センターの腎臓内科医(55)によると、さらに女性は「透析をしない。最後は福生病院でお願いしたい」と内科医に伝え、「息が苦しい」と14日に入院。ところが夫によると、15日になって女性が「透析中止を撤回する」と話したため、夫は治療再開を外科医に求めた。外科医によると、「こんなに苦しいのであれば、また透析をしようかな」という発言を女性から数回聞いたが、苦痛を和らげる治療を実施した。女性は16日午後5時過ぎに死亡した。
外科医は「正気な時の(治療中止という女性の)固い意思に重きを置いた」と説明。中止しなければ女性は約4年間生きられた可能性があったという。外科医は「十分な意思確認がないまま透析治療が導入され、無益で偏った延命措置で患者が苦しんでいる。治療を受けない権利を認めるべきだ」と主張している。
出典元 毎日新聞
この記事に対し、僕は
この病院では「無益で偏った延命措置」というレベルの透析しかしてなかった訳です。(少なくとも多くの透析病院で有益な透析医療が行われております。)
と書きました。
世間一般では、人工透析がどの病院でも同じと思っているかもしれませんが、4病院を渡り歩いた僕から言えば、全く違います。(これは透析に関わらず、他の疾患でも同じ事が言えますが。)
長く透析できてる患者が1人もいなくて、どう考えても「透析になったら10年」という印象を受けてしまう透析病院もあれば、透析45年の患者さんが元気に自分の足で透析に通い続けている病院まであります。
今僕が透析を受けてる病院の場合は、寝たきりの透析患者さんや軽度認知症患者さんを一手に引き受けてる病院ですので、長生き患者さんが多い訳ではありませんが、僕のような6時間透析を受けさせてもらっている患者もいるくらいですから、透析に対して、
「無益で偏った延命措置」という状況とはかけ離れていますね。
あくまで「有益な透析治療」が行われております。
確かに透析は容易いものではなく、週3回、おおよそ1回あたり3~5時間という拘束時間があり、またその時間も場合によっては血圧が急低下したり、足が激しく痙攣したりするなど、僕自身も何度も死ぬかと思うような感覚を受けたことがあります。
そして、そんな透析を
「死ぬまで受け続けなければならない」と考えると、気が遠くなるような思いもします。
この、
「死ぬまで受け続けなければならない」という患者の思いを軽減する意味として
「透析中止の選択もあり得る」というのがある事は、気が楽になる部分もあります。
そこを重視し
「透析中止」というテーマは、透析医学会などでも何度も話し合われてきたテーマです。
報道ではいかにも決定的な「ガイドライン」があるように書かれている部分もありますが、透析医療界全体を通して見渡してみると、まだ「暗中模索」な部分もあり、まだまだ改定が繰り返される部分かと思います。
少なくとも今回の「透析中止」に関しては、患者が44歳という若さであった事、「終末期」とまで言える状況ではなかった事、この患者さんが「透析中止」と「透析再開」を繰り返して申告するような精神的に不安定な状態であったにも関わらず、同意書を書かせて透析中止へ持っていった事などが問題なのでしょう。
透析医学会でも調査結果は公表しないという方向で進めているようです。
件の医師が、「透析医療界へ一石を投じる」ような発言をしていることなどから、医学会でも今後も討議されていく議題ではあると思います。
しかし、若い患者(透析医療界では透析導入患者の平均年齢が年々上がっていることから65歳未満の患者さんを若い患者と僕は定義付けます。)さんの場合の「透析中止」は話は別です。
余命幾ばくも無いような末期状態の患者さんに対しての「透析中止」と、まだまだ生きられる可能性が長く残されている患者さんの「透析中止」は意味合いが違いますからね。
