「障害者 甘えは許されない」というキーワードで検索をかけていた時に、こういう記事に出会いました。
この記事は非常に興味深く読めました。
これを読んでどう感じるでしょう。
以前の僕なら何か言いそうな記事なんですよね。
ただ、今は、この筆者さんが言う事も理解できますな。
特に僕のような元気な障害者もいますからね。
透析を受けなければ1週間かそこらで死んでしまうから障害者1級という立場です。
社会の恩恵も過分なほどに受けております。
仕事でも障害者1級である事が不利になる事もありますが、逆に有利になる事もあります。
昨年から県腎協のお手伝いを始めて、前会長さんと話す機会も多くありました。
前会長さんは、
「透析患者だから、特別な事をしてもらえるという時代ではなくなったという自覚が必要」という話をよくされていました。
まさにその通りで、そんなのは通用しなくなっているのですね。
社会の中で健常者と互角以上に仕事できる患者さんも多くいますし、透析でも障害の度合いはマチマチですから全員に当てはまるとは思いませんが、僕のような元気な患者であれば尚更です。
この記事の
「障害者として生きることは大変なことだ。その苦労は当事者にしかわからない。だからこそ、温かい援助を受けられているありがたみを噛みしめることを忘れてはならない、と私は思うのだ。」というのが全てだと思うんです。
もちろん、障害には種類も多く、全ての障害者には当てはまらない部分もあります。
ただ、その中で健常者側も、
「障害を持ってる人だから優しく接しないと、世間に何を言われるか分からない・・・」というプレッシャーを受けてると思うんですよね。
でも、それも人によっては
「障害者だから何だってんだ!」という考えで行動してくる人もいます。
少なくとも、そう考える人は障害者が「障害者だからふんぞり返ってるように」見えるのでしょう。

僕自身が透析を受け始めてヘタレ時代を長く経験しました。
その中で以前の病院時代にゴタゴタに巻き込まれた事もありました。
ただ、後にある透析医学会の透析専門医の先生とちょこっと話した時に、
「透析患者だから特別扱いせよというのだったら、話にならない。」と言われた事がありました。
その時に僕の中ではそんなつもりはありませんでしたので、反論はしたのですが、そういう風に取られるという事は、僕の心のどこかにそういう部分があって出てしまっているのでは? と感じましたね(-_-;)
つまり、以前起きたゴタゴタは僕の心の中にそういう隙間があったから起きてしまったのではないか? という事を思ってしまいました。
そういう風に考えていくと、色々考えさせられる場面があります。
例えば、以前の病院と今の病院。
物凄い医療上の差を感じますが、少なくとも以前の病院時代と今の病院時代では、僕の心の中の感覚は大きく変わっております。
もちろん、以前も「特別扱いせよ」などとは思ってなかったつもりですが、随所にそう取られるような言動が混じってたのではないかと思いますな。
今の病院に来て以降はどちらかというと、「特別扱いはして欲しくない」というのが勝ってますから、僕自身の見え方も違ってるし、またそのおかげで医療従事者さんたちの対応も変わったのではないか? とも受け取れるんですよね。
例えば、僕自身が父の介護の経験もありますが、父に「介護されるのが当然!」というような態度で受けられてしまうと、こちらも反発心を覚えますよね。
しかし、父は
「ありがとうな。」と優しく言う(元気な時は職人気質で厳しかった父)ので、何の精神的負担も感じず介護できた気がします。
やたらと医療者さんとの軋轢を生んだ背景には、こうした僕自身の心の持ち方の違いがあったような気もします。
仮に「障害者を特別扱いするな」という事で恩恵部分がなくなってしまうと、多くの重度障害者さんはとても生き辛い世の中になってしまうと思います。
社会の中で、ある程度の恩恵もなくなってしまうと困ります。
僕にしても、人工透析を受ける医療費が健常者と同様の3割負担になってしまいますと、たちまちお金が払えなくなってしまいますので、透析が受けられず末期腎不全で死ぬ事になりますね。
ですので、そういう部分は別として、「障害者でも人間として扱ってくれ」と言うとしたら、やはりモラルに欠けた言動があれば、注意されたり批判されたりするのは当然だと思います。
精神障害、知的障害など、精神的な問題を抱える障害者と、僕のような内部障害では意味合いが違いますからね。
ところが、内部障害でも「障害者である!」と全面に押し出してしまうと、たちまち世間はものを言い辛くなってしまう。
