようと思っております。(出来てない事も多いですが)
いや、人の悪い部分というのは目に付きやすいですが、ちょっと考えて欲しいんですよね。
人の悪い部分にたくさん気付くクセに、自分の悪い部分に気付く人は少ない訳です。
なので、僕は、人の悪い部分を指摘する事よりも、自分自身の悪い部分に気付けよ、と思うんですが、僕自身も全然出来てませんので、人の事は言えませんな。
ただ、尊厳の問題もあるので、やはりそうしたマイナス部分よりもプラス部分に目を向けた方が自分自身の尊厳を保ちやすいと感じました。
仲間たちの良いところを注視していれば、みんな輝いて見えますからね。
それで人生が楽しくなる気がします。
一方で、悪い部分を指摘するばかりに気を取られてしまうと、人生がつまらなくなってしまう気がします。
こういう部分を大事に考えて行けば、かなり気分が変わってくると思いますね。
まあ、簡単に言いますが、結構難しいです。
しかし、これが出来る人間と出来ない人間では、大きな差がつくのではないでしょうか?
これが皆で出来るようになれば「尊厳死」などという感覚はなくなるような気もしますが、気のせいでしょうか?
死ぬのが全く怖くない人もいるかも知れませんが、死期を考えるより、精一杯、今を楽しんで欲しいですな。
少なくとも、まだ生きてますから。
という事で、今日は大阪ゆるゆるオフ会に呼ばれておりますので、朝から大阪に向かいます。
今日は韓国料理という事で、石焼ビビンバを食べる事で頭が一杯でございます(^◇^)
コメント
コメント一覧 (2)
透析という技術のみの話ではなく、人体には謎が多い。
自分が透析して周りの人も見ているのですが、各個人で体調や体の状態の変化は思いのほか激しい。
似たような透析していて、時間も基本3~4時間の方が大半なのに、発生している体調の変動は人それぞれ。
高血圧や低血圧が基本なのですが、食事や生活などいろいろな要因が相互に影響していて、各個人でも体調は結構不安定で理由も様々。
長時間透析でも6時間の方はそれほど多くないので
良いデータが取れて、何らかの形で社会に還元されると思います。
いろいろな壁に当たることは予想されるのですが先駆者の義務みたいなものです。いいことも多いし。
たぶんこれからいろいろな症状の原因が究明されていって、薬なり、他の生体膜を応用するとかいろいろな技術が開発されてゆくのでしょう。そして人類の夢である不老不死に近づいていくのだろうと思います。
PS
ブログを読んでの感想なのですが
食べ過ぎには注意して、人生を楽しんでください。
おお!
深いですね~(*'▽')
確かに良いデータが取れて、それが後々の医療に役立つのは有難いです。
透析に関わらず、他の疾患でもたくさんの優秀な医療従事者さんを育てたい思いはあります。
是非、役立って欲しいですね。
そうなってくれると、苦しみも浮かばれますので(^◇^)
あはは(^◇^)
食べ過ぎを見抜かれてますな(-_-;)