SSS81


「思考は現実化」の理念を実行するには、自身がかなり洗練されないと難しいです。

どうしても世の中を生きていけば、心に骨が刺さるような出来事に出くわしてしまうため、心に「毒」を持ちやすいということもあります。

1度持ち合わせた「毒」をどう処理するかは難しいところです。

「毒」を持つ=心の乱れ
となり、自身を取り巻くエネルギーフィールドに負の感情が流出してしまい、すべて自分に跳ね返ってきます。

ソーシャルなどで「毒」を吐くと、多少はスッキリするかもしれないですが、吐いた毒は「思考は現実化」の理念でいつまでも自分に跳ね返り続けてしまいます。

それで、いつまでも「毒」から離れられない思考となってしまうのですね。



しかし、心に受けた「毒」を上手に処理するのは相当に難しいです。

僕自身も心に大きな骨が1本刺さってますが、最近はある程度制御出来てたはずなんですが、ふとした拍子に思い出し、心に「毒」が流出してしまいますね。

こういう状態は「思考は現実化」の世界と逆行しますので、なんとかしなければと焦るばかりです。

この経験でいつも思うのですが、刺さった骨はいつまでも抜けないものですね。

時間経過と共に自然に抜けるなんてことはないのかも知れません。



最近は自分の悪事を認めないという人が増えました。

良い大人がみっともないなというも感想を持たれる人は多いでしょう。

しかし、大半の人は大なり小なり、自分の悪事は認めず誤魔化している現状などもあるのではないでしょうか。(どこからが悪事かの議論は置いといて)

まあ、そもそも悪事は隠すことが多いですからね。

人の思考は行動になりやすいですので、普段から「心を研磨し洗練していく」という作業は必要かもしれません。

唾を吐かない、ゴミをポイ捨てしない、所定のゴミ箱に所定のもの以外のゴミを捨てないなど、些細なところから自己研鑽を始めて行けば良いのではないでしょうか。

そして、その細かいルールを人に向けないというのも大事なのかも知れません。

すべては自分自身で気付かない限り、何も改善しないのですから。



日本は多くの神社仏閣があり、国土自体がご神体という考え方もあります。

御神木にいたずらしたりの行為でも同様ですが、唾を吐いたり、ゴミをポイ捨てするだけでも、十分な悪事で、自身のエネルギーフィールドを狂わすものとなってしまいます。

僕自身もブログで毒を吐く事は多いですが、やはり吐いた毒は跳ね返るなという現状には気付きますね。

一方で、跳ね返した人もやはり跳ね返ってる現状を垣間見れますね。

「思考を洗練させる行為」というのは、いつまでも簡単に手が届かない難しい世界ではありますが、日々その努力をすることに何かの意味を感じることはあります。

僕自身、刺さった大きな骨に対し、なるべくなら「慈悲」を持とうと懸命に歩んできて、それ以来、良い事も同時に起きるようになりました。

国土自体が御神体という考えの前では、僕の思考などすべてお見通しになられているのでしょう。

心の研磨は常に意識しておくべきですね。

僕ぐらいの歳になってしまいますと、誰でも多少は心も汚れているでしょうけども、その汚れを振り払おうとしてるか否かで、その人の人生における近未来が何となく見えてくるような気がします。

まあ、なかなか穢れなき心には程遠いのですけどね。
出来た時に刺さった骨は抜けているのでしょう。



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