問題が起きてしまうと、大体は「気分が悪く」なります。
まあ、良い気はしませんわな(-_-;)
問題点を見つける能力というのは、子供の頃からそういう教育を受けてますので、どなたにでもあります。
多少の大小はありますけどね。
世界3大心理学者のアルフレッド・アドラーも語っていますが、問題を見つけても、改善・実行しなければ、問題を見つけること自体も無意味となります。
アドラーは「実行」こそがもっとも大事で、「問題を見つける」事に終始しやすい人間の脳の働き方に対して言及していた訳です。
なんと、「問題を発見しても」その問題を改善し実行することは5%にも満たないというデータまでありますね。
残り95%は「問題を見つける」というだけで終わってしまうと。(その後の人生にまったく繋がっていない)
という僕も、↑のような問題を考えるのですが、こんな事を主張する事ですらまったく世には意味をなさず、無駄な言動となっている訳です(-_-;)
じゃあ、どうしたら良いかと言いますと、「問題は見つけない!」、「見つけた場合は改善・実行する」もしくは「見つけても口にしない」という方法ですね。
問題を改善・実行出来る場合だけ見つけにいき、改善・実行を伴わない問題発見は避けるという、極めて単純なことです。
先日は大雨によって大きな被害を受けた地域がたくさんありました。
「避難勧告」、「避難指示」が出ても避難しなかった人の中から死者などがたくさんでましたね。
世間では、
「何で警報が出てるのに避難しないんだ!」と、強い口調でモノを言う人を見かけます。
しかし、その「避難しなかった人」を「非難」してる人が、自分も今後、こういった災害ケースから学び「警報」程度であっても100%避難しよう! としないのであれば、まったく無駄な「問題発見」になってる訳ですな。
(^◇^)
いやいや、自分も避難してねえじゃねえか(>_<)
という事で、その避難しなかった事に対しての非難している時間は完全な無駄になってるので、その時間を利用して自分向上に努めたほうが理に適う訳です。
これも、無意味な95%の問題発見となるのですな。
災害に備えて「備蓄用の水」を買って来よう! と思うのは良いですが、買おう、買おうとは思うが一向に買わなければ、その思考は無駄になる訳です。

まあ、災害で人が死ぬような状況にある場合のほとんどは「想定外」なレベルですからね。
体験したほとんどの人は
「まさか自分がこのような経験をするとは・・・」と口々に言いますね。
台風が来て、田んぼを見に行って流されて死ぬ人、屋根に上って瓦の修繕をやってて強風に煽られ転落して大けがをする人、毎回、台風が来るたびに何人か出ますね。
問題発見はするけど、改善・実行しないから、毎年のように熱中症注意勧告が出ますが、熱中症で倒れて救急車で運ばれる人が数万人も出る訳です。
体験した事なら注意できるけど、未体験の事はピンとこないのが当たり前ですね。
要は、仕事上のことと、日常のことは違うという訳です。
日常で、
電気消し忘れてるとか、
何でこんな事も出来ないのとか、
些細な小言を頻発してると嫌がられる事が多いですな。
自分が注意してたら済む事を、人に感化する事で嫌がられてしまいます。
些細な日常の問題点を見つけてしまい、小言が増える人というのは、それもストレスになってしまい、人の言動が気になって仕方なくなります。
人生は楽しく生きようと思えば、いくらでも楽しく生きれるようになっているのに、人の言動から問題点を発見しようと躍起になっているせいで(それを指摘しなきゃ気が済まない性格に陥ってるせいで)楽しい人生から遠ざかっているのです。
無意味な事でも大事な事はありますが、人の生き方にケチをつけてしまうと、相手に嫌な思いをさせるだけで、ほとんど意味をなさないばかりか、険悪な雰囲気を作ったりして結構な精神的重圧を受けるだけなのですね。
というと、簡単なように思いますが、「問題発見能力」は子供の頃から植え付けられている能力なので解放するのが難しいです。
脳が、その方向で働くように、築き上げられてしまった訳です。
こういった能力は仕事などでは賞賛される事も多いですが、普段からやってしまう場合は「単なる嫌われ性質」になりがちですね。
こういう事を言うと、究極の個人主義のようになってしまいますので、どうかとも思いますが、人生を楽しみ、笑顔が多い人というのは、周りの人の生き方ややり方にあまり興味を持ちませんね。
