僕は「人間心理」にもの凄く興味があります。
研究家とかそういうのになりたい訳ではなく、あくまで趣味のレベルなんですけどね。(人間ウォッチャーとかそういう感じです)
心理学は本格的にはやってませんが、オルカさん(透析導入後に資格を取りカウンセラーとして全腎協で電話相談なども担当している才女)に色々教わったりもしました。
僕自身も透析環境の中で様々な経験をしたことがきっかけで、透析患者さんや透析医療に関わる人達の心理状態に興味津々です。
透析室内での人間関係の中で、サイコネフロロジー(透析患者の精神性)という用語もある訳ですが、精神科医でもあった春木先生ならではのもので、ある程度の人間心理を理解してないと、サイコネフロロジーは語れないと思います。
人は多かれ少なかれ、
*人の上に立ちたい
*人より優れていると思われたい
*人より優位に立ちたい
*高いステータスを持ち人から崇められたい
*尊敬されたい
*偉そうにしたい
などの精神状況を持っています。
ただ中には、偉くなるとその分「責任」も重くなるので、賢い方などの中には普通で良いと考える人もいるようです。
一方で、偉くなりたい一心で「虚勢」を張ったりする人もいますよね。
横柄な人は、自分の周りの人物をさげすむことで、自分の価値を高めたりします。(この場合、自分を高めてるのではなく、人を下げて自分を浮上させようというある種「姑息性」があると思います。)
まあ、例に漏れず、僕自身にもそういう部分はあるのですが、僕の場合は最後の「偉そうにしたい」という部分がちょっと弱めで、偉そうにしてる人物を見て「下品極まりない」としか感じないので、同じようになりたくない一心で、「人の上には立ちたいが偉そうにはしたくない」という精神が裏で少しだけ働いてます。
僕自身に「虚言癖」があったのも、まさに「偉くなりたい」という精神要素が働いていたから起きていたことです。(ウソをついてまで、自分が可能性に満ちてることを表現したいというような感覚があったかと思われます)
20歳を過ぎ、このことに気付き、自分自身をこの面では律しようとしてきました。
つまり、偉くなりたければ、自分自身のステータスを上げていくしかない訳です。
過去の栄光などにしがみつくことなく、虚勢を張らず、品格を持った偉さを得たかった訳ですな。(出来てるとは思ってませんが)
人を下げて浮上するのではなく、ちゃんとした実績を残すことで偉くなりたかったということです。
(これが普通だと思いますけどね。虚言壁や虚勢は頭の良い人には見抜かれますから)
まあ、こういう「人から崇められたい」といった精神面が正しい方向に働く人は、「清廉」で「勤勉」ですね。
一方、「人から崇められたい」という精神が間違った方向に作用してる人の場合は、人を貶める発言を繰り返したり、伸びてきそうな人を叩いたりします。
こういう人間心理がある訳ですな(*'▽')
さて、これを透析環境に置き換えてみましょう(^◇^)
透析室内での人間の上下関係は、年齢だったり、透析年数だったり、医療従事者側では役職や資格の有無、キャリアなどで起きてます。
ところが、医療側と患者側での上下関係も起きてるように思われます。
中には、透析患者のことをさげすんでいる医療従事者さんも見かけますね。
「ちゃんと自分を律して病気に立ち向かえなかったので、こんな病気になった馬鹿垂れども」という扱いをしてくる人もいます。
そういった中で、誰もが「人から崇められたい・尊敬されたい」という精神が破壊されていくのが、透析環境の中で、患者の精神が歪められる元になってるのではないでしょうか?
