「障害者 甘えは許されない」というキーワードで検索をかけていた時に、こういう記事に出会いました。

モラルを欠いた障害者に周囲はもっとキレていい; 障害者にこそ読んでほしい  Style 21世紀×Deaf×INFP




障害者がふんぞり返ってるように見えるのだろうか


この記事は非常に興味深く読めました。
これを読んでどう感じるでしょう。

以前の僕なら何か言いそうな記事なんですよね。
ただ、今は、この筆者さんが言う事も理解できますな。

特に僕のような元気な障害者もいますからね。
透析を受けなければ1週間かそこらで死んでしまうから障害者1級という立場です。

社会の恩恵も過分なほどに受けております。
仕事でも障害者1級である事が不利になる事もありますが、逆に有利になる事もあります。

昨年から県腎協のお手伝いを始めて、前会長さんと話す機会も多くありました。

前会長さんは、
「透析患者だから、特別な事をしてもらえるという時代ではなくなったという自覚が必要」という話をよくされていました。

まさにその通りで、そんなのは通用しなくなっているのですね。

社会の中で健常者と互角以上に仕事できる患者さんも多くいますし、透析でも障害の度合いはマチマチですから全員に当てはまるとは思いませんが、僕のような元気な患者であれば尚更です。

この記事の
「障害者として生きることは大変なことだ。その苦労は当事者にしかわからない。だからこそ、温かい援助を受けられているありがたみを噛みしめることを忘れてはならない、と私は思うのだ。」というのが全てだと思うんです。

もちろん、障害には種類も多く、全ての障害者には当てはまらない部分もあります。

ただ、その中で健常者側も、
「障害を持ってる人だから優しく接しないと、世間に何を言われるか分からない・・・」というプレッシャーを受けてると思うんですよね。

でも、それも人によっては
「障害者だから何だってんだ!」という考えで行動してくる人もいます。

少なくとも、そう考える人は障害者が「障害者だからふんぞり返ってるように」見えるのでしょう。

SSS28



心の持ち方が周りの行動を変える場合もある


僕自身が透析を受け始めてヘタレ時代を長く経験しました。

その中で以前の病院時代にゴタゴタに巻き込まれた事もありました。

ただ、後にある透析医学会の透析専門医の先生とちょこっと話した時に、
「透析患者だから特別扱いせよというのだったら、話にならない。」と言われた事がありました。

その時に僕の中ではそんなつもりはありませんでしたので、反論はしたのですが、そういう風に取られるという事は、僕の心のどこかにそういう部分があって出てしまっているのでは? と感じましたね(-_-;)

つまり、以前起きたゴタゴタは僕の心の中にそういう隙間があったから起きてしまったのではないか? という事を思ってしまいました。

そういう風に考えていくと、色々考えさせられる場面があります。

例えば、以前の病院と今の病院。

物凄い医療上の差を感じますが、少なくとも以前の病院時代と今の病院時代では、僕の心の中の感覚は大きく変わっております。

もちろん、以前も「特別扱いせよ」などとは思ってなかったつもりですが、随所にそう取られるような言動が混じってたのではないかと思いますな。

今の病院に来て以降はどちらかというと、「特別扱いはして欲しくない」というのが勝ってますから、僕自身の見え方も違ってるし、またそのおかげで医療従事者さんたちの対応も変わったのではないか? とも受け取れるんですよね。

例えば、僕自身が父の介護の経験もありますが、父に「介護されるのが当然!」というような態度で受けられてしまうと、こちらも反発心を覚えますよね。

しかし、父は
「ありがとうな。」と優しく言う(元気な時は職人気質で厳しかった父)ので、何の精神的負担も感じず介護できた気がします。

やたらと医療者さんとの軋轢を生んだ背景には、こうした僕自身の心の持ち方の違いがあったような気もします。



人間扱いされたければ厳しい意見も受け入れなければ


仮に「障害者を特別扱いするな」という事で恩恵部分がなくなってしまうと、多くの重度障害者さんはとても生き辛い世の中になってしまうと思います。

社会の中で、ある程度の恩恵もなくなってしまうと困ります。

僕にしても、人工透析を受ける医療費が健常者と同様の3割負担になってしまいますと、たちまちお金が払えなくなってしまいますので、透析が受けられず末期腎不全で死ぬ事になりますね。

ですので、そういう部分は別として、「障害者でも人間として扱ってくれ」と言うとしたら、やはりモラルに欠けた言動があれば、注意されたり批判されたりするのは当然だと思います。

精神障害、知的障害など、精神的な問題を抱える障害者と、僕のような内部障害では意味合いが違いますからね。

ところが、内部障害でも「障害者である!」と全面に押し出してしまうと、たちまち世間はものを言い辛くなってしまう。

少々おかしな言動をしても
「障害者だから仕方ない」と思えとでも言うのであれば、それはやはり「特別扱いしろ」と言ってるのと変わり無くなってしまいますからね。

電車の中で調子が悪くて席をゆずってもらうのとは違うと思うんですな。

健常者であっても不調で倒れそうな時は、誰だって席をゆずってもらうべきうだし、それは「特別扱い」とはならないと思います。




辛い経験もたくさんするでしょうな


まあ、こう言うと色々語弊があって誤解も受けそうですが、病院ですからね。

患者側はどうしたって、ちゃんと診てもらえるのが当たり前的な感覚になりますね。

しかし、医療従事者さんも人間ですから、そういう態度が露骨な人の面倒を見るのは面白くはないですよね。

飲食店だから美味しいメシが出るとは限らないのと同じ。

そういう意味では、患者側の精神も医療者に伝播してしまう場合もあるのだと思いますね。

ここら辺がとても難しいですな。

先のリンクした記事は色々考えさせられる部分が大きいです。

障害があっても頑張るというのは、かなり厳しい話です。

辛い経験も一杯してしまいますね。

世の中はその辛さをそれほど理解はしてくれない部分もありますが、一方で恩恵もあります。(障害の種類や等級などによって大きな違いもあります)

ただ、少なくとも、社会の中で障害者が上手に溶け込んでいくには、障害者自身の精神が多分に影響していきそうな事だけは確かです。

読んでみてどう感じたでしょうか?



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