これまでの「闘病という名の悪魔!シリーズ」
闘病という名の悪魔!(Jupiter)からの続きです
2017年~2018年は僕の人生の大きな転機となっていきました。
まず僕の詞に曲を付けてくれたTさんから、透析43年のSさんを紹介してもらえた事で、長期に透析出来てる患者さんが実際にいる事を知りました。
更に3月のBさん主催のオフ会に参加した事で、BさんやOさんといった在宅血液透析を行う透析仲間と知り合いました。
これがきっかけとなり、僕自身が
「透析を受けたら10年」という感覚がなくなっていき、しっかり透析出来れば透析を受けててもある程度元気に生きられる事が分かってきました。
透析って要は、いかに血をキレイにするかという治療なので、ある程度たくさん透析したほうが体に良い事は明白だった訳です。(注・血液透析は毒素を除去できますが、同時に一部の栄養素も除去してしまう性質がありますので、たくさん透析をすればするほど良いという単純なものではありません。)
僕は地元病院から転院し、遠くの病院に往復3時間かけて(患者送迎で)通ってましたが、この病院では同じ週3回×1回4時間の透析でも、それまでの病院に比べて体調が良くなってきていました。
そこで、
「透析患者でも人生を楽しめる!」というのをブログを通じて実践していこうと考えました。
よ~し!
まずは、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンだ!
と考え、ブログで公言していました。
何度か公言していると、
「私がUSJを案内します!」というコメントが来てたんですな。
実はTwitterですでに友達だった透析仲間の大阪のMちゃんからのコメントでした。
という事で、早速具体的な話になり、2017年10月僕は遂にUSJに行く事となったのです。
いや~!
楽しかった!
USJクラスのテーマパークですと、敷地も広く、歩くのも大変なんですが、疲れはしましたがとても楽しい1日が過ごせました。
ハリーポッターは混んでて大変でしたが、ちょうどハロウィンシーズンでしたので夜のゾンビ襲撃など思い出に残るイベントが沢山ありましたね。
そして11月は、人生初の医療学会に参加してみました。
第13回長時間透析研究会です。
この時は東京開催で、3月の江東区腎友会で講演してくれた東京ネクスト内科透析クリニックのJ先生が大会長という事で親しみがありました。
多くの初対面の透析患者さんにお会いしました。
また、ブロガー仲間から、
「〇〇ブログのNちゃんです!」と、ある女性患者さんを紹介されました。
おお~(*'▽')
見てます!
来年、透析ブロガーオフ会を開催するので是非来て下さい。
と挨拶しました。
↑このNちゃんこそ、後の僕の伴侶となる方だったんですな。
この頃、僕は「異所性石灰化」という透析患者特有の合併症による激痛に苦しめられる事が何度かあったのですが、この学会である病院が、「長時間透析」で異所性石灰化が治癒した例を発表していたのです。
ん?
「異所性石灰化」って長時間透析(週18時間以上の透析)で治るのか???