そんな環境の中で、週3回の透析を繰り返してる訳ですから、今度は患者同士の中での「偉さ」の戦いが起きてしまい、透析知識があることが偉いとか、僕のように患者の人間性を問うとか、様々な要素が飛び交ってます。
ん~(-_-;)
見るも無残(-_-;)
まあ、医療サイドの発言を守るという、言わば患者は医療従事者側の奴隷でもあるかのような意識下に置かれる場合があるのですね。(医療側・患者側の間に上下関係が起きている)
そういった部分から、患者の精神を守り、患者の尊厳を立ててあげる医療を提示することこそ、本来のサイコネフロロジーではないかと思います。(人として対等であるという精神性の元に医療を提供する事で、患者の精神のゆがみを起こさないようにする)
透析室内や病院内で、医療従事者側にも優位、不利が起きており、その中で下になってる人ほど、透析患者を心の中で「罵倒」し、自分より下に見立てたいという心理が働きやすくなる訳でして、それが透析患者さんたちに伝わり、透析患者さんの精神をむしばむ要因の1つとなっている訳ですね。
分かりやすい部分として、患者さんの中にも「自分が客でこっちのほうが偉い」と勘違いした言動を繰り返す人がたまにいると思います。
医療者さんたちは、そういう患者を見てどう感じるでしょうか?
自分を信頼しない患者に懇切に看護したいと思うでしょうか?
同様の現象が患者側にも起きてますので、細心の注意が必要かと思います。
少なくとも、患者の精神の乱れは、長きにわたって患者にプレッシャーをかけ続けた結果が繁栄していくものと感じます。
僕はこれを「透析病」と呼びます。
これは患者のみにあらずだと思っております。
医療従事者さんの中にも、透析環境に居続けて「患者をさげすむことで自身の至らなさをカバーしている」人もいますが、こういった精神状況にある方はすべて「透析病」という新たな精神疾患と感じますね。
透析患者さんの中には、高血圧で透析中の血圧低下現象をあまり起こさない人も一部にはいる訳ですが、半数以上の患者さんは、透析中の血圧急低下の経験があると思います。
この透析中の血圧低下時こそ、その人間の「人より優位に立ちたい」という精神性が発揮されやすい状態にあると思います。
そもそもですな、透析中の血圧急低下が起きる要因の95%近くは、除水量の問題(除水量が多過ぎることによるプラズマリフィリング要因による血圧低下)と、ドライウェイトの問題(ドライウェイトよりも実際の体重が重くなっていることで、体内に必要な水分まで透析で引いてしまい脱水症状に似た血圧低下が起きる)が占めていると思われます(あくまで僕個人の見解です。はっきりとしたデータを持っている訳ではありません)。
つまり、この95%の透析中の血圧急低下要因は防ごうと思えば防げる訳ですね。
まずは、患者サイドが無用に体重を増やしてこない(増え幅の上昇を適度に抑える)ことや、透析で1度に多く除水しないようにすること、ドライウェイトの扱いを上手にやることなどを、やっていくだけの簡単極まりないことなのです。
が、もう一方で、体内に水分が余り過ぎていると(除水を残し過ぎたり、ドライウェイトがゆるくなり過ぎていたり)内臓(特に心臓)や血管内部に大きな負担をかけてしまう問題もある訳ですが。
しかし、この要素を逆手に取るような医療が提供されている透析病院もまだまだある訳です。
先の患者をさげすむ医療者は、心の中でこう思っていることでしょう。
「いやいや、増えてきたのはお前だ。ドライウェイトまで引いてもらうぞ。血圧が下がってしんどい思いをするのは全てお前の責任だ。」
(^◇^)
いやいや、患者さんが透析中に血圧の急低下が起きると、仕事が増えてしんどくなるのはお前も同じだ(*'▽')
僕はわずかな透析室内で、同時に10人くらいの患者さんが透析中の血圧急低下に見舞われていた病院も見た事があります(大した病床数でもないのに。全体の3割以上)
こういう透析室内では、問題が2点あります。
*患者は透析の度にドライウェイトまで除水しなければならないという、杓子定規な頭の固さを発揮している(その理論を患者イジメに適用している・医療者の透析知識の少なさも影響にある)
*患者さんが増え幅が多くても、それは患者の責任であるから、無茶しても良い
ん~(-_-;)
透析中の血圧急低下も、患者さんの予後に大きな影響を与えます。
動脈硬化の原因となり、心筋梗塞や脳梗塞の危険性を高めますね。
更に医療者側も、無用な労働を増やすことになりますし(血圧が低すぎる患者さんは透析後も立てなかったり倒れたりするので仕事が増える)、患者予後に影響があるということは、病院の透析レベルの低下につながり、長期透析者が出づらくなってしまうため評判にも影響します。
透析中の血圧急低下は両者にとって決して有難いことではありませんね。
