来週の火曜日にいよいよ入籍ということになりました(*'▽')

結婚するしないという話は透析になる以前にも経験はありますが、実際に入籍に向けて本格的に行動したのは人生初です。(50年も生きててww)



つい最近までこの未来を想定してなかった


僕の側では、母が骨折入院というのがありましたが、現在順調に回復中です。

兄弟、親戚も含めて相談し、とりあえずは母を四国に残し、僕だけ神奈川に行く事になります。

それが全てにおいて最善であろうという結論に至りました。

もうすでに入籍のための婚姻届けや必要書類は用意してますからね。

後は来週火曜日に横浜の役所に2人で届けるだけの状態です(*'▽')


ん~(^◇^)

感慨深いですなぁ。

ついついこの週末は透析導入した頃を思い出してしまいました。

えっ、この未来を12年前に想定してましたか?
と言われたら、NOです。

実際、昨日も彼女と話しましたが、今年2月に透析ブロガーオフ会で会った時も、まさか僕たちが結婚するとはその時思ってなかったよね~(*'▽')
って感じだったことを話しました。

それどころか、5月の末頃までは想定外ですよ。

5月の30日辺りから、僕らの会話がその方向に突然向かい始めました。

そこから7月の初旬頃には、具体的に結婚の話となり、婚約状態になっちゃいましたからね。


まあ、つい最近まで想定してない未来とも言えました。

なんか、このまま一生独身だろうなと(-_-;)

SSS92



死ぬのはやめた。俺は生きるぞ


透析導入の頃、僕がどういう思いだったかと言いますと、透析を10年も受ければ僕は死んでしまうだろうから、頑張る意味がないという感じでした。

透析導入病院では7年近く透析してましたが、周りの患者さんたちは次々にお亡くなりになられ、どんどん初期に仲の良かった方々がいなくなっていって、僕自身も38歳からの透析導入でしたが49歳で死ぬ予定(と思い込んでた)でした。


ということで、50歳の今、完全に余生ですわ(^◇^)


その病院でずっと家と病院の往復だけの人生を送ってたら、今の状況にはならなかったでしょう。

完全に生きる気持ちを失ってましたので、両親の年金の庇護の元、ぬくぬくと暮らしてました。

当時、両親のどちらかに何かあれば、その生活も一変し、その場合は首吊りだなと覚悟も決めてましたね。

実際、3年前の父の重病時に、生きるには仕事をするしかなく、生きるか死ぬかの選択がありました。

その時点で今の病院で透析してたこともあって、意外と体調が良かったため、死ぬにはもったいないという思いが芽生え始めていました。


あはは(^◇^)
いや、50歳の今、余生ですからね(*'▽')

思い切り弾けたろか(>_<)
という感じですな。

何かを始めるにはちょうど良い区切りでもあります。

心が躍る方向に進んで行ってると、自然とこういう状況になりました。



人生はニャンとかなる


男女の付き合いには色々形がありますからね~。

僕らに影響される必要性はまったくありません。

たまたま僕らの気持ちが一致したからこうなっただけなので、結婚だけが恋愛のすべてではありませんからね。

互いの結婚の条件がマッチしたというのもあります。

僕的にも、ブロガーとしてやって行く事に限界も感じてましたし、就職するというのは常に頭の中にありました。

昨年12月にこのブログを立ち上げた際も、スグに就職を意識してハローワーク通いもやってました。

が、やはりガッツリ稼ぐには夜間透析が必要でしたが、こんな田舎に夜間透析を行ってくれる病院がありませんからね(-_-;)

地元にいたら無理で、せめて高松に出るくらいはやらないといけない状態でした。

神奈川に行けば、状況が一変します。

85歳の高齢の母の問題があり、そこがネックになってましたが、家族・親戚に支えられました。

食っていく事の方が先決事項ですから(*'▽')

母に何かあった場合、ブロガー収入だけはやっていけませんよ。

やはり就職したかった。

そういう時に、社会でも障害者雇用が大きく発展し始めました。

風は吹いている・・・。

後は僕自身の思い切りのみだ。

そんな中、1人の透析仲間と出会い、自然に条件が整っていったという訳です。

人生はニャンとかなる

結婚に在宅血液透析・・・

そして就職・・・

12年前、この未来はとても想像できませんでしたな(*'▽')


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