SSS92


医師が「死」の選択肢提示 透析中止、患者死亡 東京の公立病院 毎日新聞


「人工透析」は「延命治療」なのか?


ブロガー時代の僕だったら、飛びついていたニュースなんですが、今は引退してますので、この件に関して細かく書く気は毛頭ありません。

そもそも、いかにも医師が十分説得せず「淡々と死を提示した」と取れるような報道にもなっていますが、そんな訳ありません。

というか、そんな医師がいたら、医師会からつまはじきになってるはずですから。(刑事事件になりかねないです)

ただ、このニュースを取り上げたかったのは、「透析治療」とは何ぞや? という根幹にも関わると思ったからです。

「人工透析=延命治療」というのは否定できません。
やめたら死ぬのですから、延命措置と言われても仕方ありませんね。

しかし、そんじょそこらの「延命治療」とは訳が違うのが「透析医療」なのであります。

「え~っ! 週3回、1回4時間~。」

まあ、誰でもそう思う「人工透析」なんですが、逆に言えば、たったそれだけやれば生きられる上に、仕事も恋愛も可能ですから(原疾患や病状にもよります)。

「どこが延命治療か分からん!」というのが率直な感想です。

透析患者に関わらず、健康であっても「生」を楽しめない感覚を持つ人間はいます。
そういった人が「人工透析」を余儀なくされたら、まさに「延命治療」でしょうね。

しかし、一方で、「人工透析」を受けながらでも、人生を謳歌している方はゴマンといます。

「透析=延命」というのは薄れていくモノ


透析が延命か否かは少なくとも受ける本人によって違ってきますし、病状でも変わってきます。

透析を受ける(受け続ける)のを拒否するも、喜んでやるも、本人の自由であってしかるべきですが、少なくとも拒否するというのは、間違ったイメージを持ち過ぎなのではないか? とも思えますね。

確かに、疾患状況で苦しみは千差万別であり、決して「人工透析」が楽勝のものでもありません。

僕も時々行きたくない時もありますし、1度ですが、透析をやめようとした経験もあります。

それでも多くの支援を受け、また、温かい医療を受けてきたからこそ、現在の自分がこの世に存在しているのです。

そして、この度、同じ疾患を持つ女性と結婚したり、在宅血液透析への移行に挑戦したりしている訳です。

こう思うと、「透析=延命」というイメージは薄れますね。

普通に生きてるし、普通に人生を謳歌できてます。
(そう思えるようになるには、相応の医療者との出会いなども必要ですし、自分自身との葛藤にも真摯に向き合っていかねばなりません)

確かに人が生きていくことは、そう容易いことではありません。

苦悩もあります。

しかし、この治療がなければ、経験できなかった自分らしい未来を生きていくことができました。

なので、「どこが延命治療か分からん!」というイメージになってしまうのです。

2択選択は不要


物事を何でも「正しい」と「間違い」の2択選択をする必要はありません。

人生を謳歌するという事は、そのほとんどが「グレーゾーン」を生きることになります。

御釈迦様は「中道こそが本道」と語っています。

苦行も楽行もそこに答えはなく、人が人として生きていくことは中道を歩むべきなのです。

「正しい」、「間違い」にとらわれ過ぎている人は、人生のほとんどで「眉間にシワがよる」事になります。

世の中は「一見して間違いだらけ」に見えてしまいますからね。

その中を生きているのですから、「グレー」で結構なのです。

「生きるか」、「死ぬか」の2択選択も不要です。

「ただ何となく生きてる」というのもありなのですよ。

「ただ何となく死んでしまった」というのもありです。

「人工透析」はとかく多方面から色々誹謗されることもありますが、少なくとも患者と医療従事者がWIN・WINの関係性を築けなければなりませんね。

この仕事に真摯に向かい合う事で人生を謳歌できる医療者と、この治療に真摯に向かい合うおかげで人生を謳歌できる患者と、この出会いが多くの人の人生をより豊かにしていける。

そういうものであって欲しいと切に願います。

選択を間違えることは誰しもあります。
人は間違わずに生きていくことなどできないのですから。

少なくとも自分は、間違う人間に微笑んで手を差し伸べる人間でありたいと思います。




スポンサーリンク