つまり、透析中に血圧低下現象があまり起きないということこそ、患者と医療者にとってのWIN・WINでもあります。
サイコネフロロジーが行き届いてる透析環境では、ドライウェイトという概念よりも、患者さんの透析中、透析後に血圧面での異変がない状態を作るということを、真っ先に考えます。
患者さんの体感のほうを大事に考えている訳ですね。
ところが、患者をさげすむ環境にある医療従事者さんは、ドライウェイトにこだわり、増えの多さを利用し、罰則のようにして、患者の精神をむしばんでいくのです。
僕からすれば、増えが多くても、1キロくらい正規のドライウェイトから水を余していたとしても、よほど心臓に特別な疾患を持っていなければ、大した影響は(その時点では。長年繰り返す事での影響はあると思います)ありません。
むしろ、ドライウェイトは少し緩めのほうが患者はラクで活動量も増えます。
厳しいドライウェイト管理下では、透析後の体調異変に繋がりやすい感じがします。
もちろん、患者側も増えを増やさないという努力は当然のことですが、増えたからと言って、無理矢理な除水設定をするということは、透析知識に欠けるか、もしくは患者イジメをしてるようにしか、僕には映りません。(除水量(プラズマリフィリング)には個人差が大きく、人によっては時間当たり1キロ以上の除水が可能な人もいますし、わずか時間辺り0.3キロの除水も不可能な患者さんもいます。)
増えが多い患者さんに対しては、透析時間を延ばして時間当たりの除水量を減らすか、もしくは引いても血圧急低下が起きない除水設定をすべきだと感じますね。
患者さんの増え放題を防ぐために、ドライウェイトに対する言及が厳しくなりすぎて、それが透析患者と医療者の上下関係に大きく影響し、患者の精神性をゆがめる場合もあるのです。
僕から言えば、透析環境の中で暴虐な患者さんが増えたり、モンスター患者を大量発生させる要因の1つと考えます。
たかだか、こんな程度のことでもそういう状況が起きるのですが、そういう透析環境ではサイコネフロロジーの春木先生の理論を理解していない証拠となりますね。

人間の精神性というのは、ある種、理論で簡単に片づけられるようなことではありませんが、(様々な要素が複雑に絡み合っている)この「人より優位に立ちたい」という人間心理が、透析環境の中で大きな影響を与えていることは、僕は否定できません。
例えば、透析を受ける事で、仕事をしなくなり(できなくなり)生活保護に頼っている患者さんもいますよね。
そうした患者さんを人間としてさげすんでいる医療者さんはいるでしょうか?
患者の職業を根幹に置くのが医療であれば、万人に平等な医療をという日本の平等主義の概念に逆らう事になります。
確かに、透析患者さんの精神性は僕から見ても複雑怪奇で難しいと思います。
僕自身も一時、自殺を考えるなど、とても難しい精神状況にあった経験があります。
そうした中で、人間性のレベルの高い医療従事者さんの助けを受け、今日まで歩んでこられました。
レベルの高い医療従事者さんは「清廉」で「勤勉」であるという、品格の高さを持っていると思います。
透析環境の中で、勉強することをしっかりやり、他人を思いやる気持ちや、患者に対する上下を無用に持ち出さないという、とても品格の高い人達でもあります。
サイコネフロロジーの理論が理解できない病院では、きっと怒鳴り声が蔓延し、患者を規則で縛り、恐らくは、「暴言を吐かない」「暴力は行わない」などのごくごく当たり前のことを書類にし、患者に誓約書を書かしていることでしょうね(*'▽')
通常は、そのようなことは、かなりの特殊環境でしか起き得ません。
透析環境の中で、患者を見下す習性を持ってる透析室内では、様々な問題が起き、日々憂慮し、患者を恫喝するような医療従事者さんまで出していますね(*'▽')
透析患者さんの場合、人によっては医療者さんに注文をつけるような人もいますが、あまり言い過ぎますと、透析医療を受けられなくなるのではないか? 転院しなくてはいけなくなるのではないか? というような内に恐怖感をもっている場合もあります。
言いたいけど、言えない・・・。
自分が透析を受け生き続けるには、言いたい事も我慢しなけれなならないといった精神的弊害を受けていることもしばしばあります。
まあ、全ては「品格」があるかどうか。
もちろん、患者さんの中にも元々暴虐な素養をもっていた方もいらっしゃるとは思いますが、その場合は世間一般でも同様に普通に対処しております。
患者にも責任はありますが、医療従事者にも透析環境が荒れることに責任があるという自覚のない方が多いように見受けます。
誰かへの責任の押し付け合いという無残さを生む前に、自分自身の思考への「品格の高さ」をもう1度見直してみてはどうでしょうか?
