闘病という名の悪魔!(愛は勝つ)からの続きです。

2018年9月25日、僕はNちゃんと結婚しました。

とは言っても、この時点ではまだ入籍のみで、Nちゃんも感染症で入院中、僕の母も骨折で入院中でした。

母は主治医の話では9月一杯で退院できるという話だったのですが、10月一杯くらいまではかかりそうだという話になってしまいました。

まあ、高齢ですからな。
仕方ありません。

で、Nちゃんのほうは、無事予定通り入籍出来て安心したのか、順調に回復しました。


僕自身も最初は10月初旬に横浜に移住する予定で、全ての準備を始めていたんですが、11月まで延期し、Nちゃんと母の回復を待っておりました。

10月7日には再び横浜に行き、夫婦となって初のデートをしました。
もうね、入籍はしてるんで、何に憚られる事もありませんよ。

妻も無事回復しており、いつもの食いしん坊のNちゃんに戻っていましたので、横浜家系ラーメンなどを食べに行きました。





後は、新居の入居が11月上旬に決まり、同時に僕も横浜へ移住する事に決定。

姉や親戚にも、母をこの高齢で横浜に連れて行くのは気の毒なので、四国に残すようにと言われていましたし、僕も安心して移住出来ますな。

僕自身は、結婚後、横浜で就職活動する予定でしたので、WEB上の仕事は廃業しておりました。

そんなこんなで、無事11月となり、11月7日にいよいよ横浜へと移住しました。

引き渡されたばかりの新居でしたので、初日は何もない座敷に布団を引いて寝ました。
妻がせっせと実家(妻の実家は新居のすぐそば)から自身の持ち物を運んで来て、段々と家具が揃ってきましたよ。

2019年に、この新居でカレーパーチーをやりましたが、その時にいらっしゃった20名弱の透析仲間たちは新居の雰囲気はつかめたと思います。





妻の在宅血液透析をやる透析室に、透析の物品を置く部屋、寝室とリビングという間取りです。

大阪では透析仲間のMちゃん(USJに連れてってくれた透析仲間)が結婚パーティーも開いてくれましたし、滋賀の在宅血液透析研究会にも行きましたし、また、母のヘルパーさんとかとの打ち合わせ等で何度か四国に帰ったりと、2018年中は色々忙しく移動してました。





後、12月に入り、在宅血液透析移行のためのトレーニングが透析病院で始まりました。

そして、就職活動も徐々に始めました。

在宅血液透析トレーニングは、この時点ではまだ回路組み立て(コンソールに回路を繋ぐ練習&回路を外す練習がメイン)くらいでした。

一方、就活では、障害者雇用の就職エージェントさんとお会いしてたりしてました。

ただ、就活は難航するんですよね。

僕自身の経歴がですな、20代はスキルアップのために転職を何度も繰り返しましたし、30代ではすでに腎不全と高血圧とネフローゼ症候群があって、半年毎に1~2か月の入院を繰り返す生活でした。

そのため、職歴が履歴書2枚分になる訳です。
職務経歴書も3ページ分でしたか(-_-;)

そんな50歳を雇う企業がどこにあるんだろう・・・?
ってなりますよね。

ハローワークに行くと、ほぼ全ての障害者雇用は応募形式であり、履歴書を送って書類選考されるんですよね。


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は~っ(-_-;)

ってなってましたね。

在宅血液透析トレーニングはゆっくりでも確実に前進できるんですが、就活のほうは全く誰からも相手にされない状況でした。

年が明け2019年となり(51歳になり)、就職エージェントさんへのお願い+ハローワーク通いだけではなく、障害者雇用合同面接会が横浜で開かれていたので、そこにも行ってみました。

合同面接会は、名だたる企業が20社くらい面接ブースを作っており、応募の障害者も7~800人くらいはいたんじゃないかと思います。

ハローワークからですと書類選考で落されるので、直接面接が出来る合同面接会は有利かと思っていましたが、来ている障害者さん.のほとんどは20代~30代くらいなので、年齢的な不利は否めません。


ここまで、がっかりするくらいの数の「不採用通知」を受け取る事になりました。

マジか~(-_-;)

こりゃ、永遠にどこも採用してくれないんではないか?
という不安がよぎります。

ただ、人間必ず転機は訪れるのですな。

2019年2月になり、在宅血液透析のトレーニングが山場を迎えました。

遂に、実際に自分の腕に穿刺するようになってたんですね。

これはもう、1回の透析で失敗しない限りは2本しか刺せません。
失敗したとしても3本です。
しかも週に3回しか実際の穿刺は出来ませんので、感覚がつかめないまま時間ばかりが経過してました。