自分が快適かどうか、ストレスになるものを無駄に取り込まないですね。
僕なんかもずっとシングルでいた訳ですが、家庭内に無駄にストレスを持ち込みたくないというのは、シングルに多いです。
誰かと一緒に暮らすという事は、個のぶつかり合いともなりますから、結構なストレスが溜まりますね。
僕もこのたび、結婚する事になりました(*'▽')
僕の場合は、こういった心理学から色々学んで「こだわり」に対する心の解放を急いでおります。
「こうじゃなきゃいけない」というのを人に感化するから、個のぶつかり合いが起きる訳です。
言う方はまだ良いですが、言われる方はもっとストレスになりますからね。
なるべく自分の心から「こだわり」を解放していくべきかなと思っております。
テレビのコントローラーの位置が1ミリでも狂っていたら、発狂するかのごとく怒る人を見た事があります。
が、あれは生き辛いでしょうな~(*'▽')
そんなレベルじゃ、人生は楽しくならないです。
テレビのコントローラーの置き場が1ミリ狂っていても、人生に何の影響も与えないのに、それで発狂するかのごとく怒るのですから、その人にとってもその周りの人にとっても、精神衛生上最悪です。
中には「うつ状態」になる人も出るでしょうね。
「こだわり」も度が過ぎると、こういう意味不明のものになりやすいです。
さっきの「避難」に関しては「人命」がかかっているのでまだ分かりますが、テレビのコントローラーの置き場が1ミリ違ってるくらいで、人は死にませんし、何か困る事もありません。(コントローラーがどこにあるか分からないような無頓着ぶりはまた別にして)
という事で、「実行に移しもしない無駄な問題発見をしない」、「意味不明のこだわりからの心の解放」たったこの2つのことをやるだけで、人生が楽しいものとなって行く訳ですので、ここに焦点をおいてやって行こうと思います。
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まあ、良い気はしませんわな(-_-;)
日常では足かせになりやすい「問題発見能力」
問題点を見つける能力というのは、子供の頃からそういう教育を受けてますので、どなたにでもあります。
多少の大小はありますけどね。
世界3大心理学者のアルフレッド・アドラーも語っていますが、問題を見つけても、改善・実行しなければ、問題を見つけること自体も無意味となります。
アドラーは「実行」こそがもっとも大事で、「問題を見つける」事に終始しやすい人間の脳の働き方に対して言及していた訳です。
なんと、「問題を発見しても」その問題を改善し実行することは5%にも満たないというデータまでありますね。
残り95%は「問題を見つける」というだけで終わってしまうと。(その後の人生にまったく繋がっていない)
という僕も、↑のような問題を考えるのですが、こんな事を主張する事ですらまったく世には意味をなさず、無駄な言動となっている訳です(-_-;)
災害時後の発言に見る「改善・実行」
じゃあ、どうしたら良いかと言いますと、「問題は見つけない!」、「見つけた場合は改善・実行する」もしくは「見つけても口にしない」という方法ですね。
問題を改善・実行出来る場合だけ見つけにいき、改善・実行を伴わない問題発見は避けるという、極めて単純なことです。
先日は大雨によって大きな被害を受けた地域がたくさんありました。
「避難勧告」、「避難指示」が出ても避難しなかった人の中から死者などがたくさんでましたね。
世間では、
「何で警報が出てるのに避難しないんだ!」と、強い口調でモノを言う人を見かけます。
しかし、その「避難しなかった人」を「非難」してる人が、自分も今後、こういった災害ケースから学び「警報」程度であっても100%避難しよう! としないのであれば、まったく無駄な「問題発見」になってる訳ですな。
(^◇^)
いやいや、自分も避難してねえじゃねえか(>_<)
という事で、その避難しなかった事に対しての非難している時間は完全な無駄になってるので、その時間を利用して自分向上に努めたほうが理に適う訳です。
これも、無意味な95%の問題発見となるのですな。
災害に備えて「備蓄用の水」を買って来よう! と思うのは良いですが、買おう、買おうとは思うが一向に買わなければ、その思考は無駄になる訳です。

