透析を受け始めた当初、僕は心の閉塞感の中にいました。
なぜ、僕がこういう目に遭うんだろう。
世の中、もっと悪いヤツはいるだろうに・・・。
僕の場合は、透析導入時にそれまで付き合っていて結婚まで考えていた彼女とも別れましたし、考えてみれば、透析になって多くのものを失った喪失感があったかも知れませんね。
20代の時に、あんなにバリバリ仕事してたくさん稼いでいたのに、病気をして稼ぐのが難しくなった事もあったし、人並の事がなかなかできないジレンマもあったかも知れません。
ん~(-_-;)
じゃあ、具体的に何を失ってしまったんだろう。
・・・。
今、1番思うのは、当時を思い出してみて、「自分自身の笑顔」を失ってしまったのではないかと感じますね。
いや、全然笑わなかった訳では無いんですが、このままじゃだめだと思って、お笑い番組を見るなどして無理して笑ってた記憶があります。
何かのタガが外れ、人生がちっとも面白いものではなくなってしまった感じがありました。
つまんねえ。
おもしろない。
うな~(>_<)

いつしか、透析室内で起きてる現状が凄く嫌いになりましたね。
うるさい患者さんは多いし、増えが多いと看護師さんにブーブー言われるし。
頭の中でそういうストレスたちをぶった切る妄想ばかりしてました。
やりたいことを見失い、手に出来なくなったものと、生きるために受け入れざるを得ない、負の感情だらけの世界。
なんなんだ。
この世界は。
つまんねえ。
もう、それに尽きますね。
こういう負の感情ですと、感謝だのなんだのという言葉は全部「耳障りの悪い」ものに変わっていっちゃうんですよね。
ただ、こういう感情の中で生きている事が自分自身を許せなかったり、苛立ちが相当にありました。
何で世の悪人たちはのうのうと生き続け、僕がこんな目に遭うのかばかりが気になってましたね。
今から考えますと、何がどうで「自分が不幸」だと思い極めていたのかがちょっと分からない感じなんですよね。
とにかく、僕自身は、何かの妄想に憑りつかれていた感じもします。
僕は、本当に多くを失ってしまったのだろうか?
まあ、よくよく考えると、一応今のところ、僕自身は手足も動くし障害者と言ってもそこまで酷い状態ではありませんからね(-_-;)
ん?
不幸って何が???
訳の分からん「虚無感」に憑りつかれてたんですが、そこから脱した事も全部、自分の血となり肉となった感じもしますね。
言わば、勝手に自分を「どん底」と思っていた訳ですが、そういう思考から脱して、全部が「得たもの」に変わってしまった感も受けますね。
あ、そうだ。
自分はもっとやれるんだった。
透析を受け始めて、色々見てきた世界というのは「負の感情の世界」だった気がしますね。
周りの事が気になって自分がイラつくという現象は、自分自身がそういった周りと同等かそれ以下だからこそ、気になったりイラついたりする訳ですよ(*'▽')
自分が人間的に明らかに格上だとしたら、イラついたりしませんからね。
逆に微笑ましく、可愛く見えるはずなんですよ。
そう見えないって事は、自分も同じレベルかそれ以下でしかない。
その事に気付き始めましたね(*'▽')
あら(-_-;)
すっかり自分が衰退してました~(>_<)
そして、そういう事に気付き始めると、自分が一体どうなりたかったのかを思い出した訳ですな。
まあ、こうしてブログを書き続けた事もプラスになったかも知れません。
心の整理が出来た感じがします。
そうなんですよね。
わざわざ、自分を同じ次元にして語る必要も無い訳ですな。
透析仲間たちから何気に色々教わりました。
周りの一挙手一投足が気にならないからこそ、ストレスが大きく軽減し、楽しい事ばかりが見えるようになった訳ですな。
そうしたら、自分の見たいものが見えるようになって、そういう心を分かち合えそうなパートナーとも出会えましたし(^◇^)
とはいえ、全然僕自身は途上で、まったく目指すところには追いついてませんね。
というか、もっとも愚かで浅ましいのはまだまだ自分自身な気がします。
なので、成長したい。
素直にそう思えるようになってきました(*'▽')
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なぜ、僕がこういう目に遭うんだろう。
