2019年、いや、2018年12月頃から僕は就職活動を始めました。
実質、ハローワークやエージェントを使っての就職活動でした。
他には、障害者合同面接会にも2回ほど行きましたね(*'▽')
合同面接会以外では、ほぼ、履歴書を採用担当者に送って書類選考になりますのでね。
まあ、ずいぶんと落とされまくりました。(当時50歳、51歳という年齢もあったでしょうし、僕の場合は過去の職歴が無茶苦茶でしたからな~)
で、そうした就活の中で少し気になる事がありました。
「当社では、透析患者さんの採用は行っておりません。」と2回ほど言われた事があるんですよね(>_<)
なんですか?
それは?
あれかな。
正社員採用で、月水金の透析のために早く帰るとかに、他の社員との絡みがあって雇いづらいという事なのか?
それとも、過去に採用した透析患者さんの人となりに問題があったとかで雇いたくないという事なのか?
実際の理由は聞いてないので分かりません(-_-;)
こうした事を考えると、僕も複雑な気持ちになります。
ん~(-_-;)
少なくとも今の僕の就職では、後から聞いた話ですが、前任者も前々任者も透析患者さんを採用してたという事です。
僕がやっている仕事は住宅ローンの審査業務ですからね。
業務センターの中では、エース部署になります。(銀行全体では、各営業店の渉外担当者や、本店営業部が花形部署になります。)
業務センター自体は、500人からの人がいる大所帯です。
部署の数も20以上あります。
その中の精鋭部隊が有担保集中審査部に40人ほど集まってます。
業務センターの所長席もこの集中審査部にありますから。
こういう会社、そしてそういう会社のキーになる部署に配属されたという事は、過去にここで働いた透析患者さんが優秀で、信用があったという事になります。
前々任者さんは僕も2度ほどお会いしたことがあります。
確かに優秀そうな人でした。
つまりは、僕たちは、過去に社会の中で頑張ってきた先人の透析患者さんの恩恵に授かっている事になります。
もしも、先人たちが社会の中で頑張っていなければ、僕の就職がうまくいったかどうかは分かりません。
先人でも透析30年以上の方ともなると、まだ透析自体も今に比べて大変だった時代ですからね。
重い体を引きずって相当頑張られたと思います。
そして、僕もここで働く以上は、後人たちに良い形でバトンをリレーしていかなきゃならないと言えます。
僕が定年退職した後に、
「いや、もう、透析患者さんは採用しないでおこう!」なんて言われたらたまったもんじゃありませんよ。
そういう意味もこめて、僕らは責任があるという事が言いたい訳です。
実はこういった事は、すでに故人になられてしまった先人の方、数名から聞いたことがあります。
ですが、当時は僕はフリーランスで仕事をしてたので、あまりピンっとこなかった訳です。
ただ、社会の中で働くようになってからは、この意味がよく分かります。
ん~(-_-;)
なるほど。こういう事だったか。
障害者というのは基本的に社会では嫌われます。
いや、嫌われるというのは語弊があるか(-_-;)
要は、
「どう対応して良いかが分からないので、あまり関わりたくない。」というのが社会全体の本音なのではないでしょうか?
僕にしても、実際は自分が重度身体障害者になりますが、他の精神障害者さんとかがいると、対処の仕方が分からない場合もありますよね。
2016年7月26日に相模原障害者施設殺傷事件が起きました。
この事件での犯人の動機に関しては色々言われていますが、社会的弱者に使われる国のお金を軽減したいという優生思想が原因となっているかと思います。
社会の中には、この優生思想の持ち主が少なからず存在します。
同じ頃に起きた、アナウンサーの暴言ブログなどでもそうですが、人工透析では国が負担してる総額も大きいため、様々な意見が出されます。
それだけ大きな額を国が用意する必要があるのか?