それでも、人をさげすんでまで、「人より優位に立ちたい」ですか?
「下品な言動」をつつしむことから、サイコネフロロジーが始まるのだと僕は思います。
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研究家とかそういうのになりたい訳ではなく、あくまで趣味のレベルなんですけどね。(人間ウォッチャーとかそういう感じです)
心理学は本格的にはやってませんが、オルカさん(透析導入後に資格を取りカウンセラーとして全腎協で電話相談なども担当している才女)に色々教わったりもしました。
僕自身も透析環境の中で様々な経験をしたことがきっかけで、透析患者さんや透析医療に関わる人達の心理状態に興味津々です。
透析室内での人間関係の中で、サイコネフロロジー(透析患者の精神性)という用語もある訳ですが、精神科医でもあった春木先生ならではのもので、ある程度の人間心理を理解してないと、サイコネフロロジーは語れないと思います。
人間心理にある「人より優れてると思われたい」という感情
人は多かれ少なかれ、
*人の上に立ちたい
*人より優れていると思われたい
*人より優位に立ちたい
*高いステータスを持ち人から崇められたい
*尊敬されたい
*偉そうにしたい
などの精神状況を持っています。
ただ中には、偉くなるとその分「責任」も重くなるので、賢い方などの中には普通で良いと考える人もいるようです。
一方で、偉くなりたい一心で「虚勢」を張ったりする人もいますよね。
横柄な人は、自分の周りの人物をさげすむことで、自分の価値を高めたりします。(この場合、自分を高めてるのではなく、人を下げて自分を浮上させようというある種「姑息性」があると思います。)
まあ、例に漏れず、僕自身にもそういう部分はあるのですが、僕の場合は最後の「偉そうにしたい」という部分がちょっと弱めで、偉そうにしてる人物を見て「下品極まりない」としか感じないので、同じようになりたくない一心で、「人の上には立ちたいが偉そうにはしたくない」という精神が裏で少しだけ働いてます。
僕自身に「虚言癖」があったのも、まさに「偉くなりたい」という精神要素が働いていたから起きていたことです。(ウソをついてまで、自分が可能性に満ちてることを表現したいというような感覚があったかと思われます)
20歳を過ぎ、このことに気付き、自分自身をこの面では律しようとしてきました。
つまり、偉くなりたければ、自分自身のステータスを上げていくしかない訳です。
過去の栄光などにしがみつくことなく、虚勢を張らず、品格を持った偉さを得たかった訳ですな。(出来てるとは思ってませんが)
人を下げて浮上するのではなく、ちゃんとした実績を残すことで偉くなりたかったということです。
(これが普通だと思いますけどね。虚言壁や虚勢は頭の良い人には見抜かれますから)
まあ、こういう「人から崇められたい」といった精神面が正しい方向に働く人は、「清廉」で「勤勉」ですね。
一方、「人から崇められたい」という精神が間違った方向に作用してる人の場合は、人を貶める発言を繰り返したり、伸びてきそうな人を叩いたりします。
こういう人間心理がある訳ですな(*'▽')
この精神性が透析環境ではどうなってる?
