実際にネガティブなことが起きると、
「ほら。思った通り(*'▽')」ってなってしまいませんか。
ん?
思った通り???
あ、自分で自分をネガティブな方向へ導いてしまいましたね(-_-;)
実は人間は常に理由探しをしていますな~(*'▽')
例えば、ここに愛する人と嫌いな人がいたとします。
愛する人に対しては、自分が愛するべき理由を自然と考えています。
とても優しい人、容姿が好み、常に自分を優先してくれる・・・etc
こうやって、愛すべき理由を脳の中で必死に考え、その方向に導こうとします。
逆に嫌いな人に対しては、自分がその人を嫌う理由を探そうとするのです。
デリカシーが無い、空気が読めない、しつこい、不潔・・・etc
こんな感じで、嫌いになる理由を脳の中で必死に見つけようとしてしまいますね。
これが「敗北のレンズ」と「勝利のレンズ」の違いです。
愛する人でも、いつかは愛情が冷める事もありますが、それは最初は「愛すべき理由」を必死で探していたのに、いつの間にか嫌いになって来て「嫌いになる理由」を探そうとしてしまうから冷めてしまうのですな。
例えば、「優しい人」というのは言い方を変えれば「優柔不断で誰にもいい顔をする八方美人」といったように悪くとらえる事も出来ますね。
物事は勝と負の2面構成でできていますので、どのような事でも「良く」言う事と「悪く」言う事が可能です。
嫌いな人がいる場合、なぜ嫌いなのかを人に説明できるように、常に「嫌いな理由」を考え頭の中で整理しようとしますね。
そこで、その人の嫌な点を必死に見つけようと努力してしまう(その人を必死で見ようとする、ほとんどストーカーばりに)のですよ。
良いところですら、悪く説明してしまう事も可能ですから、いくらでも悪く言えてしまいます。
物事を常に「敗北のレンズ」で見てしまうと、世の中のすべての事象が悪く見えるのは当然の事です。
その様な人は「愚痴」、「怒り」、「侮蔑」などに包まれ生きていく事になります。
これはもう、本格的に敗者の思考そのものです。
「敗北のレンズ」を通して見る世界は、常に最悪を考えてしまう。
「いや、日本なんか地震に襲われ、災害に襲われ、いつ死んでしまうか分からないのに、真面目に生きる意味がない。」などと思考してしまう事になりますね。
(^◇^)
この世界がどのように見えるかは、常にあなたの心の状態が見せている訳です。
実際は可能性に満ち溢れているのに、それを見ようともしなければ、生きていく価値を見出せなくなるのですな。
誰かをさげすみたい時、必死にその人の落ち度を探してる自分に気付きませんか?
それが「敗北のレンズ」なのです。
誰かをさげすんだところで、自分のメリットにはほとんどなりません。
そんな人の落ち度を探してる暇があったら、全て自分向上に時間を費やしていく、これこそが「勝利のレンズ」なのですな。
ちょ~~~~簡単(^◇^)
たったこれだけで人生を大きく明るい方向に変える事が出来るのです。
朝、目が覚めた瞬間から「希望」と「情熱」と「やる気」に満ち溢れていないのならば、あなたはゾンビそのものだ!
この言葉は「ワールドビュー2.0の視界」を体得した人の言葉なのですな(*'▽')
ワールドビュー2.0の視界=常に勝利のレンズで世の中を見渡せる
という意味です。
わざわざ自分から心のマイナスになるものを見つけに行き、自分で勝手にネガティブになっているのが敗者のレンズですからね。
まさにゾンビのような生き方になってる訳です。
もっと言えば、「ネガティブな自分じゃないといけない」という思考が頭の中にある訳です。
つまり、「幸せに満ち、常に笑顔で安らかな人」というのは「とても目立つし、人から妬まれやすい」という理由を盾に「いかに目立たず、人から同情され、嫌われたり妬まれたりしないように、不幸を身にまとおう」という思考が働いてますね。
だから、当然、自分で自分を不幸に導いて行ってる訳です。
朝、起きたら、「片頭痛で頭を抱える自分でありたい」と思っていたら、当然、治癒不能な片頭痛があなたを襲うようになりますね。
それはあなたの心が生み出した頭痛なので、医学的根拠がなく、精神科分野の問題です。
敗者のレンズで世の中を見ようとしてしまう弊害はここまでにもなるのです。
世の中は常に古いものが淘汰され、新しいものが台頭してきますが、当然、「人の思考法」も進化して行っているのに、いつまでも古いネガティブな思考のままでいるというのは矛盾してますね。
これからは「ワールドビュー2.0の視界」を持つべき時代なのです。
朝、起きたその瞬間から、心が躍っている(^◇^)
この思考法をマスターしたいところです。
世の中はすでに「量子」の時代ですね(*'▽')
「量子」の恩恵で地球の裏側の人にも瞬時にメールできたりします。
切手を貼って手紙で出したら何日もかかってしまう事が、量子の存在のおかげで瞬時になっている時代なのですな。
なのに、「意識の持ち方」はいつまでも古いままで良いのでしょうか?
