前回の投稿はアチコチにリンクを出してましたんで、色んなところにコメントが来てました(*'▽')
中には
「透析も頑張りつつ人生も頑張るという事ですね。」みたいなコメントも何通か来てましたので、もうちょっと細かく書く必要があるかな? と思った次第ですm(__)m
まあ、
「透析を頑張るな!」という表現にはかなりの矛盾がありますよね。
例えば、
「今から透析に行ってきま~す!」というソーシャルでの投稿があれば、
「頑張ってくださ~い!」と僕も答えてしまいますな(*'▽')
という事で、透析はなんだかんだ言っても
「頑張る」訳ですよね(^◇^)
人工透析を受けなくてはならなくなった瞬間から、あなたの「透析人生」、「透析生活」が始まった訳です。
人工透析を受けるという事は、
1. 透析が円滑にいくように食事制限、水分摂取制限を行う
2. 主にリンやカリウムなどの栄養成分の摂取に気を使った生活を送る
3. シャントを守るために重いものが持てないなどの気を使う
4. 週3回の透析に通うための時間配分を常に考える
といった、透析中心の生活となってしまいます。
今日の昼はアレを食べたから、夜はこれを食べてリンの取り過ぎを抑えよう。
喉が渇いたけどちょっと潤す程度にしておこう。
今日は血圧が低めだから出かけるのはやめておこう。
昨日の夜食べ過ぎて、やや体重が増えてるから今朝は小さいオニギリを1個だけ食べよう。
のような、透析が中心となった思考回路になってしまいます。
何かにつけて「透析」の事を考えてしまう訳ですね(>_<)
長年透析を行っていると、夢の中でも透析を受けてしまったり。
しかし、このグラフを見て下さい。
1日の睡眠時間を仮に6時間とすると、睡眠は全体の4分の1を占め週に42時間となります。
1週間に4時間×3回の透析を受けていた場合、透析自体は(1週間の中の全168時間中)わずか12時間しか受けておりません。
透析は死ぬまでやめれませんから、あなたの残りの人生の全時間の中のたった7%が人工透析という事なのです。
透析時間を増やすなどで、わずかに透析の割合が増える事はありますが、それでも全体時間の20%を超えるような人は滅多にいないでしょう。
残りの人生の中で透析時間が大幅に増える事はほぼあり得ません。
ん?
そんなちょっとしかやってない事に、人生の全てを費やすのが本当にあなたにとって正しいのか?
という疑問が生まれませんか?
「透析生活」とか「透析人生」と大げさに言うほどの時間は使ってないはずなのに、なぜか人生が透析中心に動いてしまう。
僕はある時、
「これは違うな!」と思った訳です。
いかに人生の中の「透析に関わる時間(透析について考える時間)」を減らして行くか?
これが1番大切な事なんですよね。
僕は透析時間はゲームをしたり本を読んだりの楽しみの時間に使ってますので、「人工透析」を受けているという感覚はありません。
なので、「透析を受けている」と感じる時間は透析前後の準備と片付けにかかる1時間程度です。
食事制限も水分制限も、リンやカリウムに気を使うなどの事も在宅血液透析を受けているため必要ありません。
シャントに気を使わなきゃならないような仕事はほぼしておらず、毎日デスクワークで済んでおります。
血圧も下がらなくなったので、体調がすこぶる良く体調不良で辛い事がほとんど無い。
つまり、透析は週に18時間やっておりますが、実質1日に1時間程度しか透析に関わっていない状態を作り出せました。
もちろん、在宅血液透析でなくとも透析時間を必要不可欠な人生の大切な事に使って(余暇にしたり、勉強したり、睡眠時間に充てるなど)有益なものにし、透析のマイナス部分を消している透析患者さんは大勢います。
そしてそういう患者さんは残りのフリー時間である68%の時間を実に有意義に使っている訳です。
そうなってくると、
「自分は透析を受けている」という感覚が薄れ、自分の人生を謳歌できるんですよね。
つまり、「透析人生」ではなく、
単に自分の人生を歩んでいる! という感覚しかなくなってしまう訳です。
たった7%の事を人生の全てのように考えたり語ったりするのか・・・
それとも残り93%を生きる自分になるのか・・・
どちらの人生が素晴らしいでしょうか?