さて、これを透析環境に置き換えてみましょう(^◇^)
透析室内での人間の上下関係は、年齢だったり、透析年数だったり、医療従事者側では役職や資格の有無、キャリアなどで起きてます。
ところが、医療側と患者側での上下関係も起きてるように思われます。
中には、透析患者のことをさげすんでいる医療従事者さんも見かけますね。
「ちゃんと自分を律して病気に立ち向かえなかったので、こんな病気になった馬鹿垂れども」という扱いをしてくる人もいます。
そういった中で、誰もが「人から崇められたい・尊敬されたい」という精神が破壊されていくのが、透析環境の中で、患者の精神が歪められる元になってるのではないでしょうか?
そんな環境の中で、週3回の透析を繰り返してる訳ですから、今度は患者同士の中での「偉さ」の戦いが起きてしまい、透析知識があることが偉いとか、僕のように患者の人間性を問うとか、様々な要素が飛び交ってます。
ん~(-_-;)
見るも無残(-_-;)
まあ、医療サイドの発言を守るという、言わば患者は医療従事者側の奴隷でもあるかのような意識下に置かれる場合があるのですね。(医療側・患者側の間に上下関係が起きている)
そういった部分から、患者の精神を守り、患者の尊厳を立ててあげる医療を提示することこそ、本来のサイコネフロロジーではないかと思います。(人として対等であるという精神性の元に医療を提供する事で、患者の精神のゆがみを起こさないようにする)
透析室内や病院内で、医療従事者側にも優位、不利が起きており、その中で下になってる人ほど、透析患者を心の中で「罵倒」し、自分より下に見立てたいという心理が働きやすくなる訳でして、それが透析患者さんたちに伝わり、透析患者さんの精神をむしばむ要因の1つとなっている訳ですね。
分かりやすい部分として、患者さんの中にも「自分が客でこっちのほうが偉い」と勘違いした言動を繰り返す人がたまにいると思います。
医療者さんたちは、そういう患者を見てどう感じるでしょうか?
自分を信頼しない患者に懇切に看護したいと思うでしょうか?
同様の現象が患者側にも起きてますので、細心の注意が必要かと思います。
少なくとも、患者の精神の乱れは、長きにわたって患者にプレッシャーをかけ続けた結果が繁栄していくものと感じます。
僕はこれを「透析病」と呼びます。
これは患者のみにあらずだと思っております。
医療従事者さんの中にも、透析環境に居続けて「患者をさげすむことで自身の至らなさをカバーしている」人もいますが、こういった精神状況にある方はすべて「透析病」という新たな精神疾患と感じますね。
透析室内での実際例
透析患者さんの中には、高血圧で透析中の血圧低下現象をあまり起こさない人も一部にはいる訳ですが、半数以上の患者さんは、透析中の血圧急低下の経験があると思います。
この透析中の血圧低下時こそ、その人間の「人より優位に立ちたい」という精神性が発揮されやすい状態にあると思います。
そもそもですな、透析中の血圧急低下が起きる要因の95%近くは、除水量の問題(除水量が多過ぎることによるプラズマリフィリング要因による血圧低下)と、ドライウェイトの問題(ドライウェイトよりも実際の体重が重くなっていることで、体内に必要な水分まで透析で引いてしまい脱水症状に似た血圧低下が起きる)が占めていると思われます(あくまで僕個人の見解です。はっきりとしたデータを持っている訳ではありません)。
つまり、この95%の透析中の血圧急低下要因は防ごうと思えば防げる訳ですね。
まずは、患者サイドが無用に体重を増やしてこない(増え幅の上昇を適度に抑える)ことや、透析で1度に多く除水しないようにすること、ドライウェイトの扱いを上手にやることなどを、やっていくだけの簡単極まりないことなのです。
が、もう一方で、体内に水分が余り過ぎていると(除水を残し過ぎたり、ドライウェイトがゆるくなり過ぎていたり)内臓(特に心臓)や血管内部に大きな負担をかけてしまう問題もある訳ですが。
しかし、この要素を逆手に取るような医療が提供されている透析病院もまだまだある訳です。