と、言われたら・・・
という事です。
我々障害者が、これだけ社会の恩恵を受けていながらまだ、
「あーせい! こーせい!」と更なる恩恵を求めていくと、快く思わない人も存在します。
現在の日本は不景気です。
僕も行員なので、その波が確実に来てると痛感します。
その中で、健常者であっても不遇な立場になり、困っている人は多いのです。
相模原障害者施設殺傷事件の犯人もその1人でした。
もちろん、不遇なのは、場合によっては国や地域の責任だけではなく、その人の努力の問題だったりもしますが、人は何かにつけて人のせいにする面を持っていますからね。
常に自戒できる人は少ないです。
何かの事が起こった時、まずは
「自分に何らかの落ち度がなかったか?」というのをまず考える習慣を身に着けて欲しいです。
逆に、何でも
「他人や社会のせいにする」人もいますよね。
残念ながらこういった人とも我々は共存してる訳です。
そして、我々障害者があまりにもわがままを言い続ければ、再びあのような悲劇が起きるかも知れません。
そういう事も考え、僕たちは行動すべきなのだろうと感じます。
実は、人は何歳になっても成長が可能です。
この場合の成長とは「心の成長」を指しています。
実際に、「学び」はそこかしこに存在していて、そこに気付けるかどうか?
起きた出来事に対してどう思うか?
そういった事がとても重要になります。
例えば、人の言動を見て、
〇 良いと思う事は真似してみる
〇 悪いと思う事は反面教師にする
これを繰り返していくだけで、いくらでも自身を成長させられる訳です。
これは、僕の怒った時や悲しい時によく読み返すものです。
自分が書いていながらwww(^◇^)
結構、重要な事が書かれています。(自分で言うか(*'▽'))
そして、透析患者の逆襲時代から、今日まで、自分自身が様々な葛藤の中で、どう生きて来たか? というのを見つめ直す機会が多々あります。
もちろん、後悔する事も多いし、間違ったなと思って軌道修正する事も多いです。
結果的には、大まかには自分の思う方向にゆるゆると向かっていけてはいますが、置き去りになってしまったり、修正が不可能に近くて対応が分からなくなってしまったりしたものもあります。
まあ、その中には、
「人工透析ULTRA SOUL's」の存在もあります。
人工透析ULTRA SOUL'sとは、Facebookで作ったグループの存在です。
元々、オフ会等に特化したグループを目指していましたが、2020年からの新型コロナ下において活動が難しくなってしまいました。
更に問題なのは、僕自身の心がまだまだ未熟なために、本来の目的としていたはずのいくつかの項目が置き去りになってしまっている事です。
人工透析ULTRA SOUL'sでは、基本、誰かの悪口や批判は厳禁というルールがあります。
ですが、僕を含めてそれを完璧に出来ているかと言われますと、出来てません。
僕自身も自分の投稿やコメントを削除した事もありますし、メンバーと言い合いになってしまった事もあります。
また、他の投稿やコメントを削除したり、厳重注意した事もあります。
その中で、不快に思われて退会された方もいらっしゃいますし、辞めてもらった方もいますし、辞めさせた方もいました。
そういう過去の出来事が、色々去来して、考えさせられる事があります。
実は人工透析ULTRA SOUL'sは、ある故人となってしまわれた透析患者さんとの約束事により僕が開設したものです。
多くの仲間たちが協力してくれて楽しい日々が過ごせました。
その約束事は全てコピペして残っていますので、ふと読み返してみますと、半分くらい守れていないという事に気づかされます。
また、透析界の先生の意見なども考えますと、本来目的とすべきはそういう事では無いのかも知れないと思いました。
要は、人工透析ULTRA SOUL'sは、僕にとっての居心地の良い場所ではあるものの、その領域からは決して抜け出る事が出来ない仕組みになっているな? と痛感した訳です。
また、僕自身が社会に出てみて、色々思う事があります。
僕らの人工透析はけして社会から切り離せないものだと思います。
何かにつけて社会に繋がっているという事です。
2018年に結婚し、2019年に就職し、在宅血液透析移行などもあり、忙しい日々を送ってきましたが、この生活にも慣れ、精神的に余裕も出てきましたので、現在の自分自身で新たな世界へ踏み出そうと思っております。
前回の投稿で、あるセミナーで登壇した事は書きましたが、それを皮切りに、色々やっていこうと思ってます。
社会に対する恩返し、透析医療に対する恩返し、そして透析仲間への恩返しなど、課題は多岐にわたるのですが、それを1つづつやって行こうと思います。
土台は何とかまだまだのものではありますが、構築しかけてます。
そして、人工透析ULTRA SOUL'sは11月30日で閉鎖し、新たなグループを立ち上げました。
これもホントに迷いました。
やったことがある方はよくご存じかと思いますが、Facebookグループの運営って結構大変なんですわ(>_<)
やってる人の苦労はよく分かります。