それは凄い! と思い、僕もこの後、長時間透析に挑戦しようと思いました。
東京から帰り、主治医のK先生とお話しできる機会があり、透析時間を延ばして欲しいという話をしました。
そしたら、
「ええよ~、いつからやる? 好きなだけ透析して帰り。」と二つ返事で承諾してもらえました。
マジっすかwww
早く言えば良かった。
透析時間を延ばしてもらえるまで何十回も交渉したという話は、透析仲間からよく聞いていましたが、こんなにも寛容な先生もいるんですな。
驚きました。
おかげで、僕の快進撃はここから始まって行く事になります。
まず、それまで書いていた「透析患者の逆襲!」というブログは卒業し、「進撃のトシヒーロー」を書き始めました。
また、2017年に出会った透析仲間達を中心に、Facebookでグループを作りました。(人工透析ULTRASOUL’s)
週3回×1回4時間の透析から1回6時間の透析に変わった事で、始めた途端に体調が良くなり、それが僕自身を大きく変えて行きました。
そもそも透析量が足りていないと、年々体調も悪化していくので、肉体的にも精神的にも踏ん張りがきかなくなっていきます。
そうすると、何をやるにしても根気が続かないため「出来ない事」が増えていくのです。
これにより、
「どうせ出来ないからやらない!」というネガティブ思考が身に着いてしまいます。
透析時間が1回4時間から1回6時間に変わると、一気に体調が良くなったため、何をやるにしても根気が出て来て、うまくいく事が増えました。
そうなると、
「あれもやってみよう! これもやってみよう!」と思考がポジティブになってきます。
たくさんの人と出会い、たくさんの勇気をもらい、そして気持ちが晴れやかになって、色んな事を始めました。
2017年はその分岐点となりました。
そして年が明け2018年、いよいよ僕は「透析ブロガーオフ会」を開催しました。
この時、未来の妻となるNちゃんが隣に座っていました。
ただまあ、この時はそんなには話していなかったと思いますw

次にFacebookグループを作った事で、その中のAさんが開催している「虹を描こうコンサート」を応援しようという催しを開催しました。
これは、Aさんが、透析をするようになってもらい始めた障害年金を使って、がん患者さんや障害者さんを応援しようというコンサートを開催してたんですよね。
で、そんな素晴らしい事をやってる透析仲間がいるなら是非応援しましょうという事になり、Facebookグループの仲間に呼びかけて宇都宮に行きました。
もちろんここにも、未来の僕の妻であるNちゃんが参加していまして・・・
実は、この後、関東で「占いに行く事をメイン」としたオフ会を開催するためにNちゃんとやりとりしていて仲良くなったのですな。
で、一気に付き合う事になりました。(端折り過ぎだろw)
まあ、なんか勢いというか何というか・・・
で、しばらくして、Nちゃんの母上様が、
「お互い透析していて明日はどうなるか分からないんだから、付き合うんだったら結婚したらどう?」とおっしゃられて、2人でどうするか考えるようになりました。
付き合って1カ月くらいだったんですが、お互い結婚を意識するようになったんですね。
僕もNちゃんも占いを信じるところがあって、2人の結婚期としてベストなのがこの2018年中であり、10月までに入籍した方が良いとなってました。
このタイミングを外した場合に2人がうまく行かなかったら、この占いの結果を信じなかったからという風になるのがお互いに嫌だったので、
「じゃあ、もう結婚しちゃうか?」ってなりました。
ちょうど僕も、ネットでの仕事に限界を感じていて、就職したかったのもあります。
この頃、働き方改革によって「障害者雇用」が活発になってきてました。
香川の片田舎でいても夜間透析も無いし、将来を考えるととても厳しい状況に陥ってましたので、結婚し妻の地元の横浜に行ったほうが、透析も仕事もやりやすいというのは確かにあります。
決断の時がやってきました。
ところが好事魔多しでしてね。
透析中に病院に電話がかかって来て、母が骨折で緊急入院したとの連絡が入ったのですな。
またまた、マジっすか?
この時すでに、長町家では僕と姉と母で話し合い、僕は結婚して横浜へ行くことの了解を得ていました。
ですが、母が入院したとなれば、置いて出ていく事も出来ませんし、どうしようか? となってしまうのです。
ん~(-_-;)
しかもですな、入籍は9月25日にしようとNちゃんやNちゃんの両親も交えた話合いで決まっていましたが、ここでNちゃんまでが感染症にて入院。
Nちゃんは左腕にシャントが造れず、グラフト(人工血管)を入れて透析してましたが(週6回の頻回透析を在宅でやってました)、外資系企業でフルタイム勤務もしており、疲れとかもあったかも知れません。
そのグラフトが感染してしまったようです。
9月24日に僕が横浜に行き1泊し、25日の朝に2人で市役所に入籍しに行き、その後、横浜でお世話になる予定の透析病院で臨時透析をする予定になっていたんですけどね。
え~と(-_-;)
どうしましょうか?