あくまで、あなたの人生の主役はあなた自身です。
たった7%しかない「透析生活」がなぜ、人生の全てのように感じてしまうのか?
そこには色んな落とし穴が存在しております。
透析を余儀なくされた時点で、皆さんも様々なレクチャーを受けたと思います。
もちろん、それらのレクチャーはとても大切な事です。
どういう食事をするのか?
その調理方法は?
障害年金の申請方法から生活における様々な注意点まで、とにかく多岐にわたって細かく指導してくれます。(そういう事をしない透析病院の話もよく聞きますが・・・)
そういう話を聞き続けていく事で、いかにも、
「透析生活が特別なものである!」というような錯覚に陥ってしまうのですな。
中にはその「特別なものという錯覚」により、精神的に落ち込み、絶望を感じる人も少なからずいます。
確かに「人工透析というものは大変なものである」と僕も思います。
決して完治する事はなく、その労力に見合ったプラスは無いと言っても過言ではありません。
なのに、労力を更に使ってしまい、余計に落ち込むのです。
これが「人工透析」です。
しかし、それは全てまやかしなのです。
よくよく見てみると、たった7%しかない事に人生の全てを費やさなきゃいけないような落とし穴に自ら落ちてしまっている事に気付くはずです。
ちょっと考えれば誰でも分かるような事なのに、この「まやかし」にごまかされてしまうのです。
この「まやかし」に対抗する方法は、「透析の事を忘れてしまうくらい熱中できる何かを見つけ出す事」かも知れません。
「人工透析」を小さくする事ではなく、「もっと大きな目標を持つ」事かも知れません。
例えば、「透析に行く事すら忘れてしまう」くらい熱中する事があれば、「透析なんてほんの小さな小粒な事に思える」かも知れませんね。
そういう何かを自分自身で見つけ出す事、それに向かって駆け出す事で、「人工透析」なんていくらでも自分の人生のわずかな小さなものに出来てしまうのです。
僕自身はここに気付くまでに10年かかりました。
僕の妻の場合は1型糖尿病に苦しむ期間にそれを経験し、透析1年生の時からすでに自分の人生を歩んでいました。
そこに至るまでのプロセスは人それぞれですが、気付いて見つけて駆け出すだけですので、どなたににも出来ます。
100ページの人生の中のわずかなページしかない「人工透析」をいつの間にか人生の100ページ全てに変えてしまってませんか?
その思いは、
「人工透析を頑張る!」という意識に繋がっています。
透析を頑張ろうとすると、透析を受けていない全ての時間で透析のために努力する事になります。
つまり、「透析に熱中」している状況を自ら作り出しております。
透析に熱中していても、
「自分が幸せで満ち満ちている!」と思える人ならそれでオッケーだと思いますが、多分普通は、
1、自分は不幸だ!
2、不幸とは思わないけど幸せかと言われると微妙。
のどちらかになってるかと思います。
まあ、病気をしていて「幸せ」って感じる人は単に頭がバカなのかよっ! って思っちゃいますが、僕は病気をしてても「幸せ」で満ち満ちております。(なので僕はバカなんですな~(*'▽'))
透析を頑張るという意識を捨てた瞬間から人生が楽しく感じられました。
なので、
透析を頑張ってどないするねん!
人生を頑張るんや!