それぞれ理念や理想はあり、こういうグループにしたいというのはあると思います。
という事で、新たなスタートです。
まあ、このグループの場合、特に成功とか、失敗とかはないかもです。
はっきりとした理念を打ち出してますし、それのみを守ってもらえたら良いだけなので簡単だと思います。
その名も「We Are The Champions」です。
これまでと違い、閉鎖的な非公開グループとは違い、公開グループになりますので、ご理解下さいますようお願いします。
参加希望の方がいらっしゃいましたら、Facebookアカウントをお持ちの上で、ご申請下さいませ。
絶対のルールが存在してますが、それが守れるという、血液透析を受けておられる方、血液透析の経験があり現在腎移植をなされている方、透析医療に従事しておられる方はご加入していただけます。
より良きものにしていく所存ですので、皆様、よろしくお願い申し上げます。
公開されてますので、興味がおありの方は1度見に来て下さいませ。
現在立ち上げたばかりの状態でございます。
WE ARE THE CHAMPIONS 和訳歌詞
I paid my dues time after time
幾度となく、やるべきことはやってきたつもりだ
I’ve done my sentence but committed no
crime
悪さはやってはないが、自分の罪は
つぐなってきたはず
And bad mistakes I’ve made a few
少しばかりの大きな失敗ならやったし
I’ve had my share of sand licked in my
face
それなりの批判も受けてきたよ
But I’ve come through
だけど、全て乗り越えてきたんだ
We are the champions, my friends
僕らはチャンピオンだ、友よ
And we’ll keep on fighting till the end
僕たちは最後まで戦い続けるんだ
We are the champions
僕らはチャンピオンなんだ
We are the champions
僕らはチャンピオンだ
No time for losers
負け犬にかまってる暇はない
‘Cause we are the champions of the world
だって僕らは世界のチャンピオンだからな
「社会への恩返し」は社会の一翼を担う事でも恩返しにはなると思います。
良い透析を受けて元気になって社会活動もするというのであれば、それは尊い事だと思います。
昔、透析患者の逆襲を書いてた頃、よくコメントをくれた若い患者さんがいました。
実は、この方が、大学を出られた後、起業されて大成功を収めているんですよね。
すげ~な(-_-;)
起業したとこまではやり取りがあったのですが、その後は連絡が途絶えたため、うまくいかなかったか? と思っていました。
が(^◇^)
最近TwitterのDMで久々にやりとりしました。
凄い事になってまして、かつてコメントをくれてた方が成功してるのは嬉しいです。
まあ、とんでもない一流大学の経済学部を出てるから当然と言えば当然かw
透析を子供のころから受けつつ猛勉強してそういう道に進まれてる方は珍しいのでよく覚えていました。
その方のツイートが良いなと思ったので、掲載許可をお願いしたら、文面だけコピペならオッケーと言って貰えたので、コピペ文を載せます。
ん~(-_-;)
考えさせられますなぁ。
「社会の中で何かを成す」
まあ、そんなに難しい事を考える必要はありません。
道を聞かれて親切に教えてあげるだけでも、社会の中で何かを成している訳ですよ。
でもまあ、小さな第1歩くらいですけどね。
そういう事を積み重ねていく事が大事です。
なにしろ、僕ら1回死んでる訳です。
よく、透析人生はおまけの人生などと言われてしまう事があります。
確かに言葉通りだと思います。
でも、「おまけ」ってwww
僕自身は、透析人生のほうがメインで、透析になるまでの人生のほうが「おまけ」だった気がします。
透析を受けて(10年過ぎてから)からの人生の方が人生を楽しんでますよ(*'▽')
僕にとってはそうなんですよね。
今のほうが人生が楽しい。
これは、偶然か? はたまた幸運か? それとも運命か?
なぜそうなったのでしょうね。
そういうのを皆様に考えていただければ良いかなと思います。
今日はこの辺で。ではでは。
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実質、ハローワークやエージェントを使っての就職活動でした。
他には、障害者合同面接会にも2回ほど行きましたね(*'▽')
合同面接会以外では、ほぼ、履歴書を採用担当者に送って書類選考になりますのでね。
まあ、ずいぶんと落とされまくりました。(当時50歳、51歳という年齢もあったでしょうし、僕の場合は過去の職歴が無茶苦茶でしたからな~)
で、そうした就活の中で少し気になる事がありました。
「当社では、透析患者さんの採用は行っておりません。」と2回ほど言われた事があるんですよね(>_<)
なんですか?