余命が1年以上あるような患者さんに対し、「透析中止」という選択を医療が認めてしまうと、ただ単に人が病気を苦にして「自殺」するのを手助けするだけに成り下がってはいないか? という疑念が生じます。
当然のことのように、調査に入った東京都は、
女性は亡くなる前日に「透析を再開したい」と発言し、カルテにもその旨が記載されていた。病院側は都に対し、「その後、透析はしないとの意思を改めて確認した」などと説明しているが、都は、患者の意思が状況次第で変わりうることも重視。透析中止の同意文書を撤回できるとの説明もしていなかったとみられ、都は透析をめぐる女性の意向の確認が不十分で、意思の尊重を求める医療法に抵触するとみている。
また都は、透析中止の判断にあたって、第三者が入る倫理委員会を開かなかったことも問題視している。これまでの調査で、女性を含む患者4人が透析を中止した後に亡くなったほか、透析を始めない選択をした17人も死亡したことを確認しており、都は女性以外の患者についても説明や意思確認に問題がなかったかを調べている。
福生病院は8日、「多職種で対応し、家族を含めた話し合いが行われ、その記録も残されている。密室的環境で独断専行した事実はない」などとするコメントを発表。しかし記者会見を開かない状況が続いており、都は住民らに丁寧に説明するよう、医療法に基づいて口頭で指導している。
出典元 朝日新聞DIGITAL
こういう調査報告を行いました。
つまり、件の外科医が透析医療界へ一石を投じるのは勝手ではありますが、やり過ぎていないか? というのは誰しも感じてしまいます。
こうなってきますと、憲法9条同様、
「このガイドラインはこうも読み取れる」と勝手な解釈をする医師がアチコチから出はしないか? というのもありますし、また、批判が大きければ、正しいと思ったこともガイドラインから逸脱してしまえば出来ないという問題も出てきます。
現在、僕は「在宅血液透析」を行うべく、透析病院で「在宅血液透析移行へのトレーニング」を受けております。
この「在宅血液透析」というのは、病院で行っている週3回の外来透析を家で行えるものです。
医学会や透析医会でも、様々な意見のある「在宅血液透析」なのですが、医療者が付き添っていないため危険視する向きもあります。
しかしながら、患者にとっては在宅血液透析移行でフルタイム勤務が可能になり、(家で透析できるため、透析時間帯の縛りが緩くなります。必ず何時までに病院へ行って透析を受けなければならないという外来透析では、仕事時間のほうを調整しなければならないという問題があります。)
また、国の財政的にも、外来血液透析に比べ医療従事者への診療報酬が発生しないため、やや安価で出来ることなどから、お金に優しい透析とも言えます。(一方で患者サイドは水道代や電気代、工事費などの負担があります。)
この「在宅血液透析」でも大まかなガイドラインのようなものは存在している訳です。
僕の場合は、夫婦でフルタイム勤務をし、在宅血液透析行うということになるのですが、その場合は同時に透析出来ない(夫婦2人暮しですので、同時に透析しているとトラブルがあった場合にすぐさま対処出来ない問題があることなどから、そうなってます。)問題があります。
この場合、夜家に帰ってから2人が順次透析するということに時間的な問題が起きます。
僕ら夫婦の透析は週6回・1回2時間30分というものです。
準備時間・終了後の片付け時間を考えますと、2人バラバラに透析する場合は6時間くらいはかかります。
夜7時から透析準備を始めますと2人が終了するのは深夜1時になってしまいますね。
さすがに体力的な問題はあると思います。
ここもガイドラインを守っているからそうなる訳です。
当然、病院側も、ガイドラインを少々逸脱しても、患者QOLに適う場合は認めてくれるケースもあります。
もちろん、その場合は、その認めた医師と行う患者に全責任があります。

さて、今回の「透析中止」の件ですが、果たしてどうなるでしょうか?