とりあえず、9月24日に横浜に行き、そこで話し合って決めるという事になりました。
23日の深夜バスに乗って、朝一で横浜に到着。
すぐに妻の入院先の病院に向かいました。
まあ、新居が11月に入居できる事になっていたため、それまでに入籍できれば良いですからね。
ただ、占いの事もありますから。
結果として、今回の入籍は延期し、Nちゃんの退院後に一緒に入籍しに行こうという話になってました。
ところが、この24日の夜はNちゃんの両親とお兄さん夫婦と共に中華を食べる予定になってたんですが、Nちゃんのお母上様から2人が準備していた(この時はNちゃんが持っていました)婚姻届けを渡されました。
「Nからトシさん1人で出して来てと言われた」との事。
ん?
NちゃんからLINEが来てまして、
「よろしく」と頼まれました。
占いが気になるかwww
という事で、25日の朝1番で入籍しに行きました。
まあ、2人で婚姻届けを出しに行く計画はなくなりましたが、2人で出すという事にそこまでこだわる必要もないですからな(*'▽')
トシヒーロー、50歳、遂に結婚しちゃいましたぁ。
透析を受け始めた時、
「もう2度と恋愛をする事も無いんだろうな・・・」と、思っていましたが、人生とは分からぬものです。
君の想いが誰かに届く 明日がきっとある
僕は、これまでやって来ていたウェブ上での仕事を廃業し、在宅血液透析導入と就職を成し遂げようと決めました。
ここからの道のりは、再び挑戦の道になるだろうな。
と、新たな決意をし、2018年の9月が過ぎていきました。
母の退院は10月下旬頃に予定され、11月にはNちゃんとの同居が始まります。
闘病という名の悪魔!(ultra soul)に続く
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闘病という名の悪魔!(Jupiter)からの続きです
2017年~2018年は僕の人生の大きな転機となっていきました。
まず僕の詞に曲を付けてくれたTさんから、透析43年のSさんを紹介してもらえた事で、長期に透析出来てる患者さんが実際にいる事を知りました。
更に3月のBさん主催のオフ会に参加した事で、BさんやOさんといった在宅血液透析を行う透析仲間と知り合いました。
これがきっかけとなり、僕自身が
「透析を受けたら10年」という感覚がなくなっていき、しっかり透析出来れば透析を受けててもある程度元気に生きられる事が分かってきました。
透析って要は、いかに血をキレイにするかという治療なので、ある程度たくさん透析したほうが体に良い事は明白だった訳です。(注・血液透析は毒素を除去できますが、同時に一部の栄養素も除去してしまう性質がありますので、たくさん透析をすればするほど良いという単純なものではありません。)
僕は地元病院から転院し、遠くの病院に往復3時間かけて(患者送迎で)通ってましたが、この病院では同じ週3回×1回4時間の透析でも、それまでの病院に比べて体調が良くなってきていました。
そこで、
「透析患者でも人生を楽しめる!」というのをブログを通じて実践していこうと考えました。
よ~し!
まずは、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンだ!
と考え、ブログで公言していました。
何度か公言していると、
「私がUSJを案内します!」というコメントが来てたんですな。
実はTwitterですでに友達だった透析仲間の大阪のMちゃんからのコメントでした。
という事で、早速具体的な話になり、2017年10月僕は遂にUSJに行く事となったのです。
いや~!
楽しかった!
USJクラスのテーマパークですと、敷地も広く、歩くのも大変なんですが、疲れはしましたがとても楽しい1日が過ごせました。
ハリーポッターは混んでて大変でしたが、ちょうどハロウィンシーズンでしたので夜のゾンビ襲撃など思い出に残るイベントが沢山ありましたね。
そして11月は、人生初の医療学会に参加してみました。
第13回長時間透析研究会です。
この時は東京開催で、3月の江東区腎友会で講演してくれた東京ネクスト内科透析クリニックのJ先生が大会長という事で親しみがありました。
多くの初対面の透析患者さんにお会いしました。
また、ブロガー仲間から、
「〇〇ブログのNちゃんです!」と、ある女性患者さんを紹介されました。
おお~(*'▽')
見てます!