と、前回投稿で述べたのです。
ここを忘れてはいけません。
透析を頑張るという挨拶のようなものはOKですが、透析を頑張るという意識は持たなくても構いません。
むしろ、透析を忘れるくらい熱中する何かを見つけ出し、それに向かって駆け出す事が大切です。
それのみです。
そうすれば、その熱中するもののために透析時間も有意義に過ごし、摂生すらその熱中するものに巻き込んで行きます。
それこそが「自分の人生を生きる」という事なのです。
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中には
「透析も頑張りつつ人生も頑張るという事ですね。」みたいなコメントも何通か来てましたので、もうちょっと細かく書く必要があるかな? と思った次第ですm(__)m
まあ、
「透析を頑張るな!」という表現にはかなりの矛盾がありますよね。
例えば、
「今から透析に行ってきま~す!」というソーシャルでの投稿があれば、
「頑張ってくださ~い!」と僕も答えてしまいますな(*'▽')
という事で、透析はなんだかんだ言っても
「頑張る」訳ですよね(^◇^)
透析はあなたの残りの人生の中のたった7%だ!
人工透析を受けなくてはならなくなった瞬間から、あなたの「透析人生」、「透析生活」が始まった訳です。
人工透析を受けるという事は、
1. 透析が円滑にいくように食事制限、水分摂取制限を行う
2. 主にリンやカリウムなどの栄養成分の摂取に気を使った生活を送る
3. シャントを守るために重いものが持てないなどの気を使う
4. 週3回の透析に通うための時間配分を常に考える
といった、透析中心の生活となってしまいます。
今日の昼はアレを食べたから、夜はこれを食べてリンの取り過ぎを抑えよう。
喉が渇いたけどちょっと潤す程度にしておこう。
今日は血圧が低めだから出かけるのはやめておこう。
昨日の夜食べ過ぎて、やや体重が増えてるから今朝は小さいオニギリを1個だけ食べよう。
のような、透析が中心となった思考回路になってしまいます。
何かにつけて「透析」の事を考えてしまう訳ですね(>_<)
長年透析を行っていると、夢の中でも透析を受けてしまったり。
しかし、このグラフを見て下さい。
1日の睡眠時間を仮に6時間とすると、睡眠は全体の4分の1を占め週に42時間となります。
1週間に4時間×3回の透析を受けていた場合、透析自体は(1週間の中の全168時間中)わずか12時間しか受けておりません。
透析は死ぬまでやめれませんから、あなたの残りの人生の全時間の中のたった7%が人工透析という事なのです。
透析時間を増やすなどで、わずかに透析の割合が増える事はありますが、それでも全体時間の20%を超えるような人は滅多にいないでしょう。
残りの人生の中で透析時間が大幅に増える事はほぼあり得ません。
ん?
そんなちょっとしかやってない事に、人生の全てを費やすのが本当にあなたにとって正しいのか?
という疑問が生まれませんか?
「透析生活」とか「透析人生」と大げさに言うほどの時間は使ってないはずなのに、なぜか人生が透析中心に動いてしまう。
僕はある時、
「これは違うな!」と思った訳です。
いかに人生の中の「透析に関わる時間(透析について考える時間)」を減らして行くか?
これが1番大切な事なんですよね。
僕は透析時間はゲームをしたり本を読んだりの楽しみの時間に使ってますので、「人工透析」を受けているという感覚はありません。
なので、「透析を受けている」と感じる時間は透析前後の準備と片付けにかかる1時間程度です。
食事制限も水分制限も、リンやカリウムに気を使うなどの事も在宅血液透析を受けているため必要ありません。
シャントに気を使わなきゃならないような仕事はほぼしておらず、毎日デスクワークで済んでおります。
血圧も下がらなくなったので、体調がすこぶる良く体調不良で辛い事がほとんど無い。
つまり、透析は週に18時間やっておりますが、実質1日に1時間程度しか透析に関わっていない状態を作り出せました。
もちろん、在宅血液透析でなくとも透析時間を必要不可欠な人生の大切な事に使って(余暇にしたり、勉強したり、睡眠時間に充てるなど)有益なものにし、透析のマイナス部分を消している透析患者さんは大勢います。
そしてそういう患者さんは残りのフリー時間である68%の時間を実に有意義に使っている訳です。
そうなってくると、
「自分は透析を受けている」という感覚が薄れ、自分の人生を謳歌できるんですよね。
つまり、「透析人生」ではなく、
単に自分の人生を歩んでいる! という感覚しかなくなってしまう訳です。
たった7%の事を人生の全てのように考えたり語ったりするのか・・・
それとも残り93%を生きる自分になるのか・・・
どちらの人生が素晴らしいでしょうか?