ニュースソースにやや偏りは感じますが、実際に
「自殺の手助け」というレベルに落ちてしまっているのは間違いなさそうです。(少なくとも僕にはそう見えます。)
高齢で、体力的に透析が不可能な患者さんとは意味が違いますからね。
どうやら最初にこのニュースを報道した某新聞だけ会見取材を拒否したりと、どうもこの病院のやる事は大人げない事ばかりな気がします。
問題があるなら訴えれば良いだけ。
それをしないのは問題が無いと世間は思います。
最初の某新聞の取材とは会見での話がコロコロ変わってます。
院長が毎日新聞の取材に応じ、女性のケースについて「透析治療を含め、どういう状況下でも命を永らえることが倫理的に正しいのかを考えるきっかけにしてほしい」と話した。
2月下旬、病院内で応じた。亡くなった女性について「いろいろな選択肢を与え、本人が(透析治療の中止を)選んだうえで意思を複数回確認しており、適正な医療だと考えている」と強調。「透析治療を受けない権利を患者に認めるべきだ」とする外科医や腎臓内科医(55)の主張に理解を示した。
出典元 毎日新聞
この主張が、
病院側は「透析中止を提示した事実はない」と主張している。
出典元 読売新聞
このように変わりました。
また、
「余命は4年」という、どこから出たのか分からないような「余命宣告」がなされているのも大問題だと思うのですが、そこは誰もツッコまないですし。
前章でも書きましたが、透析患者で余命が明確なのは「患者の全身状態が極めて不良で、透析を行うこと自体が難しい」という状態の患者さんに限られます。
また、精神的に不安定な患者さんは時々います。
僕自身もちょうど43歳の頃に、透析をやめようとした経験があります。
トシヒーロー物語 透析バンザイ
この時、看護師のOさんが全身で引きとめてくれていなかったら、現在の僕は存在しません。
その後、精神的にも立ち直り、恋愛もし、結婚もしました。
人の命の先に何があるかは、本人次第とは思いますが、人は人生をどうにでも変えられる力があります。
僕は件の外科医にその人の人生を決めてしまうような神のような力を与えていることに問題を感じます。
透析を受けていなくても、健康で元気な方でも、人が生きていれば、落ち込むこともありますよ。
その際に、生きるか死ぬかの選択は常に自分自身で行っております。
患者が自ら
「死にたい」といった場合は別ですが、選択肢を人が与えるというのは違うと思います。
人が「死の選択」を与えるというのは、時々、暴言としてある
「死ね!」というのと何ら変わりはありませんね。
まだまだ生きられる元気な患者さんが、病院の力を借りて死ぬというのもおかしいと思います。
また、患者が透析をやめたいと言ったからという理由で、まだ十分生きられる患者さんにそれを認めてしまえば、単に
「自殺したい」と言ってる人に、
「あ、じゃあ、病院で手助けしてあげましょう(*'▽')」と言ってるに過ぎないという事を理解すべきです。
透析がどうしても嫌で、どうしても死にたかったら、自分でやっているはずです。
透析に行かなければ良いし、僕の透析仲間にも自殺をした人はいます。
気持ちは十分分かります。
しかし、こうして死を選んだ場合、周りを不幸にしてしまうことはよくあります。
「命は、大切に。」
幼稚園で教わりました。
人生は辛い事も多いですが、楽しい事も多いですよ(*'▽')
こんな風になる前に関東近県の患者さんであれば、1度、家へ来てください。
美味しいカレーライスを作って待ってますね(^◇^)
*透析仲間に来てもらってカレーパーチーやってます
スポンサーリンク
コメント
コメント一覧 (2)
現在、透析中止の件は調査報告が出るまで静観を決め込んでます。今回の透析中止は患者も患者、家族も家族、医療従事者も医療従事者、それぞれが特殊な登場人物で特殊な例と今の所見立てています。
今回の透析中止のニュースは個人的には透析中止の選択はあり得るとは思います。でも「何故孫を抱かせてからの透析中止にしなかった」と中止を告げた医師に聞いてみたいと思ってます。
レベルの低い施設で透析を行えば自ずとので死ぬことができるので万が一死にたくなったらレベルの低い施設で透析しようと思います。現在はもう少し生きる理由が有るので常に良い透析施設を探しています(笑)
私個人の意見を言わせていただくなら、医療従事者のかたは、仮に患者が透析やめたいと言っても、治療を継続する方向に、導いてあげるのが使命だと思います。
例えばこの病院は少ない透析量で厳しめの摂生を強いる病院であった場合、痩せた元気のない患者を毎日見てると、哀れに思えて来たんじゃないか?とか色々考えてしまいます。
透析になってしまったら、まずは透析になれること。慣れて知識が多少ついたら、より良い環境を探すこと!が大事かなぁって思います。
転院してみて病院によって違いもわかりました。例え同じ時間の透析量であっても、今の病院を選びたいと私は思います。
家が近ければ、カレーパーチーに行かせてもらいたいのですが、遠いです。
里帰りするときは教えてくださいね。