それは?
社会に出て働くという事の責任
あれかな。
正社員採用で、月水金の透析のために早く帰るとかに、他の社員との絡みがあって雇いづらいという事なのか?
それとも、過去に採用した透析患者さんの人となりに問題があったとかで雇いたくないという事なのか?
実際の理由は聞いてないので分かりません(-_-;)
こうした事を考えると、僕も複雑な気持ちになります。
ん~(-_-;)
少なくとも今の僕の就職では、後から聞いた話ですが、前任者も前々任者も透析患者さんを採用してたという事です。
僕がやっている仕事は住宅ローンの審査業務ですからね。
業務センターの中では、エース部署になります。(銀行全体では、各営業店の渉外担当者や、本店営業部が花形部署になります。)
業務センター自体は、500人からの人がいる大所帯です。
部署の数も20以上あります。
その中の精鋭部隊が有担保集中審査部に40人ほど集まってます。
業務センターの所長席もこの集中審査部にありますから。
こういう会社、そしてそういう会社のキーになる部署に配属されたという事は、過去にここで働いた透析患者さんが優秀で、信用があったという事になります。
前々任者さんは僕も2度ほどお会いしたことがあります。
確かに優秀そうな人でした。
つまりは、僕たちは、過去に社会の中で頑張ってきた先人の透析患者さんの恩恵に授かっている事になります。
もしも、先人たちが社会の中で頑張っていなければ、僕の就職がうまくいったかどうかは分かりません。
先人でも透析30年以上の方ともなると、まだ透析自体も今に比べて大変だった時代ですからね。
重い体を引きずって相当頑張られたと思います。
そして、僕もここで働く以上は、後人たちに良い形でバトンをリレーしていかなきゃならないと言えます。
僕が定年退職した後に、
「いや、もう、透析患者さんは採用しないでおこう!」なんて言われたらたまったもんじゃありませんよ。
そういう意味もこめて、僕らは責任があるという事が言いたい訳です。
実はこういった事は、すでに故人になられてしまった先人の方、数名から聞いたことがあります。
ですが、当時は僕はフリーランスで仕事をしてたので、あまりピンっとこなかった訳です。
ただ、社会の中で働くようになってからは、この意味がよく分かります。
ん~(-_-;)
なるほど。こういう事だったか。
障害者は嫌われる???
障害者というのは基本的に社会では嫌われます。
いや、嫌われるというのは語弊があるか(-_-;)
要は、
「どう対応して良いかが分からないので、あまり関わりたくない。」というのが社会全体の本音なのではないでしょうか?
僕にしても、実際は自分が重度身体障害者になりますが、他の精神障害者さんとかがいると、対処の仕方が分からない場合もありますよね。
2016年7月26日に相模原障害者施設殺傷事件が起きました。
この事件での犯人の動機に関しては色々言われていますが、社会的弱者に使われる国のお金を軽減したいという優生思想が原因となっているかと思います。
社会の中には、この優生思想の持ち主が少なからず存在します。
同じ頃に起きた、アナウンサーの暴言ブログなどでもそうですが、人工透析では国が負担してる総額も大きいため、様々な意見が出されます。
それだけ大きな額を国が用意する必要があるのか?
と、言われたら・・・
という事です。
我々障害者が、これだけ社会の恩恵を受けていながらまだ、
「あーせい! こーせい!」と更なる恩恵を求めていくと、快く思わない人も存在します。
現在の日本は不景気です。
僕も行員なので、その波が確実に来てると痛感します。
その中で、健常者であっても不遇な立場になり、困っている人は多いのです。
相模原障害者施設殺傷事件の犯人もその1人でした。
もちろん、不遇なのは、場合によっては国や地域の責任だけではなく、その人の努力の問題だったりもしますが、人は何かにつけて人のせいにする面を持っていますからね。
常に自戒できる人は少ないです。
何かの事が起こった時、まずは
「自分に何らかの落ち度がなかったか?」というのをまず考える習慣を身に着けて欲しいです。
逆に、何でも
「他人や社会のせいにする」人もいますよね。
残念ながらこういった人とも我々は共存してる訳です。
そして、我々障害者があまりにもわがままを言い続ければ、再びあのような悲劇が起きるかも知れません。
そういう事も考え、僕たちは行動すべきなのだろうと感じます。
心の成長と自戒
実は、人は何歳になっても成長が可能です。
この場合の成長とは「心の成長」を指しています。
実際に、「学び」はそこかしこに存在していて、そこに気付けるかどうか?