もちろん、時代が変わっても大事にすべき事はありますが、ネガティブで自分を不幸に追いやってしまう意識の持ち方は、とても正しいとは言えませんね。
実は「幸せ」は目の前にゴマンと存在していますが、「不幸にならなければいけない」という思考のせいで、その幸せを掴もうとしないのはあなた自身なのです。
いや、それどころか、その様な思考状態ですと、目の前にゴマンとある「幸せ」が見えなくなっているのです。
「幸せになってはいけない」と、その「幸せ」を心が放棄し、見ようとしないから見えないだけなのです。
実際に、成功しているスポーツ選手などは、「成功を夢見て、結果を出そうと必死で裏で努力している」訳でして、当然ながら「成功しようという意識が少なく、努力をしなければ」結果も出ませんから成功はやってきません。
こういう事も自分自身の「意識の問題」です。
人生とはすべてうまく行くようにできているものなのに、自分自身で自分を危地に追いやってるという事を理解すべきなのです。
批判してると創造がおろそかになるし、無駄を省いて「元々からあったうまくいく流れに乗っておく」事が思考の原点です。
大体の事は、「何かあったら困る」という思考が働き、自分自身を「移動4時間以内」の世界に留めてしまいます。
「移動4時間以内」の世界は、自分にとって安定と安心をもたらしてくれますが、本当の「ワクワク」は往々にして「移動4時間以上」の世界に存在してる事が多いです。
しかし、「移動4時間以上」の世界には「未知」のものがたくさんあり「不安要素」も大きいですからね。
行きたがらない。
そして可能性を狭める。
まあ、そういった事を自分自身で選択しがちですね。
そして、うまく行かない事が相次ぎ、
「人生なんてうまくいかないものだ。」と半ば諦めの境地となり、自分自身で自分の不幸を演出してしまうようになるのです。
こういったネガティブ要素を一切見ず、心が躍るようなものばかりを見て行くようにする。
そうすると、目の前に「幸せ」が溢れているように見えてくるものです。
確かに、生きていれば辛い事もありますが、その「辛い事」もすべては自分自身の成長に繋がりますから、心が躍る方向を常に見続けていると、徐々に辛い事でも辛さを感じなくなり、段々と「幸せ」ばかりが降るようになってきますね。
つまり、見ているものが根本的に変わっていくという事です。
何かをやる時に「惰性でやるか」、それとも「やりたくてウズウズしながらやるか」、そういった事でも心が変わってきますね(*'▽')
今の自分が幸せであると思い込む事で、なぜ自分が幸せなのかの「理由」を探し始めます。
少し前までは、自分がいかに不幸かの理由を1つ、1つ挙げていたのに、「幸せ」だと思い込む事で、幸せである理由を1つ、1つ挙げて行くようになります。
そして、目の前に幸せがたくさん浮遊してる事に気付き、手を伸ばさなくてもたくさんの幸せが掴み取れるようになるのです。
すべては自分の心が見せているだけ。
幸せばかりが見えるようになるのか、不幸ばかりが見えるようになるのか。
それは、自分の心で制御している事に気付くと、大きく人生を変えて行けるようになります。
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「ほら。思った通り(*'▽')」ってなってしまいませんか。
ん?