来年、透析ブロガーオフ会を開催するので是非来て下さい。
と挨拶しました。
↑このNちゃんこそ、後の僕の伴侶となる方だったんですな。
この頃、僕は「異所性石灰化」という透析患者特有の合併症による激痛に苦しめられる事が何度かあったのですが、この学会である病院が、「長時間透析」で異所性石灰化が治癒した例を発表していたのです。
ん?
「異所性石灰化」って長時間透析(週18時間以上の透析)で治るのか???
それは凄い! と思い、僕もこの後、長時間透析に挑戦しようと思いました。
東京から帰り、主治医のK先生とお話しできる機会があり、透析時間を延ばして欲しいという話をしました。
そしたら、
「ええよ~、いつからやる? 好きなだけ透析して帰り。」と二つ返事で承諾してもらえました。
マジっすかwww
早く言えば良かった。
透析時間を延ばしてもらえるまで何十回も交渉したという話は、透析仲間からよく聞いていましたが、こんなにも寛容な先生もいるんですな。
驚きました。
おかげで、僕の快進撃はここから始まって行く事になります。
まず、それまで書いていた「透析患者の逆襲!」というブログは卒業し、「進撃のトシヒーロー」を書き始めました。
また、2017年に出会った透析仲間達を中心に、Facebookでグループを作りました。(人工透析ULTRASOUL’s)
週3回×1回4時間の透析から1回6時間の透析に変わった事で、始めた途端に体調が良くなり、それが僕自身を大きく変えて行きました。
そもそも透析量が足りていないと、年々体調も悪化していくので、肉体的にも精神的にも踏ん張りがきかなくなっていきます。
そうすると、何をやるにしても根気が続かないため「出来ない事」が増えていくのです。
これにより、
「どうせ出来ないからやらない!」というネガティブ思考が身に着いてしまいます。
透析時間が1回4時間から1回6時間に変わると、一気に体調が良くなったため、何をやるにしても根気が出て来て、うまくいく事が増えました。
そうなると、
「あれもやってみよう! これもやってみよう!」と思考がポジティブになってきます。
たくさんの人と出会い、たくさんの勇気をもらい、そして気持ちが晴れやかになって、色んな事を始めました。
2017年はその分岐点となりました。
そして年が明け2018年、いよいよ僕は「透析ブロガーオフ会」を開催しました。
この時、未来の妻となるNちゃんが隣に座っていました。
ただまあ、この時はそんなには話していなかったと思いますw

次にFacebookグループを作った事で、その中のAさんが開催している「虹を描こうコンサート」を応援しようという催しを開催しました。
これは、Aさんが、透析をするようになってもらい始めた障害年金を使って、がん患者さんや障害者さんを応援しようというコンサートを開催してたんですよね。
で、そんな素晴らしい事をやってる透析仲間がいるなら是非応援しましょうという事になり、Facebookグループの仲間に呼びかけて宇都宮に行きました。
もちろんここにも、未来の僕の妻であるNちゃんが参加していまして・・・
実は、この後、関東で「占いに行く事をメイン」としたオフ会を開催するためにNちゃんとやりとりしていて仲良くなったのですな。
で、一気に付き合う事になりました。(端折り過ぎだろw)
まあ、なんか勢いというか何というか・・・
で、しばらくして、Nちゃんの母上様が、
「お互い透析していて明日はどうなるか分からないんだから、付き合うんだったら結婚したらどう?」とおっしゃられて、2人でどうするか考えるようになりました。
付き合って1カ月くらいだったんですが、お互い結婚を意識するようになったんですね。
僕もNちゃんも占いを信じるところがあって、2人の結婚期としてベストなのがこの2018年中であり、10月までに入籍した方が良いとなってました。
このタイミングを外した場合に2人がうまく行かなかったら、この占いの結果を信じなかったからという風になるのがお互いに嫌だったので、
「じゃあ、もう結婚しちゃうか?」ってなりました。
ちょうど僕も、ネットでの仕事に限界を感じていて、就職したかったのもあります。
この頃、働き方改革によって「障害者雇用」が活発になってきてました。
香川の片田舎でいても夜間透析も無いし、将来を考えるととても厳しい状況に陥ってましたので、結婚し妻の地元の横浜に行ったほうが、透析も仕事もやりやすいというのは確かにあります。
決断の時がやってきました。
ところが好事魔多しでしてね。
透析中に病院に電話がかかって来て、母が骨折で緊急入院したとの連絡が入ったのですな。
またまた、マジっすか?