あくまで、あなたの人生の主役はあなた自身です。
まやかしにごまかされるな!
たった7%しかない「透析生活」がなぜ、人生の全てのように感じてしまうのか?
そこには色んな落とし穴が存在しております。
透析を余儀なくされた時点で、皆さんも様々なレクチャーを受けたと思います。
もちろん、それらのレクチャーはとても大切な事です。
どういう食事をするのか?
その調理方法は?
障害年金の申請方法から生活における様々な注意点まで、とにかく多岐にわたって細かく指導してくれます。(そういう事をしない透析病院の話もよく聞きますが・・・)
そういう話を聞き続けていく事で、いかにも、
「透析生活が特別なものである!」というような錯覚に陥ってしまうのですな。
中にはその「特別なものという錯覚」により、精神的に落ち込み、絶望を感じる人も少なからずいます。
確かに「人工透析というものは大変なものである」と僕も思います。
決して完治する事はなく、その労力に見合ったプラスは無いと言っても過言ではありません。
なのに、労力を更に使ってしまい、余計に落ち込むのです。
これが「人工透析」です。
しかし、それは全てまやかしなのです。
よくよく見てみると、たった7%しかない事に人生の全てを費やさなきゃいけないような落とし穴に自ら落ちてしまっている事に気付くはずです。
ちょっと考えれば誰でも分かるような事なのに、この「まやかし」にごまかされてしまうのです。
人生は「進撃」あるのみ
この「まやかし」に対抗する方法は、「透析の事を忘れてしまうくらい熱中できる何かを見つけ出す事」かも知れません。
「人工透析」を小さくする事ではなく、「もっと大きな目標を持つ」事かも知れません。
例えば、「透析に行く事すら忘れてしまう」くらい熱中する事があれば、「透析なんてほんの小さな小粒な事に思える」かも知れませんね。
そういう何かを自分自身で見つけ出す事、それに向かって駆け出す事で、「人工透析」なんていくらでも自分の人生のわずかな小さなものに出来てしまうのです。
僕自身はここに気付くまでに10年かかりました。
僕の妻の場合は1型糖尿病に苦しむ期間にそれを経験し、透析1年生の時からすでに自分の人生を歩んでいました。
そこに至るまでのプロセスは人それぞれですが、気付いて見つけて駆け出すだけですので、どなたににも出来ます。
100ページの人生の中のわずかなページしかない「人工透析」をいつの間にか人生の100ページ全てに変えてしまってませんか?
その思いは、
「人工透析を頑張る!」という意識に繋がっています。
透析を頑張ろうとすると、透析を受けていない全ての時間で透析のために努力する事になります。
つまり、「透析に熱中」している状況を自ら作り出しております。
透析に熱中していても、
「自分が幸せで満ち満ちている!」と思える人ならそれでオッケーだと思いますが、多分普通は、
1、自分は不幸だ!
2、不幸とは思わないけど幸せかと言われると微妙。
のどちらかになってるかと思います。
まあ、病気をしていて「幸せ」って感じる人は単に頭がバカなのかよっ! って思っちゃいますが、僕は病気をしてても「幸せ」で満ち満ちております。(なので僕はバカなんですな~(*'▽'))
透析を頑張るという意識を捨てた瞬間から人生が楽しく感じられました。
なので、
透析を頑張ってどないするねん!