思った通り???
あ、自分で自分をネガティブな方向へ導いてしまいましたね(-_-;)
敗北のレンズで見る世界と勝利のレンズで見る世界の違い
実は人間は常に理由探しをしていますな~(*'▽')
例えば、ここに愛する人と嫌いな人がいたとします。
愛する人に対しては、自分が愛するべき理由を自然と考えています。
とても優しい人、容姿が好み、常に自分を優先してくれる・・・etc
こうやって、愛すべき理由を脳の中で必死に考え、その方向に導こうとします。
逆に嫌いな人に対しては、自分がその人を嫌う理由を探そうとするのです。
デリカシーが無い、空気が読めない、しつこい、不潔・・・etc
こんな感じで、嫌いになる理由を脳の中で必死に見つけようとしてしまいますね。
これが「敗北のレンズ」と「勝利のレンズ」の違いです。
愛する人でも、いつかは愛情が冷める事もありますが、それは最初は「愛すべき理由」を必死で探していたのに、いつの間にか嫌いになって来て「嫌いになる理由」を探そうとしてしまうから冷めてしまうのですな。
例えば、「優しい人」というのは言い方を変えれば「優柔不断で誰にもいい顔をする八方美人」といったように悪くとらえる事も出来ますね。
物事は勝と負の2面構成でできていますので、どのような事でも「良く」言う事と「悪く」言う事が可能です。
嫌いな人がいる場合、なぜ嫌いなのかを人に説明できるように、常に「嫌いな理由」を考え頭の中で整理しようとしますね。
そこで、その人の嫌な点を必死に見つけようと努力してしまう(その人を必死で見ようとする、ほとんどストーカーばりに)のですよ。
良いところですら、悪く説明してしまう事も可能ですから、いくらでも悪く言えてしまいます。
物事を常に「敗北のレンズ」で見てしまうと、世の中のすべての事象が悪く見えるのは当然の事です。
その様な人は「愚痴」、「怒り」、「侮蔑」などに包まれ生きていく事になります。
これはもう、本格的に敗者の思考そのものです。
「敗北のレンズ」を通して見る世界は、常に最悪を考えてしまう。
「いや、日本なんか地震に襲われ、災害に襲われ、いつ死んでしまうか分からないのに、真面目に生きる意味がない。」などと思考してしまう事になりますね。
(^◇^)
この世界がどのように見えるかは、常にあなたの心の状態が見せている訳です。
実際は可能性に満ち溢れているのに、それを見ようともしなければ、生きていく価値を見出せなくなるのですな。
誰かをさげすみたい時、必死にその人の落ち度を探してる自分に気付きませんか?
それが「敗北のレンズ」なのです。
誰かをさげすんだところで、自分のメリットにはほとんどなりません。
そんな人の落ち度を探してる暇があったら、全て自分向上に時間を費やしていく、これこそが「勝利のレンズ」なのですな。
ちょ~~~~簡単(^◇^)
たったこれだけで人生を大きく明るい方向に変える事が出来るのです。
ワールドビュー2.0の視界を体得すべき時代
朝、目が覚めた瞬間から「希望」と「情熱」と「やる気」に満ち溢れていないのならば、あなたはゾンビそのものだ!