起きた出来事に対してどう思うか?
そういった事がとても重要になります。
例えば、人の言動を見て、
〇 良いと思う事は真似してみる
〇 悪いと思う事は反面教師にする
これを繰り返していくだけで、いくらでも自身を成長させられる訳です。
これは、僕の怒った時や悲しい時によく読み返すものです。
自分が書いていながらwww(^◇^)
結構、重要な事が書かれています。(自分で言うか(*'▽'))
そして、透析患者の逆襲時代から、今日まで、自分自身が様々な葛藤の中で、どう生きて来たか? というのを見つめ直す機会が多々あります。
もちろん、後悔する事も多いし、間違ったなと思って軌道修正する事も多いです。
結果的には、大まかには自分の思う方向にゆるゆると向かっていけてはいますが、置き去りになってしまったり、修正が不可能に近くて対応が分からなくなってしまったりしたものもあります。
まあ、その中には、
「人工透析ULTRA SOUL's」の存在もあります。
人工透析ULTRA SOUL'sとは、Facebookで作ったグループの存在です。
元々、オフ会等に特化したグループを目指していましたが、2020年からの新型コロナ下において活動が難しくなってしまいました。
更に問題なのは、僕自身の心がまだまだ未熟なために、本来の目的としていたはずのいくつかの項目が置き去りになってしまっている事です。
人工透析ULTRA SOUL'sでは、基本、誰かの悪口や批判は厳禁というルールがあります。
ですが、僕を含めてそれを完璧に出来ているかと言われますと、出来てません。
僕自身も自分の投稿やコメントを削除した事もありますし、メンバーと言い合いになってしまった事もあります。
また、他の投稿やコメントを削除したり、厳重注意した事もあります。
その中で、不快に思われて退会された方もいらっしゃいますし、辞めてもらった方もいますし、辞めさせた方もいました。
そういう過去の出来事が、色々去来して、考えさせられる事があります。
実は人工透析ULTRA SOUL'sは、ある故人となってしまわれた透析患者さんとの約束事により僕が開設したものです。
多くの仲間たちが協力してくれて楽しい日々が過ごせました。
その約束事は全てコピペして残っていますので、ふと読み返してみますと、半分くらい守れていないという事に気づかされます。
また、透析界の先生の意見なども考えますと、本来目的とすべきはそういう事では無いのかも知れないと思いました。
要は、人工透析ULTRA SOUL'sは、僕にとっての居心地の良い場所ではあるものの、その領域からは決して抜け出る事が出来ない仕組みになっているな? と痛感した訳です。
また、僕自身が社会に出てみて、色々思う事があります。
僕らの人工透析はけして社会から切り離せないものだと思います。
何かにつけて社会に繋がっているという事です。
ネクストステージへのスタートです
2018年に結婚し、2019年に就職し、在宅血液透析移行などもあり、忙しい日々を送ってきましたが、この生活にも慣れ、精神的に余裕も出てきましたので、現在の自分自身で新たな世界へ踏み出そうと思っております。
前回の投稿で、あるセミナーで登壇した事は書きましたが、それを皮切りに、色々やっていこうと思ってます。
社会に対する恩返し、透析医療に対する恩返し、そして透析仲間への恩返しなど、課題は多岐にわたるのですが、それを1つづつやって行こうと思います。
土台は何とかまだまだのものではありますが、構築しかけてます。
そして、人工透析ULTRA SOUL'sは11月30日で閉鎖し、新たなグループを立ち上げました。
これもホントに迷いました。
やったことがある方はよくご存じかと思いますが、Facebookグループの運営って結構大変なんですわ(>_<)
やってる人の苦労はよく分かります。
それぞれ理念や理想はあり、こういうグループにしたいというのはあると思います。
という事で、新たなスタートです。
まあ、このグループの場合、特に成功とか、失敗とかはないかもです。
はっきりとした理念を打ち出してますし、それのみを守ってもらえたら良いだけなので簡単だと思います。
その名も「We Are The Champions」です。
これまでと違い、閉鎖的な非公開グループとは違い、公開グループになりますので、ご理解下さいますようお願いします。
参加希望の方がいらっしゃいましたら、Facebookアカウントをお持ちの上で、ご申請下さいませ。