少々おかしな言動をしても
「障害者だから仕方ない」と思えとでも言うのであれば、それはやはり「特別扱いしろ」と言ってるのと変わり無くなってしまいますからね。
電車の中で調子が悪くて席をゆずってもらうのとは違うと思うんですな。
健常者であっても不調で倒れそうな時は、誰だって席をゆずってもらうべきうだし、それは「特別扱い」とはならないと思います。
まあ、こう言うと色々語弊があって誤解も受けそうですが、病院ですからね。
患者側はどうしたって、ちゃんと診てもらえるのが当たり前的な感覚になりますね。
しかし、医療従事者さんも人間ですから、そういう態度が露骨な人の面倒を見るのは面白くはないですよね。
飲食店だから美味しいメシが出るとは限らないのと同じ。
そういう意味では、患者側の精神も医療者に伝播してしまう場合もあるのだと思いますね。
ここら辺がとても難しいですな。
先のリンクした記事は色々考えさせられる部分が大きいです。
障害があっても頑張るというのは、かなり厳しい話です。
辛い経験も一杯してしまいますね。
世の中はその辛さをそれほど理解はしてくれない部分もありますが、一方で恩恵もあります。(障害の種類や等級などによって大きな違いもあります)
ただ、少なくとも、社会の中で障害者が上手に溶け込んでいくには、障害者自身の精神が多分に影響していきそうな事だけは確かです。
読んでみてどう感じたでしょうか?
スポンサーリンク
モラルを欠いた障害者に周囲はもっとキレていい; 障害者にこそ読んでほしい Style 21世紀×Deaf×INFP
障害者がふんぞり返ってるように見えるのだろうか
この記事は非常に興味深く読めました。
これを読んでどう感じるでしょう。
以前の僕なら何か言いそうな記事なんですよね。
ただ、今は、この筆者さんが言う事も理解できますな。
特に僕のような元気な障害者もいますからね。
透析を受けなければ1週間かそこらで死んでしまうから障害者1級という立場です。
社会の恩恵も過分なほどに受けております。
仕事でも障害者1級である事が不利になる事もありますが、逆に有利になる事もあります。
昨年から県腎協のお手伝いを始めて、前会長さんと話す機会も多くありました。
前会長さんは、
「透析患者だから、特別な事をしてもらえるという時代ではなくなったという自覚が必要」という話をよくされていました。
まさにその通りで、そんなのは通用しなくなっているのですね。
社会の中で健常者と互角以上に仕事できる患者さんも多くいますし、透析でも障害の度合いはマチマチですから全員に当てはまるとは思いませんが、僕のような元気な患者であれば尚更です。
この記事の
「障害者として生きることは大変なことだ。その苦労は当事者にしかわからない。だからこそ、温かい援助を受けられているありがたみを噛みしめることを忘れてはならない、と私は思うのだ。」というのが全てだと思うんです。
もちろん、障害には種類も多く、全ての障害者には当てはまらない部分もあります。
ただ、その中で健常者側も、
「障害を持ってる人だから優しく接しないと、世間に何を言われるか分からない・・・」というプレッシャーを受けてると思うんですよね。
でも、それも人によっては
「障害者だから何だってんだ!」という考えで行動してくる人もいます。
少なくとも、そう考える人は障害者が「障害者だからふんぞり返ってるように」見えるのでしょう。

心の持ち方が周りの行動を変える場合もある
僕自身が透析を受け始めてヘタレ時代を長く経験しました。
その中で以前の病院時代にゴタゴタに巻き込まれた事もありました。
ただ、後にある透析医学会の透析専門医の先生とちょこっと話した時に、
「透析患者だから特別扱いせよというのだったら、話にならない。」と言われた事がありました。
その時に僕の中ではそんなつもりはありませんでしたので、反論はしたのですが、そういう風に取られるという事は、僕の心のどこかにそういう部分があって出てしまっているのでは? と感じましたね(-_-;)
つまり、以前起きたゴタゴタは僕の心の中にそういう隙間があったから起きてしまったのではないか? という事を思ってしまいました。
そういう風に考えていくと、色々考えさせられる場面があります。
例えば、以前の病院と今の病院。
物凄い医療上の差を感じますが、少なくとも以前の病院時代と今の病院時代では、僕の心の中の感覚は大きく変わっております。
もちろん、以前も「特別扱いせよ」などとは思ってなかったつもりですが、随所にそう取られるような言動が混じってたのではないかと思いますな。
