世の中はとてもよく出来ていると思います。

例えば、そこに問題があると思えば必ず誰かが追求し、正しいと思われる事は何かを問い、そして改善を繰り返す事になります。



闘病系、医療系の発信は大いにすべきだ


闘病系のブログを書く人はかなり多いです。

透析を受けててネット世界に入ってきた人も、大半の人は1度は無料ブログなどでブログを書いてみたりする人が多いですし、SNSなどを使って愚痴をこぼしたり、病気の怖さや障害を受けても一生懸命生きる事の素晴らしさを発信したりした人はかなりいます。

ところが、内容によっては、様々な考え方が存在しており、色々物議をかもす場合もあります。

ん?
発信自体、僕はそれほど悪い事とは思いません。むしろ良いですよ。

仮に闘病中に病院で理不尽な体験をし(その理不尽な体験が患者側にも問題があったとしても)その体験を世に出すのはとても良い事だと思うんですよね。

また、医療従事者側が医療上で理不尽な体験をしたら、それも表に出せるというフェアな状態は大切ですけどね。(医療従事者の情報発信は難しい問題を内包しており憚られる場合もあります)

世の中には、各個人、そして世の中全体での自浄能力は少なからずあり、何かの問題があればそれは必ず誰かが討議しできるだけ良い方向に持って行こうとします。

誰もが何も言わない世界となってしまうと、そういう自浄能力は発揮しにくくなります。

なので、発信はどんどんすべきと僕は思うのですがどうなんでしょう。

前向きな体験談は、同じ闘病者やこれからその治療を受ける患者にとって「勇気」にもなります。

一方で、ネガティブな体験談であっても、そういう病気になったらそんなに苦労するのか? と病気の悪化を病気になる前に防ごうという健康維持の精神に役立つでしょう。

病院のあり方に問題提起すれば、病院側も医療について考えるようになりますし、患者の精神性に対して問題提起すれば、一般患者さんたちも闘病のあり方などについて考えるようになっていきます。

すべては、そこで何が起きてるか、当事者でなければ分からないという問題がたくさんあり、体験していない人やこれから体験するであろう可能性のある人にとって、その情報は有用になる部分も多いのです。

SSS29



具体的に発信のプラス部分を紐解く


例えば、僕がこのブログで医療従事者さんの対応に問題があると書けば、医療世界で働いている多くの方は面白くないでしょう。

しかし、問題があっても誰も何も語らない世の中になってしまうと、一部の人間性に問題のある医療従事者さんの暴走を抑制する事は出来にくくなり、高齢者さんや認知症患者さんへの暴力や暴言などが頻発して起きるかも知れませんよ。

介護世界などでは当事者が高齢者であり、情報発信が少ないため、自浄能力が弱く、よく暴力事件や殺人事件など、大きな問題になってから世に出てしまうというデメリットが起きておりますね。

小さなうちに情報発信で自浄能力が発揮されていれば起きなかったであろう、大きな事件が時々起きております。

一方で、患者側も、どのように闘病していくか、医療を利用するという部分でどのような対応をすればより成果が上がるかを考える事も必要です。

人工透析では、その治療の厳しさから、ネガティブキャンペーンのような「しんどい」、「苦しい」といった情報発信がなされる事もありますが、それは同じ病気で頑張っている人にとっては面白くない発信かも知れません。

しかし、現在「腎不全保存期」の方や、将来的に「腎不全」になる可能性を持った人にとっては、そういった発信のおかげで返って病気の進行を遅らせる事に繋がる場合もあります。

透析患者たち全員が「透析など全然大した事無い」と発信すれば、当然誰もがこの病気に対して脅威を覚えないので、「腎不全」という病気の進行を軽く見る人が大勢出て透析患者さんの人数が増え続ける可能性もあります。



不都合を隠したがる場合が多いがそれは違う


例えば、透析患者の場合は、医療費上の恩恵を過分に受けている関係上、何か理不尽な事が起きても言い辛い事もあります。

ん~(-_-;)
これからの未来も透析を受け続けていかねばならず、ここで何かを言ってしまい医療従事者さんとの人間関係にひびでも入れば、とてもやりにくくなってしまうために黙ってやり過ごすなどの事も起きます。

例えば、患者同士の話し合いで、そういう理不尽があっても医療者は味方にすべき相手なので、敵に回すような言動は避けたほうが良いよ。
と、話し合ってるとして、それを医療者が「その通りだね」などと言ってしまえば、僕は疑問符を感じますね。(患者が言うのは良いが、医療者が言うのは違うという意味で)

何かが起きるという事は、誰か1人だけの責任とは思いません。
もちろん、当事者の医療者、患者双方に問題があるとは思います。

しかし、患者の医療の受け方について問題提起はされるのに、医療者の対応について問題提起されないように立ち振る舞うのは違いますね。

問題を隠してしまうのは、最終的には自分たちのためになりません。

もちろん、医療などではやたらと訴訟となってしまう事が多いため、不都合なことを隠したいというのは分からないでもありませんけどね。

しかし、それでは何も自浄できませんよ。



「膿」を出して自浄を繰り返してきたのが人間世界


情報発信を遮ろうという行為・言動は、ある種、「膿を出しきれない」という事に繋がりますね。

僕なんかは、自分に非があると思えば、さっさと謝る方なんですが、(非を感じなければ謝らないですけどね)何でも謝って許してもらいやすい時に謝っておいた方が良いと思うからです。

それをほおっておいて、後で大事件にでもなれば、謝って済むレベルではなくなる場合もありますからね。

そうなってからでは遅いです。

人間は誰しも間違うと思いますし、間違っても自分自身で反省する事が出来ればいくらでもやり直せると思います。

そこが凄く重要で、人は自浄能力を失ったら困る事になります。

先日は「モラルを欠いた障害者に周囲はもっとキレていい」を読んでという記事を更新しましたが、こういったものも、患者側の自浄能力に繋がると思ったから書いてみました。

当然、賛否は様々で色んな意見が出るだろうと思いました。(大体、こうだと決めつけるような発信は賛否を呼ぶ事が多いです)

この中で、透析患者がどうあるべきか? を考える事は大事です。

もちろん、医療従事者さんがどうあるべきかも十分考えられていると思います。

障害者の人間性に関して厳しい意見を受け入れるという事は、当然のように健常者も人間性について厳しい意見を受け入れるのが当然です。

ただ、残念な事は、そういう自浄能力を発揮すべき人物が、まったく自浄能力を発揮できず、自浄能力を発揮しなくても大丈夫な品行方正な人ばかりが必死に自浄能力を発揮している点くらいですね。

僕の知り合いには多くの優秀な医師や看護師さん、臨床工学技士さんがいますが、こういう方々は常に患者への接し方や対応力についてはしっかり考えてくれるんですよね(*'▽')

だから、ほとんど問題が起きない訳です。

自浄能力を患者サイド、医療サイド双方でしっかり発揮して行けば、そういったウィンウィンの関係性はいつまでも発揮す続ける事ができます。

むしろ、発信を阻害するような行為・行動をなされる背景には、何か隠したい「不都合な真実」が裏にあるのか? と返って信頼を裏切る事になってしまうような気もするんですよね。

という事で、臆せず堂々と情報発信すべきではないかと僕は思いますね。



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