この時すでに、長町家では僕と姉と母で話し合い、僕は結婚して横浜へ行くことの了解を得ていました。
ですが、母が入院したとなれば、置いて出ていく事も出来ませんし、どうしようか? となってしまうのです。
ん~(-_-;)
しかもですな、入籍は9月25日にしようとNちゃんやNちゃんの両親も交えた話合いで決まっていましたが、ここでNちゃんまでが感染症にて入院。
Nちゃんは左腕にシャントが造れず、グラフト(人工血管)を入れて透析してましたが(週6回の頻回透析を在宅でやってました)、外資系企業でフルタイム勤務もしており、疲れとかもあったかも知れません。
そのグラフトが感染してしまったようです。
9月24日に僕が横浜に行き1泊し、25日の朝に2人で市役所に入籍しに行き、その後、横浜でお世話になる予定の透析病院で臨時透析をする予定になっていたんですけどね。
え~と(-_-;)
どうしましょうか?
とりあえず、9月24日に横浜に行き、そこで話し合って決めるという事になりました。
23日の深夜バスに乗って、朝一で横浜に到着。
すぐに妻の入院先の病院に向かいました。
まあ、新居が11月に入居できる事になっていたため、それまでに入籍できれば良いですからね。
ただ、占いの事もありますから。
結果として、今回の入籍は延期し、Nちゃんの退院後に一緒に入籍しに行こうという話になってました。
ところが、この24日の夜はNちゃんの両親とお兄さん夫婦と共に中華を食べる予定になってたんですが、Nちゃんのお母上様から2人が準備していた(この時はNちゃんが持っていました)婚姻届けを渡されました。
「Nからトシさん1人で出して来てと言われた」との事。
ん?
NちゃんからLINEが来てまして、
「よろしく」と頼まれました。
占いが気になるかwww
という事で、25日の朝1番で入籍しに行きました。
まあ、2人で婚姻届けを出しに行く計画はなくなりましたが、2人で出すという事にそこまでこだわる必要もないですからな(*'▽')
トシヒーロー、50歳、遂に結婚しちゃいましたぁ。
透析を受け始めた時、
「もう2度と恋愛をする事も無いんだろうな・・・」と、思っていましたが、人生とは分からぬものです。
君の想いが誰かに届く 明日がきっとある
僕は、これまでやって来ていたウェブ上での仕事を廃業し、在宅血液透析導入と就職を成し遂げようと決めました。
ここからの道のりは、再び挑戦の道になるだろうな。
と、新たな決意をし、2018年の9月が過ぎていきました。
母の退院は10月下旬頃に予定され、11月にはNちゃんとの同居が始まります。
愛は勝つ 作詞 KAN
心配ないからね 君の想いが
誰かにとどく明日がきっとある
どんなに困難でくじけそうでも
信じることを決してやめないで
Carry on carry out
傷つけ傷ついて 愛する切なさに
少しつかれても Oh・・・ Oh・・・
もう一度夢見よう
愛されるよろこびを知っているのなら Oh
夜空に流星をみつけるたびに
願いをたくし ぼくらはやってきた
どんなに困難でくじけそうでも
信じることさ 必ず最後に愛は勝つ
Carry on carry out
求めてうばわれて 与えて裏切られ
愛は育つもの Oh・・・Oh・・・
遠ければ遠いほど
勝ちとるよろこびは きっと大きいだろう Oh
心配ないからね 君の勇気が
誰かにとどく明日はきっとある
どんなに困難でくじけそうでも
信じることさ 必ず最後に愛は勝つ
信じることさ 必ず最後に愛は勝つ
闘病という名の悪魔!(ultra soul)に続く
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