絶対のルールが存在してますが、それが守れるという、血液透析を受けておられる方、血液透析の経験があり現在腎移植をなされている方、透析医療に従事しておられる方はご加入していただけます。
より良きものにしていく所存ですので、皆様、よろしくお願い申し上げます。
公開されてますので、興味がおありの方は1度見に来て下さいませ。
現在立ち上げたばかりの状態でございます。
WE ARE THE CHAMPIONS 和訳歌詞
I paid my dues time after time
幾度となく、やるべきことはやってきたつもりだ
I’ve done my sentence but committed no
crime
悪さはやってはないが、自分の罪は
つぐなってきたはず
And bad mistakes I’ve made a few
少しばかりの大きな失敗ならやったし
I’ve had my share of sand licked in my
face
それなりの批判も受けてきたよ
But I’ve come through
だけど、全て乗り越えてきたんだ
We are the champions, my friends
僕らはチャンピオンだ、友よ
And we’ll keep on fighting till the end
僕たちは最後まで戦い続けるんだ
We are the champions
僕らはチャンピオンなんだ
We are the champions
僕らはチャンピオンだ
No time for losers
負け犬にかまってる暇はない
‘Cause we are the champions of the world
だって僕らは世界のチャンピオンだからな
透析人生はオマケの人生???
「社会への恩返し」は社会の一翼を担う事でも恩返しにはなると思います。
良い透析を受けて元気になって社会活動もするというのであれば、それは尊い事だと思います。
昔、透析患者の逆襲を書いてた頃、よくコメントをくれた若い患者さんがいました。
実は、この方が、大学を出られた後、起業されて大成功を収めているんですよね。
すげ~な(-_-;)
起業したとこまではやり取りがあったのですが、その後は連絡が途絶えたため、うまくいかなかったか? と思っていました。
が(^◇^)
最近TwitterのDMで久々にやりとりしました。
凄い事になってまして、かつてコメントをくれてた方が成功してるのは嬉しいです。
まあ、とんでもない一流大学の経済学部を出てるから当然と言えば当然かw
透析を子供のころから受けつつ猛勉強してそういう道に進まれてる方は珍しいのでよく覚えていました。
その方のツイートが良いなと思ったので、掲載許可をお願いしたら、文面だけコピペならオッケーと言って貰えたので、コピペ文を載せます。
透析を受ける、本来召されているはずが生き延びてる、透析の見直しと食事改善により元気になる、社会の中で何かを成す、人生を謳歌する。ここまでが透析患者の生き方です。「社会の中で何かを成す」の部分が抜けている人が多過ぎる。病は気から。気持ちまで障害者になってどうしますか?
ん~(-_-;)
考えさせられますなぁ。
「社会の中で何かを成す」
まあ、そんなに難しい事を考える必要はありません。
道を聞かれて親切に教えてあげるだけでも、社会の中で何かを成している訳ですよ。
でもまあ、小さな第1歩くらいですけどね。
そういう事を積み重ねていく事が大事です。
なにしろ、僕ら1回死んでる訳です。
よく、透析人生はおまけの人生などと言われてしまう事があります。
確かに言葉通りだと思います。
でも、「おまけ」ってwww
僕自身は、透析人生のほうがメインで、透析になるまでの人生のほうが「おまけ」だった気がします。
透析を受けて(10年過ぎてから)からの人生の方が人生を楽しんでますよ(*'▽')
僕にとってはそうなんですよね。
今のほうが人生が楽しい。
これは、偶然か? はたまた幸運か? それとも運命か?
なぜそうなったのでしょうね。
そういうのを皆様に考えていただければ良いかなと思います。
今日はこの辺で。ではでは。
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コメント
コメント一覧 (2)
読んでいると勉強になったり心強くなったり、ありがとうございます。
コメント有難うございます。
長い事読んで頂けて有難うございます(*'▽')
大した事は書いてませんが、少しでも何かの力になれたら幸いです。
今後もよろしくお願い申し上げますm(__)m