今の病院に来て以降はどちらかというと、「特別扱いはして欲しくない」というのが勝ってますから、僕自身の見え方も違ってるし、またそのおかげで医療従事者さんたちの対応も変わったのではないか? とも受け取れるんですよね。
例えば、僕自身が父の介護の経験もありますが、父に「介護されるのが当然!」というような態度で受けられてしまうと、こちらも反発心を覚えますよね。
しかし、父は
「ありがとうな。」と優しく言う(元気な時は職人気質で厳しかった父)ので、何の精神的負担も感じず介護できた気がします。
やたらと医療者さんとの軋轢を生んだ背景には、こうした僕自身の心の持ち方の違いがあったような気もします。
人間扱いされたければ厳しい意見も受け入れなければ
仮に「障害者を特別扱いするな」という事で恩恵部分がなくなってしまうと、多くの重度障害者さんはとても生き辛い世の中になってしまうと思います。
社会の中で、ある程度の恩恵もなくなってしまうと困ります。
僕にしても、人工透析を受ける医療費が健常者と同様の3割負担になってしまいますと、たちまちお金が払えなくなってしまいますので、透析が受けられず末期腎不全で死ぬ事になりますね。
ですので、そういう部分は別として、「障害者でも人間として扱ってくれ」と言うとしたら、やはりモラルに欠けた言動があれば、注意されたり批判されたりするのは当然だと思います。
精神障害、知的障害など、精神的な問題を抱える障害者と、僕のような内部障害では意味合いが違いますからね。
ところが、内部障害でも「障害者である!」と全面に押し出してしまうと、たちまち世間はものを言い辛くなってしまう。
少々おかしな言動をしても
「障害者だから仕方ない」と思えとでも言うのであれば、それはやはり「特別扱いしろ」と言ってるのと変わり無くなってしまいますからね。
電車の中で調子が悪くて席をゆずってもらうのとは違うと思うんですな。
健常者であっても不調で倒れそうな時は、誰だって席をゆずってもらうべきうだし、それは「特別扱い」とはならないと思います。
辛い経験もたくさんするでしょうな
まあ、こう言うと色々語弊があって誤解も受けそうですが、病院ですからね。
患者側はどうしたって、ちゃんと診てもらえるのが当たり前的な感覚になりますね。
しかし、医療従事者さんも人間ですから、そういう態度が露骨な人の面倒を見るのは面白くはないですよね。
飲食店だから美味しいメシが出るとは限らないのと同じ。
そういう意味では、患者側の精神も医療者に伝播してしまう場合もあるのだと思いますね。
ここら辺がとても難しいですな。
先のリンクした記事は色々考えさせられる部分が大きいです。
障害があっても頑張るというのは、かなり厳しい話です。
辛い経験も一杯してしまいますね。
世の中はその辛さをそれほど理解はしてくれない部分もありますが、一方で恩恵もあります。(障害の種類や等級などによって大きな違いもあります)
ただ、少なくとも、社会の中で障害者が上手に溶け込んでいくには、障害者自身の精神が多分に影響していきそうな事だけは確かです。
読んでみてどう感じたでしょうか?
スポンサーリンク
コメント
コメント一覧 (10)
コメント有難うございます。
難しい問題提起にコメント下さってありがとうございます。
僕も人工透析を12年近く受けてきまして、障害者の精神感覚の難しさは十二分に体験しました。
同様に心が乱れた事などは1回や2回ではありません。
確かにそうですね。
障害者に直接関わる者以外でこのような問題提起に違和感があるというのはよく分かります。
僕はここには2つの問題が内包されてて、とても大事な意見だと思っております。
1つは、「障害者だから何でも許される」という感覚をもって何でもしてしまう障害者の方がたくさんいるとしたら、社会的な恩恵も厳しいものになってしまい、障害者に対し厳しい意見が多く出てしまうだろうという問題。
もう1つは、障害者のモラルが厳しく問われるのであれば、障害を持たない人のモラル感はもっと厳しく追及されるだろうという問題。
この2つはとても大きな社会現象として表に出そうな時代になってきたかな? と思っております。
もちろん、ビックリマンさんのおっしゃられるように、基本は弱者に優しい社会というのも大事かと思います。
今のこの状況を失わないためにも、障害者が障害者である事を盾にした暴虐な言動を起こさないというのも1つだと思います。
むしろ、頑張っている障害者さんがもうひとつ報われていない感も感じます。
それぞれの事象も、配慮が必要なものもあれば、必要のないことも多いです。