人生を頑張るんや!
と、前回投稿で述べたのです。
ここを忘れてはいけません。
透析を頑張るという挨拶のようなものはOKですが、透析を頑張るという意識は持たなくても構いません。
むしろ、透析を忘れるくらい熱中する何かを見つけ出し、それに向かって駆け出す事が大切です。
それのみです。
そうすれば、その熱中するもののために透析時間も有意義に過ごし、摂生すらその熱中するものに巻き込んで行きます。
それこそが「自分の人生を生きる」という事なのです。
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コメント
コメント一覧 (6)
やはり 状況は 個々で 異なるので その通りとは 言えないかな〜
お元気で お仕事されてね✊
こんにちは~。
状況は確かに色々ありますよね~。
それと、透析100%で生きていたとしても、それで人生が幸せと感じてるのであれば何ら問題ありませんし(*'▽')
ま、こういった話は、自分の置かれてる状況と合う、合わないがあるんで、違う場合は読まない方が良いですよ。
場合によっては腹が立つ場合もありますんで。
ただ、琴線に触れるという事は、何かあるとも言えます。
自分自身を見つめ直す良いタイミングという可能性もあります。そうじゃない人の場合はこういうのを読んでも何とも思わないはずですから。
トシさんのこの透析の重圧を少しでも軽減するという考えは、とても参考になり、医療の現場でも実践させていただいてます。
当方でも、透析の事で頭が一杯にならないように指導する事で、以前に比べ、透析室内が明るくなりました。
透析を受けるという事の重圧から解放される事はありませんが、少しでも心の重荷を軽くしてもらえるように、我々医療にたずさわる者も頑張っていくべきと思います。
今後もお忙しいとは存じますが、参考になる意見を聞かせていただけましたら幸いです。
こちらこそ、ご無沙汰しておりますm(__)m
以前、学会でお会いした時にご挨拶いただき、また、おみやげまで頂いて有難うございましたm(__)m
お恥ずかしい話ですが、このようなブログを参考にして頂き有難うございます。
透析が心の重荷にならぬよう、みんなで和気あいあいと透析できる環境になれば良いですね。
皆様のご苦労に感謝しております。
今後とも、頑張って下さいませ(*'▽')
一部の看護師さんで 早く慣れてくださいね!と 声があがると 返答に困ります。
慣れることってあるのでしょうか!幸せとはどういうことでしょうか! 声にだしてはいいませんが
どういう意味でいわれてるのか 不可解です。正直あまりいい気持ちにはなりません。個人レベルで
どう受け止めるかは自由でいいのではないでしょうか!自己肯定感がもちづらくなかなか生き方の迷う
昨今です。心のゆれに うまく つきあえれあいいのですが!
こんにちは。
初めまして。
なるほどです。透析1年半という事ですが、僕自身も透析10年目くらいまでは、同じ感覚だったかと思いますよ。
そういう意味では、こちらの記事よりは「透析を頑張ってどないするねん」の方の記事の方が参考になるかも知れません。
僕の場合は、透析を続けていく事で、様々な出会いがあり、僕自身が透析を受け始める38歳以前より、今の方が良い人生になっていったという時間経過がありました。
透析は病院によって大きな差がついており、国内でも有数の先進的な透析を行っている病院で透析した方が元気になり、生活設計も大きく変わってきます。
まだまだ、ラベンダーさんの場合はこれからだと思います。
生き方や、自己肯定感というのは、まあ、自分自身で築き上げていくしかありませんので、今は色々考える時期なのではないでしょうか?
一足飛びでうまくいく訳ではありませんので、今の時期はこの先の人生で何がやりたいのか? どういう思いで死んでいきたいのか? などを考えてみれば良いのではないでしょうか? 僕も様々な葛藤があり、透析の合併症が進み辛い毎日になっていましたが、
「こんな人生は嫌だ!」と思ったところから人生が大きく変わって行きました。