未体験の事には注意力が大きく劣る
まあ、災害で人が死ぬような状況にある場合のほとんどは「想定外」なレベルですからね。
体験したほとんどの人は
「まさか自分がこのような経験をするとは・・・」と口々に言いますね。
台風が来て、田んぼを見に行って流されて死ぬ人、屋根に上って瓦の修繕をやってて強風に煽られ転落して大けがをする人、毎回、台風が来るたびに何人か出ますね。
問題発見はするけど、改善・実行しないから、毎年のように熱中症注意勧告が出ますが、熱中症で倒れて救急車で運ばれる人が数万人も出る訳です。
体験した事なら注意できるけど、未体験の事はピンとこないのが当たり前ですね。
「問題発見能力」が高いと小言が増え周りから嫌がられる
要は、仕事上のことと、日常のことは違うという訳です。
日常で、
電気消し忘れてるとか、
何でこんな事も出来ないのとか、
些細な小言を頻発してると嫌がられる事が多いですな。
自分が注意してたら済む事を、人に感化する事で嫌がられてしまいます。
些細な日常の問題点を見つけてしまい、小言が増える人というのは、それもストレスになってしまい、人の言動が気になって仕方なくなります。
人生は楽しく生きようと思えば、いくらでも楽しく生きれるようになっているのに、人の言動から問題点を発見しようと躍起になっているせいで(それを指摘しなきゃ気が済まない性格に陥ってるせいで)楽しい人生から遠ざかっているのです。
無意味な事でも大事な事はありますが、人の生き方にケチをつけてしまうと、相手に嫌な思いをさせるだけで、ほとんど意味をなさないばかりか、険悪な雰囲気を作ったりして結構な精神的重圧を受けるだけなのですね。
というと、簡単なように思いますが、「問題発見能力」は子供の頃から植え付けられている能力なので解放するのが難しいです。
脳が、その方向で働くように、築き上げられてしまった訳です。
こういった能力は仕事などでは賞賛される事も多いですが、普段からやってしまう場合は「単なる嫌われ性質」になりがちですね。
「こだわり」からの心の解放
こういう事を言うと、究極の個人主義のようになってしまいますので、どうかとも思いますが、人生を楽しみ、笑顔が多い人というのは、周りの人の生き方ややり方にあまり興味を持ちませんね。
自分が快適かどうか、ストレスになるものを無駄に取り込まないですね。
僕なんかもずっとシングルでいた訳ですが、家庭内に無駄にストレスを持ち込みたくないというのは、シングルに多いです。
誰かと一緒に暮らすという事は、個のぶつかり合いともなりますから、結構なストレスが溜まりますね。
僕もこのたび、結婚する事になりました(*'▽')
僕の場合は、こういった心理学から色々学んで「こだわり」に対する心の解放を急いでおります。
「こうじゃなきゃいけない」というのを人に感化するから、個のぶつかり合いが起きる訳です。
言う方はまだ良いですが、言われる方はもっとストレスになりますからね。
なるべく自分の心から「こだわり」を解放していくべきかなと思っております。
その「こだわり」本当に人生に必要でしょうか
テレビのコントローラーの位置が1ミリでも狂っていたら、発狂するかのごとく怒る人を見た事があります。
が、あれは生き辛いでしょうな~(*'▽')
そんなレベルじゃ、人生は楽しくならないです。
テレビのコントローラーの置き場が1ミリ狂っていても、人生に何の影響も与えないのに、それで発狂するかのごとく怒るのですから、その人にとってもその周りの人にとっても、精神衛生上最悪です。
中には「うつ状態」になる人も出るでしょうね。
「こだわり」も度が過ぎると、こういう意味不明のものになりやすいです。
さっきの「避難」に関しては「人命」がかかっているのでまだ分かりますが、テレビのコントローラーの置き場が1ミリ違ってるくらいで、人は死にませんし、何か困る事もありません。(コントローラーがどこにあるか分からないような無頓着ぶりはまた別にして)
という事で、「実行に移しもしない無駄な問題発見をしない」、「意味不明のこだわりからの心の解放」たったこの2つのことをやるだけで、人生が楽しいものとなって行く訳ですので、ここに焦点をおいてやって行こうと思います。
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