先の患者をさげすむ医療者は、心の中でこう思っていることでしょう。
「いやいや、増えてきたのはお前だ。ドライウェイトまで引いてもらうぞ。血圧が下がってしんどい思いをするのは全てお前の責任だ。」
(^◇^)
いやいや、患者さんが透析中に血圧の急低下が起きると、仕事が増えてしんどくなるのはお前も同じだ(*'▽')
僕はわずかな透析室内で、同時に10人くらいの患者さんが透析中の血圧急低下に見舞われていた病院も見た事があります(大した病床数でもないのに。全体の3割以上)
こういう透析室内では、問題が2点あります。
*患者は透析の度にドライウェイトまで除水しなければならないという、杓子定規な頭の固さを発揮している(その理論を患者イジメに適用している・医療者の透析知識の少なさも影響にある)
*患者さんが増え幅が多くても、それは患者の責任であるから、無茶しても良い
ん~(-_-;)
透析中の血圧急低下も、患者さんの予後に大きな影響を与えます。
動脈硬化の原因となり、心筋梗塞や脳梗塞の危険性を高めますね。
更に医療者側も、無用な労働を増やすことになりますし(血圧が低すぎる患者さんは透析後も立てなかったり倒れたりするので仕事が増える)、患者予後に影響があるということは、病院の透析レベルの低下につながり、長期透析者が出づらくなってしまうため評判にも影響します。
透析中の血圧急低下は両者にとって決して有難いことではありませんね。
つまり、透析中に血圧低下現象があまり起きないということこそ、患者と医療者にとってのWIN・WINでもあります。
サイコネフロロジーが行き届いてる透析環境では、ドライウェイトという概念よりも、患者さんの透析中、透析後に血圧面での異変がない状態を作るということを、真っ先に考えます。
患者さんの体感のほうを大事に考えている訳ですね。
ところが、患者をさげすむ環境にある医療従事者さんは、ドライウェイトにこだわり、増えの多さを利用し、罰則のようにして、患者の精神をむしばんでいくのです。
僕からすれば、増えが多くても、1キロくらい正規のドライウェイトから水を余していたとしても、よほど心臓に特別な疾患を持っていなければ、大した影響は(その時点では。長年繰り返す事での影響はあると思います)ありません。
むしろ、ドライウェイトは少し緩めのほうが患者はラクで活動量も増えます。
厳しいドライウェイト管理下では、透析後の体調異変に繋がりやすい感じがします。
もちろん、患者側も増えを増やさないという努力は当然のことですが、増えたからと言って、無理矢理な除水設定をするということは、透析知識に欠けるか、もしくは患者イジメをしてるようにしか、僕には映りません。(除水量(プラズマリフィリング)には個人差が大きく、人によっては時間当たり1キロ以上の除水が可能な人もいますし、わずか時間辺り0.3キロの除水も不可能な患者さんもいます。)
増えが多い患者さんに対しては、透析時間を延ばして時間当たりの除水量を減らすか、もしくは引いても血圧急低下が起きない除水設定をすべきだと感じますね。
患者さんの増え放題を防ぐために、ドライウェイトに対する言及が厳しくなりすぎて、それが透析患者と医療者の上下関係に大きく影響し、患者の精神性をゆがめる場合もあるのです。
僕から言えば、透析環境の中で暴虐な患者さんが増えたり、モンスター患者を大量発生させる要因の1つと考えます。
たかだか、こんな程度のことでもそういう状況が起きるのですが、そういう透析環境ではサイコネフロロジーの春木先生の理論を理解していない証拠となりますね。

人をさげすんでまで人より上に見られたいですか?
人間の精神性というのは、ある種、理論で簡単に片づけられるようなことではありませんが、(様々な要素が複雑に絡み合っている)この「人より優位に立ちたい」という人間心理が、透析環境の中で大きな影響を与えていることは、僕は否定できません。
例えば、透析を受ける事で、仕事をしなくなり(できなくなり)生活保護に頼っている患者さんもいますよね。
そうした患者さんを人間としてさげすんでいる医療者さんはいるでしょうか?