社会的ルールの範囲ないであれば、本人の意識の問題になるので、
結論づけには意味がありません。
目が見えない方には、その方にあったように親切にすれば良くて、
自己モラルが下がれば、自分以下の人間を蔑むことで自己満足を得ようとしてしまいます。
私でも、他の会社ならクビだぞとか、結構嫌味をいわれます。
他人のことだからどうでも良いと思っている方には、何を言っても無駄だし。
ただ障害者だから、良い人ばかりというわけでもない。
制度に甘えすぎている方も結構いる。
時代とのバランスなのでしょうが、
どちらかといえば高齢者の方が、元気で、お金もあって、数も多くて、格差も大きい
感じがします。(私は、みんな定額の国民年金が平等だと思う。)
元気な高齢者や、財産が数億円もある方に、年金必要なのだろうか。
国会議員も普通の国民と同じでよいのでは。と思ってしまう。
コメント有難うございます。
難しい問題に対してのコメント有難うございます。
老齢年金の一定化というのは面白い案ですね。
ある程度、納税している事が条件で(もちろん各種事情で払えない人のセイフティネットもある上で)一定の年金というのは検討の余地がありそうです。
社会の中で障害者が上手に溶け込んでいくというのはかなり難しいですね。
確かに障害者であっても厳しい意見は出るというのであれば、健常者はもっと自身を律さないと話にならないという部分もあると思います。
逆に、健常者の人間性に問題があるのに、障害者だけ人間性を問われるのであればそれも違うと思いますからね。
世の中には健常者だろうが、障害者だろうが、人間性やモラルに反する行為をする人間は必ず一定割合でいます。
それも踏まえて考えていきたい問題ですね。
コメント有難うございます。
それは確かにそうですね。
僕のような障害者認定となっても(十分不利益を受けるような障害や病気であっても障害認定されないものもまだありますが)元気に生きられる患者の生き方そのものが、今後の命運を握ってるような気がします。
障害者が頑張って社会の中でやっていくのは、かなり厳しい世界だと思います。
その中で力になってくれる人も多くいます。
そもそもが障害者VS健常者のような構図を持つ人物がいるという事に違和感を覚える人もいます。
一見、障害者に対する社会的恩恵は不平等のように捉えられる場合もありますが、実際は誰もが障害を受ければ恩恵を受けられるという意味では平等そのものであるのに、残念な話ですね(-_-;)
基本的には障害者に優しい世の中が理想ですよね。
透析患者に限らず、モンスター化した障害者の方も一部いらっしゃるでしょうし、そういう方を健常者が見た場合、いろいろ国からしてもらって何だその態度は!ってなるのもわかります。
しかしながらモンスター化した方の始まりは体に障害を持ち、何で俺が…みたいな人生終わった感からくる心の闇だと思うので、そう言う気持ちもわかる気がします。
ただ心の闇の部分は時間と共に立ち直ってこれるものでもあると思うので、ずっと心が落ち込んだままって言うのもどうかと思います。障害によって苦労や思いは違うと思うので一概には言えませんが。
考え方は人それぞれ違うので、万人が納得する形と言うのは難しいでしょうね。
一時期はプチモンスター化しそうな時期もありましたが、時間もたち病院も変わったりしましたので、感謝の気持ちを忘れずにいたいと思います。
コメント有難うございます。
難しい記事にコメント有難うございます。
確かにそうなんですよね。
そもそも、健常者にだってモンスター化してる人は山ほどいますからな。
そういう人で障害者になった場合というのもあるでしょうから、一概に言い切れませんね(*'▽')
まあ、大体の人は透析になった時にやはり多少のやりきれない思いはあったと思います。
この間の餃子オフ会でも出産を機に腎不全になったという女性軍が多かったです。
病気とはある意味「理不尽」な場合があるので、少々の精神的乱れは仕方ありません。
いまちゃんの言うように、そこから時間経過で徐々に自分を取り戻せる人が大半です。
万人が納得というのは難しいですが、今のように頑張る透析患者さんが多かったら、また違う目で見てくれる人も増えるでしょうね(^◇^)
ワタシは しょうがいがあるとはバレないように 借りてきた猫のようにコソーッとくらしています むつかしいことはわからないんで 付き合う人も人物優先なんだ(ФωФ)
コメント有難うございます。
ガラコさんらしい(^◇^)
人物優先で付き合うのは良いですね~(*'▽')
真似しよう(^◇^)