失敗してもどう失敗したのか(血管をとらえられなかったのか?、とらえたが突き抜けてしまったのか? などが全く分からなかった。)、成功してもなぜ成功できたのか? が全然分からないままなんですよね。

で、次の透析まで中1日以上あるため、前回の失敗の経験が全く活きないんですよ。

ん~(-_-;)

結局、成功したり、失敗したりを繰り返しながら、3月下旬となり、
「回路組み立ても穿刺も抜針も回収も、さほど問題はないようですし、4月11日から在宅血液透析をスタートさせましょう!」と管理病院から言ってもらえました。

おお(*'▽')

それまでは履歴書に、
「そのうち在宅血液透析をスタート出来るので、そうなったらフルタイム勤務が可能で、更に残業も可能になります。」と書いていたのですが、

それが、これからは、
「4月11日から在宅血液透析をスタートし、それ以降はフルタイム勤務と残業が可能になります。」と具体的に書けるため、少し可能性が上がったかも知れませんでした。

まあ、そこまでに、ハローワークのほとんどの登録企業に落ちていたのですが、条件が合わないため応募してなかった企業がいくつかありました。

特に銀行系は給料が少ない上、正社員で雇ってもらえるところも少なかった(サポート職員採用のような形での採用が多かった)ため、受けてなかったのですが、いよいよ受けるところがないため、銀行系にも応募しました。

ちょうど、初の在宅血液透析である4月11日の透析スタート直前に、某銀行の人事担当者から面接依頼の連絡が来たのですな(*'▽')

やった~!

在宅血液透析はスタートするわ(管理病院の看護師さんやコンソールメーカーの社員さんの見守る中、穿刺も失敗せず順調にスタートを切った!)、書類選考に応募した企業から初の面接連絡まで来た訳です!

よ~し!
まあ、むやみに採用されても、仕事が合わなかったり、人間関係がうまく行かなかったりする事もある。

別に何社も合格する必要は無い。

自分に合った1社だけが採用してくれればいいんだ!

と、気持ちを落ち着け、面接に挑みました。

失敗は許されないのでね。
前日に会社の前まで行き、道に迷わないよう経路のリサーチもしましたし、また面接でどういう話をするかも決めました。

障害者雇用で重要なのは、
1 周りの人や仕事内容でどういう配慮をして欲しいのか?
2 どういう仕事ならやれる自信があるのか?
この2点なのですな。

そして、面接で
「採用となった場合、いつから来られますか?」という質問があったので、

あ、じゃあ、今から働きます!
と僕は腕まくりし、
さあ、何から始めましょうか? 何でもおっしゃって下さい!

と大風呂敷を敷いてやりました。

これは相当インパクトが強かったみたいですね。

実際、翌日の午前中に
「ゴールデンウイーク明けから出社お願いします。必要書類などは今週中に着くように郵送します。」
との、採用連絡がありました!

面接から24時間たっとらんやないか~い!

もう採用か!

丁度、2019年4月の話であり、
「平成」の終わりに在宅血液透析がスタートし、「令和」の初めに初出勤が待ち構えていました。

38歳で透析になってヘタレ生活が始まりましたが、ようやくヘタレ脱却の大きなきっかけをつかむまでになりました。

ヘタレ完全脱却まではあと少しです。





ultra soul 作詞 稲葉浩志

どれだけがんばりゃいい 誰かのためなの?
分かっているのに 決意(おもい)は揺らぐ

結末ばかりに気を取られ この瞬間(とき)を楽しめない メマイ...

夢じゃないあれもこれも その手でドアを開けましょう
祝福が欲しいのなら 悲しみを知り 独りで泣きましょう
そして輝くウルトラソウル

おのれの限界に 気づいたつもりかい?(いいのかい)
かすり傷さえも 無いまま終わりそう

一番大事な人がホラ いつでもあなたを見てる I can tell

夢じゃないあれもこれも 今こそ胸をはりましょう
祝福が欲しいのなら 底無しのペイン 迎えてあげましょう
そして戦うウルトラソウル

希望と失望に遊ばれて 鍛え抜かれる
Do it, do it, do it, do it

夢じゃないあれもこれも 今こそ胸をはりましょう
祝福が欲しいのなら 歓びを知り パーっとばらまけ
ホントだらけあれもこれも その真っただ中 暴れてやりましょう
そして羽ばたくウルトラソウル



闘病という名の悪魔!(タマシイレボリューション)に続く

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