患者の職業を根幹に置くのが医療であれば、万人に平等な医療をという日本の平等主義の概念に逆らう事になります。
確かに、透析患者さんの精神性は僕から見ても複雑怪奇で難しいと思います。
僕自身も一時、自殺を考えるなど、とても難しい精神状況にあった経験があります。
そうした中で、人間性のレベルの高い医療従事者さんの助けを受け、今日まで歩んでこられました。
レベルの高い医療従事者さんは「清廉」で「勤勉」であるという、品格の高さを持っていると思います。
透析環境の中で、勉強することをしっかりやり、他人を思いやる気持ちや、患者に対する上下を無用に持ち出さないという、とても品格の高い人達でもあります。
サイコネフロロジーの理論が理解できない病院では、きっと怒鳴り声が蔓延し、患者を規則で縛り、恐らくは、「暴言を吐かない」「暴力は行わない」などのごくごく当たり前のことを書類にし、患者に誓約書を書かしていることでしょうね(*'▽')
通常は、そのようなことは、かなりの特殊環境でしか起き得ません。
透析環境の中で、患者を見下す習性を持ってる透析室内では、様々な問題が起き、日々憂慮し、患者を恫喝するような医療従事者さんまで出していますね(*'▽')
透析患者さんの場合、人によっては医療者さんに注文をつけるような人もいますが、あまり言い過ぎますと、透析医療を受けられなくなるのではないか? 転院しなくてはいけなくなるのではないか? というような内に恐怖感をもっている場合もあります。
言いたいけど、言えない・・・。
自分が透析を受け生き続けるには、言いたい事も我慢しなけれなならないといった精神的弊害を受けていることもしばしばあります。
まあ、全ては「品格」があるかどうか。
もちろん、患者さんの中にも元々暴虐な素養をもっていた方もいらっしゃるとは思いますが、その場合は世間一般でも同様に普通に対処しております。
患者にも責任はありますが、医療従事者にも透析環境が荒れることに責任があるという自覚のない方が多いように見受けます。
誰かへの責任の押し付け合いという無残さを生む前に、自分自身の思考への「品格の高さ」をもう1度見直してみてはどうでしょうか?
それでも、人をさげすんでまで、「人より優位に立ちたい」ですか?
「下品な言動」をつつしむことから、サイコネフロロジーが始まるのだと僕は思います。
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コメント
コメント一覧 (4)
誰でも承認欲求がありますよね。
だから、みんな自分を認めてくれる人が好きなんですよね。
他人を認めず、人を馬鹿にしてたり、
批判的になってたり、自慢ばかりしている人は、人を下げて自分を上げようとしても、逆に他人からすごいと思われないばかりが、
周りから避けられ周りに人がいなくなるので、
さらに人を貶めるという悪循環になりますよね。
人は鏡なんだから、人にみとめられたかったら、まずは自分から他人を認める事なんですよね。
久々にこちらにコメント失礼いたします。
いい医療者さん、いいスタッフさんは、決して、患者を上から目線で見ませんね。
少なくとも、そういう素振りは見せない。
だからこそ、分かる人には尊敬されるし、慕われる。
ただ、そういう環境に会えない患者さんは不幸かな。。。
コメント有難うございます。
年上のオルカさんを「才女」と形容するのは少々失礼かとも思ったのですが、もっともしっくりくる言葉がこれしか浮かびませんでした(-_-;)
そうそう。
周りには見透かされてしまうんですよね(-_-;)
おお!
確かに、他人を認めるというのは大事ですね(*'▽')
透析環境の中では、人間模様が色々あって面白いのですが、他を認めない患者や他を認めない医療者さんなど、原因はそこにあるのですね。
面白き人間模様。
今度は転院して、また新たな環境が見れる訳ですが、これまた面白そうです(^◇^)
コメント有難うございます。
そういう環境に出会えない患者さん(-_-;)
まあ、色々ありますね。
僕が思うに、患者側も色々でして、患者側にも問題がある場合もあるのですけどね。
どうしても軋轢を生み出しやすい性格というのがあると思うんですな。
これは、立場や職業に関わらずですが。
まあでも、良いスタッフさんがたくさんいる環境では、本当に気分よく透析させてもらえますね(^◇^)
ああいう環境を作り出してくれた現場のすべての人に感謝したいですね(*'▽')