この言葉は「ワールドビュー2.0の視界」を体得した人の言葉なのですな(*'▽')
ワールドビュー2.0の視界=常に勝利のレンズで世の中を見渡せる
という意味です。
わざわざ自分から心のマイナスになるものを見つけに行き、自分で勝手にネガティブになっているのが敗者のレンズですからね。
まさにゾンビのような生き方になってる訳です。
もっと言えば、「ネガティブな自分じゃないといけない」という思考が頭の中にある訳です。
つまり、「幸せに満ち、常に笑顔で安らかな人」というのは「とても目立つし、人から妬まれやすい」という理由を盾に「いかに目立たず、人から同情され、嫌われたり妬まれたりしないように、不幸を身にまとおう」という思考が働いてますね。
だから、当然、自分で自分を不幸に導いて行ってる訳です。
朝、起きたら、「片頭痛で頭を抱える自分でありたい」と思っていたら、当然、治癒不能な片頭痛があなたを襲うようになりますね。
それはあなたの心が生み出した頭痛なので、医学的根拠がなく、精神科分野の問題です。
敗者のレンズで世の中を見ようとしてしまう弊害はここまでにもなるのです。
世の中は常に古いものが淘汰され、新しいものが台頭してきますが、当然、「人の思考法」も進化して行っているのに、いつまでも古いネガティブな思考のままでいるというのは矛盾してますね。
これからは「ワールドビュー2.0の視界」を持つべき時代なのです。
朝、起きたその瞬間から、心が躍っている(^◇^)
この思考法をマスターしたいところです。
不幸を見るか幸せを見るか
世の中はすでに「量子」の時代ですね(*'▽')
「量子」の恩恵で地球の裏側の人にも瞬時にメールできたりします。
切手を貼って手紙で出したら何日もかかってしまう事が、量子の存在のおかげで瞬時になっている時代なのですな。
なのに、「意識の持ち方」はいつまでも古いままで良いのでしょうか?
もちろん、時代が変わっても大事にすべき事はありますが、ネガティブで自分を不幸に追いやってしまう意識の持ち方は、とても正しいとは言えませんね。
実は「幸せ」は目の前にゴマンと存在していますが、「不幸にならなければいけない」という思考のせいで、その幸せを掴もうとしないのはあなた自身なのです。
いや、それどころか、その様な思考状態ですと、目の前にゴマンとある「幸せ」が見えなくなっているのです。
「幸せになってはいけない」と、その「幸せ」を心が放棄し、見ようとしないから見えないだけなのです。
実際に、成功しているスポーツ選手などは、「成功を夢見て、結果を出そうと必死で裏で努力している」訳でして、当然ながら「成功しようという意識が少なく、努力をしなければ」結果も出ませんから成功はやってきません。
こういう事も自分自身の「意識の問題」です。
人生とはすべてうまく行くようにできているものなのに、自分自身で自分を危地に追いやってるという事を理解すべきなのです。
批判してると創造がおろそかになるし、無駄を省いて「元々からあったうまくいく流れに乗っておく」事が思考の原点です。
大体の事は、「何かあったら困る」という思考が働き、自分自身を「移動4時間以内」の世界に留めてしまいます。
「移動4時間以内」の世界は、自分にとって安定と安心をもたらしてくれますが、本当の「ワクワク」は往々にして「移動4時間以上」の世界に存在してる事が多いです。
しかし、「移動4時間以上」の世界には「未知」のものがたくさんあり「不安要素」も大きいですからね。
行きたがらない。
そして可能性を狭める。
まあ、そういった事を自分自身で選択しがちですね。
そして、うまく行かない事が相次ぎ、
「人生なんてうまくいかないものだ。」と半ば諦めの境地となり、自分自身で自分の不幸を演出してしまうようになるのです。
こういったネガティブ要素を一切見ず、心が躍るようなものばかりを見て行くようにする。
そうすると、目の前に「幸せ」が溢れているように見えてくるものです。
確かに、生きていれば辛い事もありますが、その「辛い事」もすべては自分自身の成長に繋がりますから、心が躍る方向を常に見続けていると、徐々に辛い事でも辛さを感じなくなり、段々と「幸せ」ばかりが降るようになってきますね。
つまり、見ているものが根本的に変わっていくという事です。
何かをやる時に「惰性でやるか」、それとも「やりたくてウズウズしながらやるか」、そういった事でも心が変わってきますね(*'▽')
今の自分が幸せであると思い込む事で、なぜ自分が幸せなのかの「理由」を探し始めます。
少し前までは、自分がいかに不幸かの理由を1つ、1つ挙げていたのに、「幸せ」だと思い込む事で、幸せである理由を1つ、1つ挙げて行くようになります。
そして、目の前に幸せがたくさん浮遊してる事に気付き、手を伸ばさなくてもたくさんの幸せが掴み取れるようになるのです。
すべては自分の心が見せているだけ。
幸せばかりが見えるようになるのか、不幸ばかりが見えるようになるのか。
それは、自分の心で制御している事に気付くと、大きく人生を変えて行けるようになります。
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