世の中、もっと悪いヤツはいるだろうに・・・。
人工透析になって芽生えた心の中の負の感情
僕の場合は、透析導入時にそれまで付き合っていて結婚まで考えていた彼女とも別れましたし、考えてみれば、透析になって多くのものを失った喪失感があったかも知れませんね。
20代の時に、あんなにバリバリ仕事してたくさん稼いでいたのに、病気をして稼ぐのが難しくなった事もあったし、人並の事がなかなかできないジレンマもあったかも知れません。
ん~(-_-;)
じゃあ、具体的に何を失ってしまったんだろう。
・・・。
今、1番思うのは、当時を思い出してみて、「自分自身の笑顔」を失ってしまったのではないかと感じますね。
いや、全然笑わなかった訳では無いんですが、このままじゃだめだと思って、お笑い番組を見るなどして無理して笑ってた記憶があります。
何かのタガが外れ、人生がちっとも面白いものではなくなってしまった感じがありました。
つまんねえ。
おもしろない。
うな~(>_<)

自分自身の不甲斐なさに苛立つ日々
いつしか、透析室内で起きてる現状が凄く嫌いになりましたね。
うるさい患者さんは多いし、増えが多いと看護師さんにブーブー言われるし。
頭の中でそういうストレスたちをぶった切る妄想ばかりしてました。
やりたいことを見失い、手に出来なくなったものと、生きるために受け入れざるを得ない、負の感情だらけの世界。
なんなんだ。
この世界は。
つまんねえ。
もう、それに尽きますね。
こういう負の感情ですと、感謝だのなんだのという言葉は全部「耳障りの悪い」ものに変わっていっちゃうんですよね。
ただ、こういう感情の中で生きている事が自分自身を許せなかったり、苛立ちが相当にありました。
何で世の悪人たちはのうのうと生き続け、僕がこんな目に遭うのかばかりが気になってましたね。
思考の危機から脱した事も血となり肉となる
今から考えますと、何がどうで「自分が不幸」だと思い極めていたのかがちょっと分からない感じなんですよね。
とにかく、僕自身は、何かの妄想に憑りつかれていた感じもします。
僕は、本当に多くを失ってしまったのだろうか?
まあ、よくよく考えると、一応今のところ、僕自身は手足も動くし障害者と言ってもそこまで酷い状態ではありませんからね(-_-;)
ん?
不幸って何が???
訳の分からん「虚無感」に憑りつかれてたんですが、そこから脱した事も全部、自分の血となり肉となった感じもしますね。
言わば、勝手に自分を「どん底」と思っていた訳ですが、そういう思考から脱して、全部が「得たもの」に変わってしまった感も受けますね。
あ、そうだ。
自分はもっとやれるんだった。
周りのすることは微笑ましく可愛い事に見えるはずだ
透析を受け始めて、色々見てきた世界というのは「負の感情の世界」だった気がしますね。
周りの事が気になって自分がイラつくという現象は、自分自身がそういった周りと同等かそれ以下だからこそ、気になったりイラついたりする訳ですよ(*'▽')
自分が人間的に明らかに格上だとしたら、イラついたりしませんからね。
逆に微笑ましく、可愛く見えるはずなんですよ。
そう見えないって事は、自分も同じレベルかそれ以下でしかない。
その事に気付き始めましたね(*'▽')
あら(-_-;)
すっかり自分が衰退してました~(>_<)
そして、そういう事に気付き始めると、自分が一体どうなりたかったのかを思い出した訳ですな。
まあ、こうしてブログを書き続けた事もプラスになったかも知れません。
心の整理が出来た感じがします。
そうなんですよね。
わざわざ、自分を同じ次元にして語る必要も無い訳ですな。
透析仲間たちから何気に色々教わりました。
周りの一挙手一投足が気にならないからこそ、ストレスが大きく軽減し、楽しい事ばかりが見えるようになった訳ですな。
そうしたら、自分の見たいものが見えるようになって、そういう心を分かち合えそうなパートナーとも出会えましたし(^◇^)
とはいえ、全然僕自身は途上で、まったく目指すところには追いついてませんね。
というか、もっとも愚かで浅ましいのはまだまだ自分自身な気がします。
なので、成長したい。
素直にそう思えるようになってきました(*'▽')
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